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講評という名のラブレターをもらった

先日怖いもの知らずに出した企画の記事に対して


みこザウルスさんからうれしい講評をいただいた!!

家族とは、「倫理」や「教育」ではどうにもできないつらさの、最後の拠り所なんだと思います。
一緒に、本当はやってはいけないことを夫婦でやる。
単純に、いいなあ、こういうの……と思いました。
いいなあ、というのはなんだか無責任みたいですが、そうではなくて人間なにか限界を超えてしまったときにはすがるものは「倫理」や教えられてきた「教育」じゃなくて、一緒にこっそりそれを破ることのできる、破ってくれる人の存在なんだと思えたのです。

こんな言葉をもらえるなんて、思っていなかった。

私は昔から健康優良児で、小中高も皆勤賞で
(大学はその反動でちょっとのことで休んだりもしたけれど笑)

そんな私にとって会社を休むなんてことは
とてもとても勇気がいることだったのだ。

休むことがないから、なんて休めばいいかわからなくて
「頭が痛いので休みます。」という小学生みたいな理由で休んだ。
それを聞いたオットが、

「社会人は、体調不良なんで休みます、でええんやで。」と教えてくれた。
知らんよ。だって休んだことねーし。


めったに休まない私が休んだもんで、
次の日BOSSが、「頭、治った?」と聞いてくれた。
ずる休みのことを忘れて
「頭?」と聞き返した。

なかなかポンコツなわたしです。


よりどころ。


うん…うれしいなぁ。


オットとの話は、やっぱり身近な人におおっぴろにできる話ではなくて。

Noteを始める前は
平日、みんながお勤めにいっているんだろうなーって時間に
アパートの駐車場に、わたしと、オットの車だけ
ぽつーんと残されているのを見ると

毎日、毎日、切なくなった。


こんなにたくさんの人がいるのに
まるで地球上にわたしたちだけ置いてけぼりにされているような気がして。


Noteを始めてから、
日本のいたるところに、同じように置いてけぼりくらってるひとがいるんだと気づいた。

それは職場だったり、家族だったり、過ぎ去った昔のことだったり。

それはとても悲しいことなんだけれど、同時にホッともしてしまった。

わたしだけじゃないね。


とても細い、細い線でわたしたちはつながっているんだと、
勝手にそう思ってる。

今日もわたしのnoteに遊びに来てくれてありがとう。
みんなはわたしの心のよりどころです。



おいしいごはんを食べよう。
楽しいむだな時間を過ごそう。
じょうずにさぼって、どこかで笑ってこよう。
あなたが誰かを大事にしているように、
誰かさんもあなたを大事に思っています。
 ―――糸井重里「ボールのようなことば」



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