私がうしろを歩く男性に抜かしてもらう理由
夕方の習い事に行くため、自転車を押して坂道をのぼっている途中で、背後からおじさんにお尻を揉まれました。
お尻を揉まれている私は小学5,6年生。
相手は4,50代の男性でした。
夕方前の明るい時間、静かな住宅街。お尻を揉まれているという事実を脳が理解するのに2,3秒かかり、何のリアクションもせず数歩そのまま歩いた記憶があります。
何倍にも感じた長い数秒間で、「やだ。」と小さな声でつぶやくのがやっとでした。
振り向くと目が合い、男性は無言で離れて1番近くの角を曲がっていきました。
見渡す周囲に誰もいない中、仕返しされたり、何か言い返されることを想像したら何も出来ませんでした。
その後は震えながら平静を装い、止まらずに歩くことに一生懸命だったのを覚えています。
当時私はおそらく11歳で、わずかにあった知識から、女性の身体が男性の性的対象になり得ること、色々な偶然で今回自分がそういう目に遭ってしまったのだと、頭で理解することはできました。
服装はパーカーにデニムで、肌の露出はなかったですが、都心とはいえ前にも後ろにも通行人はおらず、まだ幼く自転車をひく私は痴漢するのにぴったりだったのかもしれません。
警察に言うべきことだと当時は知らず、自分が持つ情報では犯人は捕まらないだろうと思ったことと、性的対象になったという恥ずかしさから両親にも友人にも言えなかったです。
想像ではありますが、父も母も、驚き嫌な顔をして、どういう状況だったの?どうしてすぐに言わなかったの?最低だね。と言うような気がしていました。
いずれの反応であっても、私は恥ずかしくなり傷付くだろう気がして、何も言えませんでした。
その後人に話せるようになったのは社会人になって25歳頃のことでした。思い出すだけで気持ちが悪く不愉快で悔しくて悲しくて、それまで口にできなかったです。
今、人にこの話をする時、私は「本当に気持ち悪かった〜。」と、笑いこそしませんが、やや冗談めかして、重く受け取られないような話し方をします。
心からの自分の気持ちを話して、周囲の腫れ物に触れるような反応を見るのが嫌なのです。
周りにそんな反応をさせる経験をしたと、自分で認めたくないのです。
頭で理解は出来ても、当然ですが筆舌に尽くしがたい嫌悪感がありました。
今、私は普通の生活が送れていますし、好きな人と身体を重ねることもできます。
それでも30歳になる今までに、この出来事を何度も思い出し、思い出す度に心拍数があがります。
このままいくと、きっとおばあちゃんになって死ぬまで覚えているのでしょう。
そして私は、このエピソードに対して他の人がどう感じたかを聞くことが、とても怖いです。
ただ2,3秒お尻を揉まれただけだと思われるでしょうか。
性についてほとんど何も知らない小学生の私が、加害者が視界から消えるまでのあの数十秒もしくは数分の間、どれだけ怖かったか。
その嫌悪感の記憶をその後の人生で何度思い出すことになるか。
そんな2,3秒のことに何を躍起になってこんな文章を書いているのかと思われるでしょうか。
普通に生活できるレベルの被害で、もっと苦しむ人がいる中で、か弱い存在として被害者面をしていると思われるでしょうか。
女性としての魅力を遠回しに自慢していると思われるでしょうか。(女性としてと書いたのは、私が女性だからであって、女性に限った話ではないと思っていますが。)
弱さを前面に押し出し、守られるべきとやかましく権利を主張しているように見えるでしょうか。
大人になって、それ以上のことを恋人としているのに、大袈裟で気持ち悪いと思われるでしょうか。
こんな文章を書いて、大変な思いをした自分に酔っていると思われるでしょうか。
どれも全くの見当違いなことに間違いはありませんが、その意見に対して「違う!」と言い返し、当時の状況や私の気持ちを、反対している大勢の人達一人ひとりに伝えていく強さはありません。
自分の記憶に残る嫌な気持ちが100だとして、その嫌悪感が受け取り方や価値観・思想によって、50や30だと低く見積もられたとしても、本当は100の嫌な気持ちであると理解してもらうため強い姿勢で主張することが、私には出来ません。
その程度のことだったのではなく、人の意見に反論する度に自分の嫌な記憶を反芻することに耐えられないからです。
それでも文章にしてみようと思ったのは、さらに言えば、人目につく場所で公開してみようと思ったのは、私含め被害に遭った人の気持ちを少しでも見えるものにしたいからです。
今日痴漢に遭ってさー!と笑う女性が傷付いていない、という勘違いが世の中にあるような気がして、その思い違いをやめてほしいと思ったからです。
それから、加害者自身の持っている良心が曲がる瞬間に、少しでも気付いてほしいと思ったからです。
困っている人や大切な人に優しくできて、なぜ見ず知らずの抵抗できない人間に嫌がらせをするのでしょうか。
なぜ誰も見ていなくて、自分のしたことが露呈しなければ、それはセーフだと思うのでしょうか。
普通の顔をして社会生活を送りながら、痴漢はいけないと言いながら、なぜ軽い気持ちでするのでしょうか。
なぜ露出の多い服の女性は触られても文句は言えないという理論がまかり通るのでしょうか。
もしくは、なぜ被害者が喜んでいると思うのでしょうか。
何を見て何を聞いたのでしょうか。何を知っているのでしょうか。
痴漢した人もしてない人も、痴漢なんて受けたことない人も見たこともない人にも、全ての人に、様々な視点からよく考えてほしいです。
考えるにあたって、この文章が参考になれば嬉しいです。
思いやりと想像力のある世界を願います。
そして最後に、この文章が鼻で笑われないことを願います。