鋼メンタルと言われた私がごみメンタルになって思うこと。①
これまで、メンタル強いね、鋼だね、
なんて言われてきたし、自分でもナイロンぐらいかなとは思ってた。
でも、ちょっとした拍子にバランスを崩したら、
あとは転がり落ちる石のようだった。
死にたくはならなかったけど、
何もかもが怖くなった。
ホラーやおばけ、虫も、高いところも暗いところも、大丈夫、
今まで、怖いと思ったのは母の怒った顔だけだったのに。
人にどう思われているかなんて、どうでも良いと思っていたのに。
人に会うのも、話をするのも、スマホを見るのも、パソコンを開くのも、
外に出るのも、眠るのも、ボーッと暇になるのも、
怖くなった。
何が怖いとか、説明はできないけれど、漠然と思うのだ。
自然と涙がでて、これまで20年近くドライアイだったのに今や、その心配もないくらい。自分でも不思議でしょうがない。
メンタルが弱いとか、豆腐メンタル、メンタルを崩すとか、
よく分からないと思っていたけれど、
そうなってみて分かったことの一番は、
メンタルがだめになっていることには自分では気づけなかった
ということである。
私の場合は、親が気づいてくれた。
「今のあなたの状態はいつものあなたとは違うよ」
と言われたとき、
ふーっと気が抜けたような、はっとしたような気持ちになった。
自分ではいっぱいいっぱいで気付かなかったのだろう。
自分だけではおそらく気付かなかったし、気付けなかった。
そのままいけば、どうなっていたのか分からないが、
それが一つきっかけで、自分のメンタルやおかれた環境と向き合うきっかけになったのは確かである。
自分の視野の狭まりには自分では気づけない。
それはある意味、仕方ないことだと割り切るしかないのかもしれない。
少しずつ回復している今だからこそ、だめになっていた時を
俯瞰して消化するために少しずつ記録としてこれから残しておこうと思う。
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