見出し画像

第347号『一体何があった?なんて聞かないわよ』

「一体何があった?とかバカな事聞かないわよ 誰だってなんかあるからさ」

『エアマスター』に登場した崎山香織がエアマスターこと相川摩季に放った言葉がこれでした。

ショックなことがあって腑抜けになっていた主人公に対して発せられた言葉ですが、私の中ではずっとこの言葉がこだましています。

なぜなら「誰にだってなんかある」というのが自然で当然だからです。

毎日の変わらない日常の中を生きているつもりでも、だいたい「なんか」がありますし起きるのが普通です。

だって日々を一生懸命に生きているんだから。むしろ何も起きないことの方が珍しいってもんですよ。

「今日も一日何も起きなかった」ってことよりも「今日は一度も嘘をつかなかったな」なんて思うことの方が多い感じです。

それくらいみんな意識はしていなくても、実は日常の中の非日常の連続を生きているような気すらしますね。

それほど毎日は普通じゃないってことなんだと思います。

言い換えてしまうと非日常の毎日こそが平常運転であり日常であるということだと思いますね。

そして私自身もそうした非日常を日々追い求めて生きています。

*****

思えば幼少期から「退屈な毎日・平穏無事な日々」というものが嫌いでした。「もっと刺激的な毎日であれ」と願っては恋焦がれていました。

まるで少年漫画の主人公のように。『それ』を願ってただ退屈を憎み毛嫌うような少年時代を過ごしていたような気がします。

毎週の日曜日の夕方に『サザエさん』の放送時刻が近づくたびに「ああ、今日も退屈な日曜日が終わってしまう、本当にこのまま日曜日を終えてしまっていいのか?もっと刺激的な一日にしなくて良かったのか?」そう自問してもがいているような子どもでした。

退屈な日常が大きく変化したのは小学6年生くらいの頃でした。

ノートに自作のオリジナル漫画を描くようになってからです。

一気にそれまでの退屈な日常が「変化した」と自覚したことをハッキリと覚えています。

(模倣や模写ではなく)全くのゼロからの創作を自分で手掛けるようになってから一気に自分の世界が広がったような気がしました。

「モノ作りってこんなにも自分なんだ、自分の世界をさらけ出すってこういうことなんだ、なんだろう、これまでの自分とは明らかに異なるもう一人の自分が誕生した瞬間?これはもう記念日だ、オレは今・今日生まれたんだ」

子どもながらにそう実感しました。

*****

25歳になって仲間達と一緒に有限会社サイバーコネクトを設立してからは自分自身が完全に別の生き物になった気がしました。

自分が自分のド真ん中にようやく座った感じがしました。

それまでは少し離れたところから自分自身を眺めている感覚でしたが、それが完全に重なったというか、精神と肉体が初めて融合した気がしました。

それほど自己責任というか、自分次第・全部が自分という感覚で生きる自覚が持てたような気がしました。

そうなると少しずつ変化が起きました。最初の変化は言葉でした。

「寒い・暑い・眠い・キツイ・ダルイ・腹減った」という言葉を言わなくなりました。

「寒い・暑い、という言葉を発したところでその状況は改善されない、だったら無駄な言葉を口にするのはやめよう、ナンセンスだ、寒いと感じたなら服を着ればいい、暑いと思うのなら涼しくなれるように努めればいい、眠いと感じたなら寝ればいいし寝ることが許されない状況であればその状況を早く終わらせればいい、キツイ・ダルイを口にしても何も状況は改善されない、腹が減ったなんて口にしてもお腹は膨れない、だったら無駄口は叩かないほうがいい、黙って推進するのみだ、男なら、そう、男ならそうだ」

そう考えるようになってからは不思議とこういった言葉を口にすることは無くなりました。

全部が「無駄だ」と思うようになったからです。

「無駄だ」と感じるようになったのはヒマじゃ無くなったからだと思います。「そんな言葉を口にするヒマがあるのならまずは動こう」と考えるようになりました。

それからの日々は(あれから25年以上経ったけど)ずっとそういった言葉を発しなくなりましたし、今でも発していません。

*****

「忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐忍耐、必勝!」

これは私が敬愛してやまない漫画家・山口貴由先生の著書『覚悟のススメ』の単行本の著者近影コメントに書かれていた言葉です。

忍耐の果てに必勝を呼び込むことこそが人生である、そう言われた気がしました。こういった言葉に感銘を受ける程に私は(文字通り)昭和の子どもだったのかもしれませんね。

*****

さて、ここからは本日流れてきたある記事を紹介したと思います。

要約すると、ある同業の漫画家さんが『鬼滅の刃』を読んで感じられたことが書かれている記事です。

これを読んで思う所もあったので、所感をまとめたいと思います。

この記事における『省略の美』とは「努力する姿や修業するシーンを極力描かないことが現在のヒット漫画の秘訣である」ということを指しています。

その観点に対する私なりの考えを述べようと思うのですが、関係各社に配慮して表では言及しないようにしますのでご了承いただければと思います。

それでは張り切っていきましょう。

『鬼滅の刃』における「省略の美」とは?

まずこの記事の中でインタビューに答えられているのが、あの『19〈NINETEEN〉』『B.B.フィッシュ』『ホットマン』『刑事が一匹…』の漫画家・きたがわ翔先生だったことに驚きました。

ここから先は

1,851字

¥ 300

良かったらサポートいただけると嬉しいです。創作の励みになります。