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池袋暴走事故の加害者・飯塚受刑者が死亡したらしい

2019年4月19日に起こった池袋暴走事故で、加害者となった飯塚幸三受刑者(以下、飯塚)が老衰で死亡したというニュースが飛び込んだ。

池袋事故で、妻の松永真菜さん(31)と娘の莉子ちゃん(3)を失った(※いずれも事故当時の年齢)松永拓也さんが、Xに以下のように報告されている。

この投稿を見てまず驚いたのは、松永さんが自分の家族を殺した加害者に対して「ご冥福をお祈りします」というワードを使っていたことだ。

私たち第三者からすると「冥福を祈るような相手じゃないんじゃないの」「悔しくないのか」と思うに違いないが、きっと松永さん自身の事故への向き合い方、気持ちの整理の付け方がこの投稿に表されているのだろう。


事故当時は加害者の飯塚について、元高級官僚であり、かつ数々の華々しい経歴を有することが注目された。 
そのためなのか、報道で「容疑者」ではなくて「院長」という呼び名が使われていたこと、当日は高級フレンチに遅れそうだった(※真偽は定かではない)ことなど加害者の経歴や、逮捕されなかったこと、報道での扱い方が国民の反感を買い、SNSは「上級国民」というワードがトレンドに上がった。

飯塚本人、彼に対してその呼称を続けるマスコミに対する怒りのムーブで世間は怒りに包まれた。

確かにあの時、事故の悲惨さで被害者遺族に寄り添う気持ちよりも、加害者そのものに怒りをぶつける人の方が圧倒的に多かったことを覚えている。

その証拠に私の当時のSNSのフォロワー数名も、連日飯塚幸三に対する恨みつらみをSNSに書き込んでいた。
彼らは皆、普段は自身の境遇や社会に対する怒りをぶちまけていたが、あの事故が起きて数ヶ月は、その矛先が飯塚に向かったようだった。

交通事故遺族への寄り添う気持ち、事故を起こさないためにどうするべきかという議論よりも、怒りを原動力としたルサンチマン思考のエコーチェンバー現象がSNS上で巻き起こっている事実に集団心理の怖さを感じた。
この事故の悲惨さ、高齢ドライバーの身勝手な運転が未来ある命を奪ったという恐ろしさに焦点を当てて考えていた国民はどのくらいいたのだろうか。

なお飯塚自身は事故当時、被害者への反省の意を述べることなく、「車のブレーキが効かなかった」などと言い訳していた。
飯塚の判決が出るまでの間、松永さんにとっては空白で、長い2年間だったと思うし、計り知れないくらい苦しい思いをして来られたはずだ。

事故直後から顔を出して高齢者ドライバーによる事故の悲惨さを勇気を出して訴える松永さんに対し、何か個人単位でできることがないかと思い、微力ではあるが厳罰を求める署名に協力した。
そしてようやく事故から2年後の2021年、飯塚に禁錮5年という判決が下されたのだ。

時が経ち、今年の5月、松永さんは服役中の飯塚に面会して、言葉を交わしたそうだ。

松永さんは事故から5年経った現在も、加害者を恨むだけではなく、妻子の死を無駄にしないためにできることを、「関東交通犯罪遺族の会 あいの会」に所属しながら、事故の被害者、加害者が生まれない社会を目指すべく、前を向いて努力されている。

2度と戻ってこない妻子の命ではある。
その事実は変わらない中で、誰かがまた同じ悲しみを生まないように必死で活動に取り組んでおられるのだ。

松永さんの人生は大きく変わってしまったが、彼の「同じような事故を起こさないためにできることを考える、事故の怖さ、悲しさを伝えていく」という勇気ある活動は、交通事故で家族や大切な人を失った誰かの生きる原動力にはなっているはずだ。

今回、加害者の飯塚が死に、松永さんは「天国で妻と娘に謝って欲しい」と言っていた。
しかし、残念ながら仮に死後の世界があったとしても、彼は絶対に天国に行くことはできないと思う。

年齢的にも仕方なかったと思うし大方の人が予想してた結末だが、罪を償っている途中に寿命で死んでしまった。
飯塚は塀の中から松永さんに「申し訳ない」という手紙を送ったそうだが、心からそう思っていて欲しい。

どんなに華々しく社会から信用される経歴を持っていたとしても、運転の過失ひとつで命を奪ってしまったこと、ブレーキ不具合の事実無根な言い訳などで被害者をさらに傷つけ絶望に貶めた事実は決して変わらない。

松永さんにとってひとつの区切りとなった加害者・飯塚の死。
人生をかけて交通事故被害の啓発に取り組む彼が、穏やかに生きていかれることを、密かに願っている。

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