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世紀の祭典・万国博覧会の美術(東京国立博物館・2004年7月)
※過去の展覧会のレビューです
2004.7.30 Friday
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閉館時間の8:00ギリギリまで、じっくり見てしまいました。
最近、嵐のように展覧会に行きまくってるわたしですが、この展覧会ほど見ごたえがあると感じたのはなかなかないです。
さすが、東京国立博物館。
作品の出展数・質・構成と、どれをとっても文句ナシの素晴らしい展覧会でした。
万博によって日本が世界に与えた影響
作品を堪能するだけでなく、日本の工芸と世界に与えた影響、近代の西洋美術の歴史を知るにのももってこいの展覧会と言えます。
いやもう、日本の工芸は世界一です!もっとわたしたちは自国の文化や技術に誇りと自信を持つべきだと心底思いました。
展覧会前半は万博と日本工芸。日本のありとあらゆる美しい工芸作品が見られます。蒔絵・陶磁器・七宝などがずらりと壮観な眺め。
人間業とは思えないほどの細密で美意識を極めた作品群を、ただただため息と共に見入るばかりでした。名古屋出身のわたしは、金シャチが出展されていたのにも驚いてうれしくなっちゃいました(^^)
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日本美術を世界へ!ジャポニズムが欧州を席巻
以下は、ちょっと堅い話。
日本が最初に万博に作品を出展したのは幕末の1867年。「日本」という「国として」ではなく、江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩としてでした。
明治維新後は殖産興業の方針の中で、日本の工芸を世界に知らしめ、欧米に売りこむのが目的で出展。その日本の思惑は当たり、日本の工芸は世界中で注目を集め「ジャポニズム」という動きに繋がっていきます。
いち早く産業革命で近代国家となったイギリスで最初の万博が開催。反発を感じたフランスが巻き返しを図ります。やがて世界の芸術の主導権は、フランスのパリが握ることに。
「芸術」への道のり
やがて日本の万博への目的は「日本の工芸作品を『芸術』として認めさせること」へと変化。しかし当時の西洋では、絵画・建築・彫刻以外は芸術とは認められていませんでした。
また、絵画は必ず額装されていなくてはならないと決められていました。なので、軸装が中心の日本画は絵画作品とは認められませんでした。そこで、芸術と認めさせるために、日本画をわざわざ額装しなおして出展するという苦心もなされました。
苦労の結果、日本の工芸作品は美術品であると認められるようになります。万博を通じて、美術というものの定義や流れが少しずつ変わって行ったともいえるのかもしれません。
(2025年2月追記)
21世紀のフランスでも似た話がありました。
最近まで、フランスにおける芸術の序列は、諸説あるものの第1から8まで順に「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学(詩)」「演劇」「映画」「メディア芸術」とされてきました。
(18世紀には1から3までしかなかったのですね!)
フランス語圏には、いわゆる漫画が独自に発展した文化「バンド・デシネ(BD)」があり、「第9の芸術」として認められるようになった話。
日本の漫画家がルーブル美術館をテーマに描いた漫画を展示した企画「ルーブルNo.9」が日本でも2016年~2017年に開催されました。
パリ万博における前衛画家の抵抗
展覧会後半は「万博の中の西洋美術」として、5回のパリ万博にスポットを当てています。
当時はパリのアカデミーが認めた以外の画家の絵は、万博で展示することが許されませんでした。人気はありながら、アカデミックではない作品を描く前衛的な画家たちは、わざと万博会場の近くで個展を開きました。
今は、アートという枠組みが本当に広く際限がなく、制約もない時代だといえます。表現者としては自由ないい時代かもしれませんが、逆に制約がない分、何を表現していいのかとまどうということもあるかもしれません。
反骨精神がよりよい作品を作らせたというのもあるでしょう。画家たちが、体制や制約に反抗し、自分の道を信じて進んで行った時代。
もしかしたら、それもまた、古きよき時代だったのかも。そんな風に思ったりしました。