想像力の豊かさが、世界の豊かさをつくるのかもしれない
旅好きが集まるPOOLOというコミュニティで、自分と世界の豊かさについてチームで議論を進めている。
今の課題は、「2025年の理想の世界と今のギャップを考える」。
結論らしい結論にはまだなっていないのだけれど、議論を進めていくうちに浮かんだ個人的な所感を、今日は綴りたい。
情報との向き合い方
豊かな自分と世界をつくるために、「情報」とどう向き合っていくかが大事なのではないかとわたしは思い始めている。
たとえば、近所の一般的なスーパーに行って食品を買おうとするとき。
ほとんどの人が、品質と価格と量を見るのではないだろうか。意識している人だったら、産地や成分も確認するかもしれない。こういった情報は、見た目や表示を見れば基本的にはすぐわかる。
でも、もし地球にやさしいものを買いたいと思っても、ぱっと見てわかるようになっているとは言い難いと感じる。
それに基本的には少し高価になるので、生活に充分な余裕がある人でないと手は出しづらいのではないだろうか。
金銭的に恵まれているとしても、情報が足りないことで、「身体にも地球にもなんとなく良さそう」と思って買ったものが、実は表面的に良さそうに見せているだけで、裏では環境破壊などを起こしていることもある。
だから、自然に手に取って買えるものが、自分にも地球にも、作り手にとっても良いものだったら、それは豊かな状態だと思う。
では、情報の非対称性がなくなれば、世界は豊かになるのだろうか。
先述したように一見わからない情報が多い一方で、今世の中にはあらゆる情報が溢れかえっていて、真偽を確かめることが難しいのも事実だ。
残酷な現実を受け止めなければならず、受け取る側に覚悟が必要なこともある。
情報を集めすぎて、全部が間違いのように感じて、極論「自分なんて存在しない方がCO2排出量減るしいいのでは?」と感じてしまう人もいるかもしれない。
情報をすべて手に入れられたとしても、誰かの存在意義を否定してしまったり、生きる楽しみを奪ってしまったら、それは豊かとは言えないのではないか。
でも、臭いものに蓋をしていては、それはそれで世界は豊かにならない。
どうしたらそのバランスをうまく取れるのだろう。
情報の入手経路や質、さらには受け手側の倫理観なども関わってくるのではないかと、チームで議論を進めているところだが、まだ結論は出ていない。
想像力を豊かにする
わたしは、世の中のあらゆる問題は想像力で解決できると思っている。
なぜなら、相手の気持ちになって考えれば、相手が嫌だと思うことがなんとなくわかるから、ひどいことはしないし、こうされたら嬉しいだろうと思うことがなんとなくわかるから、優しく寄り添える。
世の中そんな単純な問題ばかりではないのかもしれないけれど、基本的には想像力で解決できるとわたしは思う。
仕事だって、そういう想像力から生まれるのではないだろうか。
わたしが思う仕事ができる人は、あらゆることを想像して動ける人だ。
想像して先回りして動ける人は仕事の質が高いし、本気で誰かのことを想像して作られたサービスは使いたくなる。
もちろん、相手の気持ちを100%理解することは、違う人間なのだから不可能だ。言わなければ伝わらないこともたくさんあるし、言ったところですべてを理解し合えるわけではない。
だからわたしはその想像力を高めるために、世の中のあらゆることを直接自分の目で見たいし、より世界を身近に感じられるようになると信じている「世界中に友達をつくる」ことを実現したいと思っている。
ここで紹介したいのが、ドラマ『3年A組ー今から皆さんは、人質ですー』だ。
再配信されているので(2022年3月現在)今更になって見たのだが、情報に踊らされている市民や、SNSの拡がりによって、わかりやすい痛みを感じないが故に欠如し始めた想像力について触れられていた。
(現代社会を生きる上でとても考えさせられるドラマなので、まだ見ていない方はぜひ見てほしい)
情報が気軽に発信でき、遠くにいる知らない人にも届けることができる現代。
多くの情報にアクセスできることにより助かる人がいる一方で、無意識に振りかざされる言葉のナイフによって、傷付けられている人も多くいるだろう。
ここで重要なのが、想像力だ。
この言葉を発したら、相手がどう感じるのか。どんなことが起こるのか。
たくさん想像する。無意識に誰かを傷つけて、死に追いやることのないように。
あらゆる情報を自分ごとにするために
情報化社会の中で豊かになるために大事なのは、表面的な情報を鵜呑みにするのではなく、想像し、自分ごとにすることではないだろうか。
だからわたしは考える。
想像力の豊かさが、世界の豊かさをつくるのかもしれないと。
だからわたしは行動する。
想像力を豊かにするために、旅をしていろんな人と出逢って、もっとさまざまな価値観に触れようと。
なんだか当たり前のような話になってしまったが、きっと当たり前のことって、簡単なようでいちばん難しかったりするんだよなぁ。