詩のひとりごと2:詩学、チートツールへの誤解
【詩学と定型】
【詩ではなく出鱈目である】
かつて萩原朔太郎は、日本の詩の発展は、西洋の詩のように日常使う言葉で表現するところから始まると主張しました。それまで「詩」といえば漢詩の事を意味し、作るのも理解するのも独特の詩語を用いて専門知識や作法に通じた一部の人達しかいない、という世界でしたから、彼の主張は詩の民主化とも言うべきものだったと思います。時代は新体詩の全盛期。漢詩の詩語と和歌の雅は融合して受け継がれ、難解な文語体を駆使して、たしかに優美で高尚な作風を醸し出してはいましたが、いまいち馴染みにくい雰囲気も纏っていました。これに対して、日常で使う平易な日本語を用いて定型の韻数率によらない詩を作ろう、と主張したのです。いわゆる言文一致といわれる運動と重なり、この主張は人々に支持され、最後には新体詩を退場へと追い込みました。しかし、その結果、詩の書き手も詠み手も確かに一般市民全般へと広がりましたが、彼らが書いた詩は朔太郎が思う「詩」とは違ったものでした。そこに詩としての特性はなく、ただ言葉が並べられただけのものだったので、彼は失意を込めてこれを「出鱈目」と呼び、「蒲原有明(かんばらありあけ)に帰れ」という檄文を発表する等して格調、リズム、寂寞や郷愁の思い、美を伴った、芸術的な詩への回帰を促したのです。
【文語体への回帰の思い】
しかし、もはや朔太郎本人の意向に関係なく時代は動いていて、蒲原有明もまた時代に押し流されていきました。なおも文語体の格調高さ、優美、リズムにこだわる朔太郎は、自身で文語体の詩集『氷島』を出すなどして何とか自分の思いを訴えようとしますが、後輩でお仕掛け弟子でもある三好達治に強く批判され、自身もそれを認めるに至ります。
このような、文語体詩へのある種の憧憬の様にも捉えられる傾向は、宮沢賢治にも見受けられます。
彼もまた最晩年になってから文語詩集を作っています。そして、「他の作品が無くなってしまっても、この文語詩だけは残るだろう」と満足気に語ったとされるエピソードがあります。当然です。文語体の醸し出す美、音、リズム、文体そのものに魅力を感じる理由は、人工的に作られた標準語とは違って千年以上にわたって日本の歴史の中で育み培ってきた伝統と文化が凝縮された生きた言語だからなのです。従って、魅力を感じない訳がないのです。文語体は死んだ言語ではなく、明治政府が欧米列強に対して見栄を張る為に口語の標準語をかなり強制的に国民の間に浸透させた政策によって、意図的に息の根を止められた言語であると言えるのです。
これは言語の問題というよりは時の支配者の政策の結果という問題で、口語自由詩は、時流に乗る形で広がりを見せたのです。その後、出来損ないとはいえ標準語が制定されてかれこれ百数十年。詩は新体詩となり、新詩となり、現代詩となり、今は「詩」と呼ばれる様にもなりました。
【そして詩学はどうなった?】
そして、日本語の詩学というものもついに確立する事なく現代に至っています。朔太郎自身も何もしなかったわけではなく、これぞ日本詩学、と意気込んで自説を発表しましたが、日本の詩壇が公然と認めたわけではなく、結局は彼が指摘した様に個々の詩人たちが述べる個人的な詩論が乱立している状態から何一つ進歩していないというのが現状です。
私は、最初詩学の勉強としてはドイツ語詩学から始め、アリストテレス⇒ホラティウス⇒ラテン語詩学⇒イタリア語詩学⇒フランス語詩学⇒ロシア語詩学⇒英語詩学へとかじり進みました。私にとっては「日本語だけ詩学がない」という状況はとてつもなく違和感の強いものでした。なぜなら、日本の詩もまた西洋の詩を輸入する、という事を目標に試行錯誤が始まった歴史があるからです。西洋に追従する、といいながら、こんな基礎的な所で好き嫌いしていていいのか、と私は思いました。
そもそも詩学というのは、詩を読み解く為の学問です。詩がどのように書かれているかを説明したもので、丁度、食材や調理方法や味付けなどについて解説したレシピ集の様なもの、ともいえます。その詩学が無い、という事は、詩の担い手は詩学を形成する程の経験を積んでいないか、やる気がなくて作ってこなかったか、作る作品そのものが詩として一人前に育っていない事のあらわれだと、私は個人的には思っています。標準語という、完成度の低い言語を使っていて他言語に見られる様な文学的表現の蓄積も乏しく、古語にあった伝統的な表現方法を捨て去った経緯もあります。
【傲慢? 怠慢? 増上慢?】
私は何人か詩人の方と話をした事がありますが、皆さん一様に口語自由詩(私にとっては無秩序詩)を好み、定型や詩学、ついでに言えば文語体詩も不要だというお考えの様でした。「そんな小難しい理屈よりも、思いを素直に言葉にすれば十分」とか「つまらない理由で表現の自由を損なうべきではない」といったご意見の方々が大半です。確かに、詩学や定型を学べば詩の読み方は理解出来ますが、良い詩が書ける様になる訳ではありません。
もちろん、そうでない方もいらっしゃるとは思いますが、浅学非才の身である自分が知る範囲では存じ上げません。また、一般読者であれば、そもそも日本語の詩を読み解く詩学など、存在しないのですから敢えて勉強する必要がないのも分かります。しかし、自らをプロの詩人と称する様な人たちはどうでしょうか。素人とは当然違います。スポーツ選手だってそうですね。素人のプレイヤーとプロのプレイヤーが同じであって良いはずがないです。彼らはお金を取るのですから。詩人が詩学や定型を否定する事は、プロのスポーツプレイヤーが「ルールなんて知らなくてもプレイはできる」と言う様なものです。あるいは料理人が「レシピなんかいらない。材料を適当に鍋にぶっ込んで調味料を入れてひたすら煮込めば何だって食える」と言ったらどうでしょう。そんな料理、好奇心や罰ゲーム以外で食べてみようと思う人がいるでしょうか。
今まで何度か述べてきた様に、我々が「詩」と呼んでいるものは、そもそも西洋詩を日本文化に輸入するにはどうしたらいいか、という試行錯誤から始まり、その後も西洋詩の影響を受けながら形成されてきたのに、同じ西洋詩の世界で詩を成り立たせてきた基盤である詩学や定型が不要とはどういう了見でしょうか。彼らの間には、何千年もあちらの文化で育てられてきた財産のひとつである詩学や定型を嫌い、ただの屁理屈や縛りだと言って毛嫌いする傾向が強い様ですが、それは単に創造力が足りない人たちが、自分たちの怠慢の言い訳にしているにすぎないのではないか、あるいは好きな言葉を並べられれば詩としてはそれで十分だと思っていると思えてしまいます。
【ドイツ詩学と比べると】
西洋言語はお互いに近いから詩学もある程度応用が効くが、日本語は言語の違いが大きすぎて活用出来ない、という意見も時々聞きます。確かにそれはその通りだと思いますが、では、西洋言語の詩は何の苦労もなく詩学や定型をとりいれてきたのでしょうか。
答えは簡単に済ませてしまえる物ではありません。そもそも詩学の根本とされるアリストテレスの詩学は当然ですが古典ギリシャ語で、ホラティウスの詩論は古典ラテン語で書かれています。古代ギリシャの文明に限りなく憧れるローマ帝国は、アリストテレスの詩学を取り入れました。その版図の中で、ヨーロッパ各地ではラテン語化した古代ギリシャの詩学を学ぶ事になりました。勿論ヨーロッパ各地にも地元の言語はあります。それ等は「方言」と呼ばれ、口語的に使われる事はあっても、文書や詩を書くのにはラテン語を使うのが普通でした。ヨーロッパの詩人たちは、母国語で詠む前に、古典ギリシャ語や古典ラテン語の詩を学ばなければなりませんでした。
これってどこかで聞いた事がある話ですね。そうです。我が国でも詩を学ぶ人は漢詩、つまり、古代中国語を学ぶところから始まって、国字(日本語特有の漢字)の使用禁止、平仄、韻字の習得から行わなければなりませんでした。訓読文はありましたが、音読みでの暗誦も行われ、意味を日本語で論ずる事はあっても、それはあくまでも古代中国語の詩であり、日本語を使いたければ和歌を詠むならわしでした。
話を戻しますと、私が詩学を学ぶ始まりとなったドイツ詩学の場合、ドイツ語詩の詩学が始まったのは18世紀位になってからとされて、更にH.パウルのドイツ詩学(Deutsche Metrik=ドイツ韻律論)出版が1905年のことです。この頃には従来のギリシャ・ローマの古典を離れ、ドイツ語自体の韻律を解明し、ドイツ語の詩の芸術性を高める為の研究が行われています。
それまでどうしていたかというと、誰も疑う事なく古典ギリシャ、古典ラテンの詩学をドイツ語に適用していました。当然ドイツ語には合わない部分や実質的に不可能な詩型など、色々と課題はあった訳ですが、それに言及する人もおらず、黙々と古典のルールに従っていたのです。
それが、ようやくこの時代になってドイツ語独自の詩学というものが萌芽し、成長し始めたのです。研究者も増え、研究書も沢山出版されました。
所変わって我らが日本(ひのもと)ではどうでしょうか。私がこの国の詩壇には実力も努力も足りないと思えてしまうのは、カッコ悪いなりに苦心した跡が見受けられないからです。マチネ・ポエティックなど、わずかな事例がある事はありますが、この国の詩壇はそうしたわずかな試みさえも寄ってたかって握りつぶした前科があります。オープンな協議もなく、研究書もなく、詩の書き手も読み手もこうした惨状に見向きもしない現状は、惨憺たる物と言わなければなりません(あくまで筆者目線です)。二言目には日本語が西洋言語とは違う、と、もっともらしい理屈をつけ、ただ好き勝手に言葉を羅列するだけで済まそうとする態度には日本文学史の中で西洋の詩が本格的に入ってきてから高々百数十年。軽々しく結論を出す前に、それぞれがどれ位自分で努力して、自分で確かめたのか、甚だ疑問です。新しい言語表現の境地に出会う為に駄作を量産しても良いではありませんか。百年後、千年後にちゃんとしたものが出来る事を信じて、様々な試みを残しつつ歴史に埋もれるのもまた一興だと思います。
【定型はチートなツール】
それと、定型について大きな誤解が見受けられます。定型を、字数や押韵などで作詩に縛りを入れ、表現の自由を妨げる呪縛のように言う人がいますが事実は全く逆で、定型とは誰であってもその作法に従えば「詩」が作れるチートなツールです。私は絶句や律詩を多少書きますが、私が書いた凡作であっても、その作品は、長い歴史につながっており、李白や杜甫がちゃんと読んで理解してくれる事が保証されています。定型とはそういうものです。但し「うまい」と言う事はないでしょうけど。これは、以前漢詩の石川忠久先生と、とあるイベントで同席した時に仰った言葉です。この言葉の通り、定型や作法を守って作詩すれば、誰であってもこんな風に1300年の歴史の末端に連なる事が出来るのです。逆に、漢詩の世界では作法から外れた書き方をすると「これでは何が言いたいのかわからない」と言われて嫌われます。
こうして見てくると、詩学も定型も知らずに、いきなり自分一人だけの世界に入り浸って自己だけの満足のために書いた作品が、他人の心に響かないとしても何の不思議もない事が分かります。言葉である以上、ちゃんとした表現であれば理解してくれる人はいるかもしれませんが、詩学や定型が無い詩、という物は、詩としては非常に心もとないものだといえます。もちろんそれがすべてという訳ではなく、形だけ定型で書いても単なる言葉遊びに見えてしまう事もありますし、無茶苦茶な文体でも素朴さや奔放さを訴えて読者の評判呼ぶ作品もあるでしょう。未だ詩というものが確立せず、定型や詩学が育っていない日本語の詩においては、名実ともに詩としての体裁が整ってくるのはまだまだ何世代も先の事になるに違いありません。
再度言及しますが、詩学や定型とは、他ジャンル、例えばスポーツでいえばルールのようなものです。ルールはそれぞれの世界を成り立たせている要になるものです。例えばスポーツ競技では、個々の選手は自由に自分の方法で研鑽を積み技を磨きますが、競技の場においては誰もが共通のルールに従います。音楽の世界でも、オーケストラの見事な演奏は、指揮者の元、演奏者がそれぞれルールに従って演奏しているから成り立ちます。詩の世界で詩学や定型だけが不要であって良い理由を、私は思いつきません。当然、それで各自がやりたい放題をする事を表現の自由であるとは思わないし、そういう風に作られた作品が偶然以外の方法で読者に届くとも思えないのです。
【結び:詩は書き手から読み手に届くか】
この、「読者に届く」というのは結構重要かつ深刻な問題です。現状の大きな問題のひとつは、読者の側にも定型や詩学が定着していないという事だからです。共通のものさしがなければ、詩人が個人の好き勝手で適当に作っているのと結果的には同じになります。この点は歴史の採点を待つ他はありませんね、やっぱり。
こればっかりは、一人で声を荒げてどうにかなるものでもないので、地道に頑張っていくしかないなと思っています。勿論日本の詩壇をどうにかしようとか、他に詩人たちに働きかけようなんて事は露ほども考えていません。全ての思いは自由な創造性の中で吐露されるべき、と思うからです。
一方、英語を例にとりますと、英語で書かれた日本語詩の書き方入門サイトには、日本との詩学という項目は無く、載っているのはせいぜい伝統的な詩型についての説明のみです。私が見た事があるのはHAIKU、HAIBUN、TANKA、SENRYU、CHOKA、SEDOUKA、DODOITSUあたりで、いずれもこれらの詩型を使って英語で書く、という説明記事でした。私が旋頭歌を作る様になったのは、これら英語サイトの実作を見てからの事です。
さて、また原点に戻ります。冒頭で述べた様に、詩学の役割は人々に詩の読み方を教える事です。だからこそ、書く方もその流れに添った書き方をして読者を感動させたり、逆に裏をかいて読者を驚かせたりする事が出来る訳です。つまり、共通のものさし、ルールを持っているからこそそういったコミュニケーションが成立するのです。それは長い歴史の中で培われてきたものでもあります。日本の現代詩のように、詩学が無い、という状態は、書き手と読み手を繋ぐものが無い事を意味します。つまり、書き手はただ己の欲するままに言葉を羅列し、読み手は書き手の思いなどまるで理解せずに適当に読む。という状況になっています。しかも、両者ともその事に何の問題意識も持っていません。これはある意味当然の結果で、そもそも詩というものが確立していないのだから、詩学もまた存在し得ないのです。
日本にも、和歌の世界には歌論や歌学があり、歌合わせの場ではそれなりに議論を戦わせる事も無名抄をはじめとする古典に書かれているなど、一定の存在感はありました。俳諧連歌も同様です。しかし、前述した様に、現代ではどの詩サイトにおいても同じ内容で紹介される様な、共通の日本語詩学、というものはなく、詩学が論じられても各々詩人個人がその見解を主張すること止まりです。