正義とは完全無欠な時にのみ正しい
韓国ドラマ『ヴィンチェンツォ』で主人公がレ・ミゼラブルからの引用として、こう宣言してから復讐劇を開始します。
「正義とは完全無欠な時にのみ正しい」
言い換えると「中途半端な正義を振りかざすくらいなら俺は悪でいい」ということになります。
もちろん全20話で構成された本作もドラマとして非常に楽しめましたし、私が大好きな復讐劇だったので特に後半の4話は夢中になって観ることができました。
そして、一番心に刺さったセリフがコレだったということです。
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私は幼少期は「喧嘩両成敗」という言葉が嫌いでした。
“結局どちらも手を出して相手を傷つけたのだから両者ともが悪い”という考え方ですが、「いや、どう考えても先に手を出したほうが悪いだろう」と子どもの頃はそう考えては憤りを感じていました。
しかし大人になるにつれ、たくさんの人や社会の中で色んな場面に出くわすとなんとなく意味も虚しさも感じて同時に理解するようになりました。
「アイツも悪口を言ったんだからオレも悪口を言った」
簡単に表現をするとこうなります。やっぱりどっちも悪い。
先に言ったかどうかは関係無くて、“そこ”に降りて行った時点で同格ということです。
根本的な考え方としてやはり「先に言ったほうが悪い」という感覚は変わらないのですが、だからといって自分が同じようにそこに降りていって同じことをしてしまったのだとしたらやっぱり同格=どちらも愚か者ということです。
やはり正義=正しさを振りかざすのならば「完全無欠な正しさ」を身につけるしか無いのです。
相手と同じ土俵にまで降りてしまっては正義を口にする資格は消失してしまっているということを自覚するしかないのです。
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「まっすぐに立ってるか」
『うしおととら』の第十七章“霧がくる”というエピソードの中で、ヤクザ者の徳野さんが主人公に投げかけるセリフです。
自分の母親からずっと言われ続けてきた言葉がヤクザ者の脳裏に焼き付いていたようです。それを思い出して最後に自分の命を犠牲にして人々を救って絶命します。
「お天道様にカオを向けてまっすぐに立て」
昔の子どもはこんなことをよく親に言われたものです。私自身もそうでした。「自分の胸に手を当てて考えてみな」同様の言葉にはこんなものもありました。
そして大人になって気づいたことは「まっすぐに立って生きること」がどれだけ難しいかってことでした。
少年漫画の主人公としての蒼月潮はずっとまっすぐに立っていて最後まで我々を勇気づけてくれましたし、その姿に憧れみんなが心から応援できる人物でした。
しかし我々が生きているこの世界は現実であり、漫画の世界ではありません。漫画の世界と同様に正しくまっすぐに生きようと足掻いてもなかなかそうはさせてもらえません。
驚くほどの世の中の悪意や悪気に触れることでつい『ヴィンチェンツォ』のように「それならばこっちも悪で構わない」と考えてしまいがちです。
それでもピタリと寸前のところで足を止めてくれるのはやっぱり蒼月潮の屈託のない笑顔とまっすぐな目やぶっとい眉毛だったりするのです。
「オレは今まっすぐに立ってるか」
私は常に、毎日のように、こう自問しながら生きている葛藤人間です。そしてどうやらこうした葛藤はずっとこの先も人生の中で続いていくことを私は知っていますし、それを予感しながら生きていくんだと思います。
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なんか随分とセンチな文章になってしまっていますが、まぁそういうバイオリズムというかそういうタイミングに今私自身がいると思ってください。
それだけ自分が何かをやろうと行動した時に邪魔してくる人間が必ずいるし、それは行動した結果なんだしそれを「気に入らない」と口にしたり悪意をぶつけてくる輩は必ず存在するわけで、それは自分自身の「正しさの証明なんだ」って思いながら生きるようにしています。
蒼月潮のようにはまっすぐに生きられなくても、それを諦めて心を捻じ曲げて「別にいいや」って思い始めたらそれこそソイツラと同じになってしまいますので、やっぱり自分自身のカッコイイとかの感覚と信念の心の杖を支えに歩いて行こうと思うのです。
後半部分は完全に今やってる仕事の内緒話だし、そもそもなんで今回こんな記事を書いているのかって話になるのですが、まぁ定期購読者の方と興味のある方だけ読んでください。
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「人の心があるのならそれは撃てない」
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