キャラクターの死は心に穴が空く
これは脚本家や漫画原作者など『物語やキャラクターを生み出す仕事』をしている人であれば心当たりがあることかもしれません。
よく漫画やアニメ・映画・ゲーム作品などの架空の物語のなかでその登場人物たちの『死』が描かれることがあります。
もちろん見ていて感動的だったりして思わずそのキャラクターの死に涙を流したことがある人も多いでしょう。
ただ今回のお話はそうした受動的な涙ではなく『生み出す側』の涙の話です。
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私は最近、漫画『チェイサーゲーム』などの原作を自分自身で執筆したりして物語全体の構成・創造だけではなく全ての登場人物を自分自身でゼロから生み出すということが増えてきました。
『自分自身でゼロから』というのは“誰にも相談することなく全てを自分一人の中から生み出す”という意味です。
ゲームソフトのオリジナルタイトルなんかを作る時には必ず開発スタッフや脚本家やプロデューサーなんかと複数人で話し合いながら意見を出し合って作ることが常です。
決して自分一人で全部を決定できるわけではありません。
あ、最終的には監督であるディレクターとして決定する立場にあるということは一方では事実ですが。
それらの全てが自分一人のアイデアというわけではありませんし、多くの人の感情や好み・ある種の嗜好というものが複雑に封入されることの方が多いのです。
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ましてやお預かりしているIP(版権)だとなおさらです。
例えば弊社が開発を行ったゲームソフト『NARUTO-ナルト- 疾風伝 ナルティメットストーム2』で描いた自来也の死は漫画原作の段階ですでに表現されていて決定事項でした。
その原作を読んだ上で「ゲームソフトの中であの自来也の壮絶な死を表現・演出するためにはどうしたらいいか?」ということや「ゲームソフトを遊ぶお客様や本来の『NARUTO-ナルト-』ファンに満足して感動していただくためにはどういった手法が有効か」ということを考えて作りました。
『.hack』を作った時も同様です。ハロルドという人物は物語の中ではすでに死んだ後でした。彼が死んだ後に物語が始まっていますのでほぼ歴史上の人物であり「そういう過去と歴史がこの世界にはあった」という感覚です。
『.hack』でも『Solatorobo それからCODAへ』でも何人ものキャラクターが一時的に戦闘不能や意識不明になることはあっても本当の意味での『キャラクターの死』を描いてはいません。
(このへんは私自身の物語における登場人物の必要性だったり、意味の無い死を表現することが嫌いという性格だったり、もともと根っこの部分に「みんな笑顔で最後には笑えるように」物語を進行したいという思いがあるためです)
ましてや先ほど述べたように今までやってきたゲームソフト開発の過程においては私自身がたったひとりで考えた要素が部分的や全体的に入ることはあっても、複数人でアイデアを持ち寄っているという工程から「全部の物語を自分一人で想像したということ」はなかなかありませんでした。
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「だから」なんだと思いますが。
最近はひとりで物語の執筆をすることが増えてきていて。
たったひとりで悩みながら物語や設定やキャラクターやその因果や関係性を組み立てたりしていて、まさに完全に『ひとり作業』として全ての工程を行うといったことが増えてきている中。
「ある作品」の脚本を執筆していて、その登場人物のひとりが物語の必然として『死』を迎えることになりました。
その日、いつもの通り「今日はここまでの話数は進めよう」と心に決めて執筆して、その『キャラクターの死』を書き終えたところで不思議な感覚を覚えたのです。
まるで自分の心にぽっかりと穴が空いたようでした。
本当に実在する身近な誰かが死んだような感覚に陥りました。
「あれ?なんだ、これ」
と最初はちょっとした違和感程度だったのですが、ひとりでお風呂に入っている時やトイレにいる時などに、ふと心的ダメージを感じるようになったのです。
ベッドに入ったあともなかなか寝付けませんでした。
「ああ、そうか、オレは自分で殺したんだ」
ってことに気が付きました。
自分自身が正真正銘「生みの親」でありそのキャラクターの生い立ちや性格や立ち振る舞いと活躍を描いた上で必要性を持って『死』を表現したとはいえ、なかなかのダメージを受けることになりました。
もちろんだからといって、そのキャラクターの死そのものが変更されるなんてことは当然ないわけですが。
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以前、江藤くん(江藤俊司)が『終極エンゲージ』という漫画をジャンプ+で連載していた時に「○○というキャラクターの死を描いた時は自分でも結構心にキましたよ」と語っていたことを思い出しました。
「なるほど、江藤くんもこんな気持ちだったんだな」
と、同じことをやって初めて「言葉」ではなく「心」で理解することが出来ました。
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「心に穴が空く」という表現がまさに『BLEACH』に登場する虚のようで、死んだあとに後悔を遺しているものの心には大きな孔が空いて現世をさまようという表現がぴったりだなとも感じました。
さて後半部分は【キャラクターの死とそれを描く作者の心】について私が知る限りの少し違った話をします。
これは『NARUTO-ナルト-』の漫画連載が終了した後にお会いした岸本斉史先生が「その時の心情」を語ってくれたことなので当然ながら内緒話となりますので取り扱い注意でお願いします。(*転載禁止)
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キャラクターの死とそれを描く作者の心
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