あの時の生活、続いていく生活
長いこと降り立てなかった地に、ようやく来ることができました。
この名古屋で、随分と長い時間を過ごしていた気がします。でもいつの間にか、東京で暮らしている時間の方が長くなっていました。
幼稚園、小学校、中学校、高校、1年間浪人して東京の大学に行くまで、15年間。この地でどれだけの人と出会って、笑って、ケンカして、泣いて、迷って、また笑って、助けてもらって。本当に15年間だったのだろうか、と思います。もっともっと長かったような。きっと毎日に一生懸命で、がむしゃらだったのでしょう。
不思議なもので、上京してから、東京で思い出す15年は、思い出ばかりです。修学旅行どこ行ったとか、友達と水族館に行ったとか、学園祭で好きだった人と写真を撮れたとか。
でも、こうやって毎日歩いた道を見ながらコーヒーを飲んでいると、東京で思い出すような思い出は、ほとんど蘇りません。目の前を通過するのは、何気ない、ここで過ごした生活ばかりです。学校の登下校、通学路の風景、お母さんと行ったスーパー、自転車を漕ぐ自分、学校の休み時間。何もない、何気ない、生活そのものです。
毎日に正直で、一生懸命な自分が、目の前を歩いています。
この地に戻ってみたいなんて、今までは少しも思ったことはありませんでした。あの生活は、この地を離れた時に、終わったと思っていたから。
でもそんなこと、あるわけがなく。
あの生活は、いつものお店が無くなっていても、キレイに舗装された道になっていても、まだ、ちゃんとこの地にありました。あの怖がりで、何もできなくて、それでも自分に正直に過ごしていたわたしは、まだ、ここにいました。
そんなわたしは、今、ここではない地で生活を続けています。あの時の自分は、今のわたしに会ったら、きっと驚くだろうな、なんて思ったりしています。
◇◇◇
この地で生活を営んでいる大切な人たちが、ここに大勢います。今回数年ぶりに、その大切な人たちに、ほんの一部ですが、会うことができました。
もう自分はここにいないのに、大切な人の生活に、自分の存在がある。帰ることができる場所を、大切な人たちが作ってくれる。
幸せなことだと、心から思います。
みんな、あの時の生活を懐かしみ、振り返りながら、また今日も、新しい生活を続けていきます。
そしてこの生活は、いつかまた、あの時の生活、に変わっていくのでしょう。
それぞれの地で続いていく生活。
帰れる場所があることに感謝して、また今日も、生活は続きます。