死にたいのその先。
中村文則さんの何もかも憂鬱な夜にを読んだ。
今回はパラ読みではなく、ちゃんと読んだ。
読めたとは言わないけど。
たしか三四郎がラジオで教団Xを説法小説と揶揄していたことで私はこの方を認識している。(失礼かよ)そして、ピースの又吉さんが絶賛していたことでも認識している。
だから、とてつもなく難解で救いようのない暗い話ばかり描いている人だと思っていました。すみません。そんなこと、なかったや。
この本の文章はとてもきれいで、やわらかく、読みやすかった。うまく表現できないけれど、文章のわかりやすさが絵本。とにかくするする入ってきたからとても心地よく読めた。
これはこの作品を読んでの私の偏見と勝手な認識だが、この人はとても宗教とか神とかそこにある人の生の価値とか命とかそういうものにすごく興味があるのかな。なんて思った。
この小説の中でも人の命の重みについてすごくすごく考えられていた。
現在というのはどんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、その何億年の線という、奇跡の連続は、いいか?全てお前のためだけにあったと考えていい。
たしかに、と思った。これは1つの真理ではないかと思う。人の命の重みなんて、きっと現代という秤では測れないのだろう。ずっとずっと続く過去からの時間の連続。これがどれだけの価値を持つのかわからない。わからないし、測れない。しかし、測れないからこそ大きく、価値がある。と、私は考えている。
それは形と命を持たぬ者が巡った途方も無い時間であり、命あるものが生きぬいた時間の連続だ。
こんな当たり前で、壮大なことまで気づいちゃうなんてこの人、しゅごい、、、と思ってしまった(私の感想の小並感よ)
とにかく、死刑制度のくだりもだけど命への考察が深い。そして作者自身のブラックな、鬱屈とした思春期の衝動も垣間見える。ここまでかける人が思春期にモヤモヤしていなかったはずがない!と私は踏んでいる。(何様なんだろう)
今の自分になんの救いも希望も見出せない人がいたらちょっとは心が動くのではないかと思う。
死にたいという思いは、本当に死にたいという思いよりはるかに別の、救いを求めた意味合いのほうが大きい言葉だと私は思っている。だから、私のいう意味の死にたい人にこの本が届いたらなぁと思う。
あなたの死にたいの先に、待っていて先をみて、光を見つけてくれる人、その一人がこの作者ではないかと思う。
別に正論がかざされているとは思わない。
内省的部分はどこまでも闇が深く、暗い。しかし、生きることには光が当てられているのだ。
生きている価値ってなんだろう。これは生きていたら誰しもが思って答えを見つけようとしている問いだ。その1つの答えがきっとこれだと思う。
誰しもの死にたいの先に光がみつかりますように。
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