見て見ぬふりをしてきた、不鮮明なものの正体
「やられた」と思った。
長年、とりわけここ最近、見て見ぬふりをしてきたものの正体が、目の前に言葉で晒された。
わたしの中に確かにあるけれど、それはあまりに不鮮明で、歪なものだったと思う。本当は置いておきたくないのに、捨てることができない。吐き出したり消化したりしたいのに、それは言語化されることも、探し当てられることも、掴まれることも拒んでくる。大きいのか小さいのかもわからない、水のように形を変えてくる。
でもそれは誤魔化しようもなく、わたしの中にある構成成分。
わたしはこの