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責任、人のせいにしないとは #1 仕事編
今日はボヤキのようなお話ですが、お付き合いいただけたら幸いです。
最近は、自分が働き始めた時よりも「責任の所在」という言葉を耳にすることが増えたような気がします。
「責任の所在を明らかにしておく」ということなのですが、責任が発生するときは何かが失敗したときなんですよね。
身もふたもない言い方すると「失敗した時に責める人を決めておく」ってことなのでしょうか。
「統括する人」ということで「責任者」は必要だと思うのですが、すべてのことに「背金の所在」を明らかにしておく必要があるんでしょうか。
親子教室での事故
自分のことなのですが、健診事後教室(親子教室 ※)をしていた時に、子どもに衝突されて転倒、足の指を骨折してしまうことがありました。
(※発達障害や疑いのある子を集めて、親子で遊びながら発達を確認する教室です)
小さな骨折でしたので、日常生活に特に困ることもなく過ごせました。
避けたら子どもが転ぶし、うまく止められなかった自分の運動神経のなさにがっかりしました;
しかし、このケガから「もし参加者がケガしたらどうするか」という問題が浮上しました。
親子教室なので、当然親が子どもを見ているし、スタッフもいるので大事故になることはないと思いますが、衝突したりは考えられる。
「教室でのケガは、誰の責任?」
親と一緒なら親?手がかかる子を集めて教室を開催している市役所にも問題がある?スタッフの人数の根拠は?遊びは本当に危険性ないの?などなど…
責任の話を始めた途端に、すべてのことが後ろ向きになりました。
もちろん保険には入っていましたが、お金で済む話ではないでしょう。
そこまで言うなら「教室内でのトラブルには一切の責任を持ちません」とどこかに貼りますか?と提案すると、それは言葉がキツし、責任取らない姿勢を見せることはちょっと…と。
責任取りたいのか、取りたくないのか、どっちなんだーーーい!!!
絶対にケガしない内容に変更
結果的に、責任を取るようなことが発生しないように注意する、内容を変更するということになり…
活動内容は静と動のバランスが大事だと思っていたのですが、動の部分を担っていた「かけっこ」「すべりだい」「新聞あそび」はなくなり、座って遊ぶ静の活動が増えてしまいました。
おとなしく座れない子にとっては、楽しい教室から我慢させられることが多い教室となってしまったのでした。
責任取ったって変わらない事実
誰が責任を取ってくれてもよいですが、責任を取ってもらったからといって、ケガが治ったり生き返ったりするわけではないのに、どうしてそこまで「責任の所在」を明らかにしておきたいのか。
やっぱり「失敗を責めたいから」でしょうか。
もともとは「責任を持ってやる」という前向きな責任論だったのでしょうが、今は失敗した時の矛先はコチラ→と準備しているように見えてきます。
責任は苦しい
年々「責任」の圧が高くなっていて、そのうち「禁句」になってしまうのではないかと思うほどです。
物事を始める時、すべてのことに「責任」って必要なのでしょうか。
些細な事でも、かなりの低確率のことにも「責任」を問う姿勢に私は疑問を持っています。
責任はいらないと言いたいのではなく、すべてにおいて責任を追及しなくてもよいと思うのです。
お互い様で済ませられないこともあるけど、すませられることもある。
「責任」なんて重い言葉を使わなくても十分なもあると思います。
こんなことを言えるのは、自分が責任を取る立場にないからだと思います。
責任を問われる立場になると意見は変わるのでしょうか。
でも、責任者を責めたくない気持ちもとてもあります。難しいですね、責任問題。
お読みいただきありがとうございました。
次は「自分の責任」のことに触れたいと思います。