動き始めた、セカンドキャリア ~キャリコン受験をきっかけに~
キャリコンの試験がついに終わった。
今日の実技試験はできたかな〜という気持ちとまずったな〜という気持ちと半々。😢
時間を追うごとにできんかったな、と思ってくる。笑
でもとりあえず、もうひたすらに合格を祈るしかない…
今日は一旦節目ということで、せっかくなので、キャリコンの試験を受けるまでの足跡、覚えておきたいことを振り返り📖
①お得な給付金講座を利用して勉強したかった
オットとのこれからの暮らし方を考えて、この春10年勤めた会社を退職することを決めた。
動かないと死んでしまう、マグロのような体質の私は、この社会人お休みの期間もなんかしてたい!と思って、せっかくなら雇用保険の恩恵を受けたいと教育訓練給付金制度を使って学べる講座を探した。
前職で、人事に携わっていたこともあり、
転職をするなら人事総務系、人材系の仕事に就きたい!と思い、何かそれに役立つもの…と探しているうちに
キャリアコンサルタントの講座を見つけた。
専門実践教育訓練 になるらしく、条件を満たせば費用の最大70%の還元がある。
そしてこのキャリコンの知識があれば、難病で今後就労が難しくなるかもしれないオットの手助けができると思った。
この時はまだオットの体調もそこまで悪くなかったので、許しを乞うて
離職をする寸前にこの講座に申し込んだ。
②講座で気づく、自分の心の癖
講座へ行ってみるとわたしはぶっちぎりの若者だった。講習生は50代がメイン、次いで60代、そしてわたしともうひとりだけ30代。
みんな社会人の酸いも甘いも経験しているような諸先輩方だった。若輩者がゆえ、みなさんに可愛がっていただきながら筆記対策→実技(面接)対策とあっというまの4ヶ月を過ごした。
そして実技は、全然できなくて、毎回べこべこに凹んだ。
わたしは営業もやっていたので、表面的なコミュニケーションには問題ないのだが、
あと一歩のところで踏め込めない実感があった。
相手の気持ちに気づいているのだがどうアプローチしていいのかが分からなかった。
特に怒っている、悲しんでいるなど、マイナスな気持ちに気づいた時。
15分のロープレの中で、その気持ちを出すだけ出しておいて、終わってしまうということにロープレと分かっていてもどうしても抵抗感があったのだ。
あくまで試験対策なので、その15分しか講座ではやらないから、その先がわからずに、とてももやもやした気持ちになって終わった。
人の気持ちのテリトリーに勝手に入って、荒らすだけ荒らしてるんじゃないかと思うと、気が引けて、なんとかうまくまとめようとする癖がでてしまう。
なんだか畑を荒らす泥棒のような気分になってしまうのだ。
それは逆に言うと、わたしがずっと「わたしの気持ちのテリトリーに土足で入らないでくれ」と強く思って生きてきたからこそなんだろうと気づいた。
なにも苦労していないように見られるが、今まで書いてきたように、そこそこ山あり谷ありだった。
うまれたときから母は障害者だったし、ある日突然兄は骨肉腫になりきょうだい児になったし、今度は結婚したオットが難病になった。
けれども、「お兄ちゃんかわいそう」とか「ご主人大変ね」とか「がんばってね」とか、そんなの簡単に言ってくれるな、と思ってしまう大ひねくれ者なのだ。
笑っていても、心ではいつも泣いている。
「悲しい」「つらい」と言ったって、
わたしを取り巻く環境は楽にならない。
そんな簡単なものじゃない。
障害も病気も、治らない。
1番辛いのは当事者で、わたしではない。
だから、弱音は吐かない。
私は、誰にもツライ思いを言わずにここまできた。
ベースにこんなこじらせをかかえているもんだから、ロープレの練習が辛かった。
そんなマイナスな感情を、人に伝えたことがないからだ。
ロープレは、基本架空の設定でやるのだが、やはり役になりきるうちに、知らず知らずのうちに自分が投影されてくる。
•親の介護のために仕事を辞めるべきか
•自分のキャリアが決められない
みたいな例のとき、いつも自分が同じことを喋っているのに気づいた。
「どうしていつも自分ばかり諦めないといけないのか」
「親が納得するにはどうしたらいいか」
やけにこう言っていることに気づく。
おぉ。これはわたしの本音ではないか。
あるロープレのとき、フィードバックで先生がこう言った。
『この人(役)は周りの期待に添いたいと頑張ってるのよ。
周りが期待する自分で在りたいのよ。でもそれは、その人の人生じゃないんじゃないかしら。だから苦しいのよ。』
はっ!と気付かされる。
わたしはずっと誰かのための人生を歩んできたのかもしれない。
立派な人になって親の希望になりたい。
兄の送れなかった「普通の子」の人生を送って親を安心させたい。
上司のために身を削って成果を出したい。
オットのために仕事を辞めて一緒にいたい。
「わたしさえ我慢すれば。」
自己犠牲で人が幸せになれると思っていた。
それは、私の人生と言えるだろうか。
私がしたいことって、なんだろう。
そういうことをぐるぐる考えだしてからは、
『頑張ってきたんだね』『しんどかったね』とロープレで言われる度、
役になりきってるはずなのに、わたし自身に言われている気がして
何度も涙が出そうになった。
簡単に言われると確かに腹が立つ。
でも、ちゃんと聞いてくれてるという安心の土台の上だと、腹が立つどころか涙がでた。それを、身をもって体験した。
今までどうして、意地を張って、誰にも言わなかったんだろう。
言えなかったんだろう。
③忘れられない先生の言葉
実技の練習中、先生が言ったことで心に残っていることがある。
それは
キャリコンはいつでも相談者の味方にならないといけない。味方っていうのは、あなたが言ってることが全部正しいって賛同する役じゃない。
「この人の前では自分の嫌なところも思ってることなにもかも素直に曝け出せる」っていうこと。それが本当の味方よ。
そうかそうか。
相談者は、自分の言ってることをいいように綺麗にまとめてほしくて来てるわけじゃないんだな。
ここでしか話せない、誰にも話せないことを、
こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか?みたいなことを勇気を出して話しにきてくれてるのか。
それをこちらの色眼鏡で、良し悪しつけるんでも、綺麗にまとめてあげるのでもなく
言いたいことを素直に吐き出してもらえるっていうことが、キャリアコンサルティングのスタートなんだな。
そういうことを初めてきちんと勉強して、今まで人事として相談を受けてきた後輩たちの顔が浮かんだ。
あんまりいい面談してこなかったなぁ、と。
そして、わたし自身にも、そうやって素直に悩みを相談できる味方、あんまりいなかったなぁ。と。
もちろん友達には話を聞いてくれる子もいたけど、やっぱり愚痴ばっかり言ってしまうのも申し訳なくて。
仕事でほんとにつらいとき素直に話せたのは、オットだけだったなぁと思う。何に関しても、オットは120%、わたしの味方なのだ。
あぁ、わたしも、誰かの本当の味方になりたいな。
なれるかな。
講座を受けながら、心底思った。
④まだ合格の切符はもらえてないけれど
この講座と、受験を経て、講座代と受験料に見合うくらいの体験をさせてもらった。
不合格の烙印を押されたとしても、甘んじて受け入れて勉強しなおそう。(もう弱気)
人生100年時代、「働く」という時間がなによりも長い。
その長い時間を誰もが幸せに、「自分らしく」、豊かに過ごせるように、微力ながら力になれれば。
そして、できれば「生きづらい」と感じる方の支援ができれば。
実は、先日受けた就労移行支援事業所から、内定のお返事をいただけた!
わたしの教育分野でのマネジメント&育成経験を評価してくださったのだ。
わたしが素敵と思う人に、「いっしょに働きたい」と言ってもらえる。
こんな幸せなことがあるだろうか。
オットとの生活との両立を考えると震えるけれど、オットのことも伝えた上で、「ぴっぴさんの働きやすい環境を一緒に作っていきましょう」と言ってくださった。涙がでそうだった。
残された人生で、この御恩を忘れず、誰かに恩送りをしよう。
誰も取り残されない社会を作っていこう。
なにごとも、小さな1歩からしか始まらない。
わたしの第2のキャリアが、ゆっくりと動き出そうとしている。