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春を思い出す山田詠美さんのあの小説

わたしがすごく好きな小説について。できれば沢山の人に、この春がもうすぐ来る時期に呼んでほしい小説について。

山田詠美さんの「僕は勉強ができない」

勉強はできないけれど、年上の彼女がいて、自分の価値基準を自分の意思でつくっていくんだと、二日酔いの哲学者は哲学するのかを知りたい男子高校生、秀美くんの物語。

時差ぼけのお話がとても好きで、行き詰まって、大切なことを思い出したいとき、死んでしまいそうだと思うとき、読み返すお話。

人間の体内時計は1日25時間で、人間は生活のなかで1時間分の時差を調整しているらしい、と話すクラスメイトの男の子が自殺した。

「僕はいつも時差ぼけなんだ」と話していたあの子。他の人が睡眠や排泄やらでやり過ごせていた1時間分の時差を、彼にとっては、自然に流されるものではなくて、自分で流さなければならなかったものなのでは?と秀美くんは考える。

だとしたら、それはものすごくエネルギーが必要なことで、彼は一生分の時差を、精算したのかもしれない。彼の死が彼にとって良かったのか悪かったのかはわからない。

秀美くんはそんなことを考えながら、すいている電車の中で揺られていた。春が来ようとしている暖かい空気が充満していて、「あいつもこうやって揺られてりゃ良かったのに」そんな事を思う。

春が来たと、口元を緩める瞬間というのは、大切なんじゃないか。もし彼が地面に向けて蹴ったエネルギーを、他の方へ向けていたら?もったいないじゃないか。毎年春は裏切らずに巡ってくるというのに。あいつもこうやって電車に揺られてればよかったのに。

あの子の死を知っても特に泣かなかった秀美くんが、そんな事を思っていたら、ふいに涙が出てきた。電車に乗ってたおばあちゃんが、どうぞとハンカチを渡す。

このシーンを、何度も読む。春の暖かい空気と、そのときに感じる幸福感とを一緒に思い出しながら、私も自殺したあの子のことを考える。

電車に揺られてれば良かったのにね。

自殺したのが悲しいとか、よくないとか、そういう話ではない。でも、もし、彼が、なんとなく外に出て、この春のなんとも言えない空気を吸い込んで、何も考えずに、電車に揺られていたら…、
そんなことを考えてしまうほど、春の存在感は偉大で、こんなにも心地いい。

春という季節を、空気を、味わえるお話というか、春を説明するお話というか、そんな明るいものでも全然ないのだけど。あと自然には敵わないなとも思ったり。

実際の小説とは、言葉とか違うところ結構あるかもですが、わざわざ小説を持ってきて、事実確認するのは勿体なくて、私の中にはこうやってこの小説が存在しているということを書きたかったので、このまま。

考えをまとめることが苦手で、もうまとめようともあまりしてない。それで良いと言ってくれる人が周りにいることもあり。

こんなことを言うのも大変おこがましいが、私には絶対に書けないと思う山田詠美さんの発想、言葉づかい。とても尊敬しています。

おしまい。

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