週刊少年松山洋_タイトル_修正

労務費3万円アルバイト6,000円

私は学生時代に様々なアルバイトをしてきました。

大学4年間だけでも35種以上の職種・現場を経験してきました。

ファミレスの厨房・ホール、コンビニ店員、雑誌編集、交通量調査、パチンコ店員、ボートレース場のイベント、アトラクションショーのスーツアクター、ホテルの住み込みアルバイト、引っ越し業者、お祭りの夜店、ボーリング場、居酒屋店員、喫茶店、ステーキハウス、倉庫整理、1万トンのタンカー製造、などなど。

今となっては経験した仕事・職種の全てを思い出せないくらいですが。

学生時代に考えていたことは“さては色んな仕事の現場を経験できるのは「今だけ」だな”ということでした。

このまま大学を卒業して就職すると(特に日本では終身雇用が当たり前でコロコロと転職する人間は評価が低いことから)ひとつのことをやり続けることになるだろうから、今のうちに多くの現場を経験しておこうと考えてかなり自分でも意識的に色んなアルバイトを短期的にこなしてきた記憶があります。(もちろんその時の経験や知見が今の私を支えていることは言うまでもありません)

さて、今回のエピソードはそんな私が学生時代に体験した「土木工事」に関する話です。

まあ「土木工事」というよりも「日雇い労働」と表現したほうがわかりやすいかもしれません。

この「日雇い労働」とは、パッとまとまったお金が必要って時に面接や書類選考などのわずらわしい手続きが一切なくてもいつでも働けるシステムでした。

決められた場所に朝6時に集合すると順番に車(バン)がやって来てそれに乗り車中で名前だけ確認して、工事現場に着いたら8時間(8時~17時、お昼休憩1時間)延々と働くだけ。仕事内容は日によってバラバラ。朝から晩までブロックを手で運ぶ時もあれば、セメントを混ぜ続けるだけの日もありました。それが終わったらみんな集合して順番に日当を受け取って帰る。

この日当ですが私のころ(1990年代)は6,000円から8,000円でした。(8,000円の現場は高所などの危険手当含むものが多かったので基本は6,000円というイメージ)

単純に過酷な肉体労働なので一日が終わるとボロボロになって家に帰って来て夜はぐっすりと眠れる仕事でした。

ただやはり過酷だったのであんまりやりたくはなかったのですが、気軽にお金が必要な時だけパッと行けるのが強みで、短期のアルバイトの隙間を縫うようにちょこちょこ「日雇い労働」に行っていた記憶があります。

そして私はやがて大学を卒業して、コンクリート二次製品のメーカーに就職しました。(サイバーコネクトを設立する前の3年半くらい建設業界で働いていました)

その時に建設現場の悪い先輩から「あるアルバイト」を持ち掛けられました。

“松山君、「日雇い」やらない?身体丈夫だよね?”

もちろん身体は丈夫でしたし、まあ、お小遣いも欲しかったので“今度の日曜だったら大丈夫ですよ”って返事して、指定された現場にその先輩と一緒に入りました。

作業服に着替えて現場に入り、延々と砂を運んだりブロックを設置したりとやってることは学生時代に経験したものとなんら変わりはありませんでした。

そして8時間働いた後に、先輩から“はい、松山君、これ日当ね”と渡された金額は3万円でした。

“?????????”

あれ?って思いましたよ、もちろん。そして先輩に聞きました。

“え、これ多くないですか?3万円!?”

すると先輩は“へへ、美味しいやろ?”と言いながらニヤリと笑いました。

その後、そのまま先輩と居酒屋に入って話を聞きました。

“何故ほんの数年前まで(学生時代に)やっていた「日雇い労働=6,000円」が、ほぼ変わらない内容の労働で「3万円」になるのか?そのからくりを”

労務費3万円アルバイト6,000円

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