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【短編小説】養殖

 ——私は自分の部屋に逃げ込み、この文書を作成している。今、部屋の外には無数の『可愛い子供達』が蠢いていることだろう。この部屋を飲み込むのも時間の問題だ。
 ただ、二時間は安全が約束されている。私の『可愛い子供達』は芳香剤の香りが苦手だからだ。私は十分に一度、スプレー型の芳香剤を吹いて、『可愛い子供達』の侵入を防いでいる。
 これだけの時間があれば、充分に今の状況を書き残すことが出来るのだろう。

 原因は全てあいつにあるのだが、それにしても、しかしまさか、こんなことになるとは思ってもみなかっただろう。(そもそも、こうなることを予測することなんて不可能だが)
 正直、生みの親である私でさえも、ここまでになるとは予測できず、驚いた。これは大変喜ばしいことである。

 では、本題に入ろう。
 『昆虫食』という言葉は聞いたことがあるだろうか。知っていたとしても、不快感を示すだろうか。
 どちらでもいいが、私の先祖は代々この『昆虫食』についての研究をしてきた。
 私が住む土地は、今でこそ満足に衣食住が満たされているが、曽祖母が子供の頃は、決して恵まれた土地ではなく、特に食べ物に関しては、壊滅的だったのだ。
 一体どんな理由があったのかはわからないが、農作物は満足に育たず、畜産も上手くいかなかったらしい。
 わずかに魚は取れていたようだが、それでも、満足に、とはいかなかったようだ。
 そして、口にしたのが昆虫だったわけだ。
 もちろん、昆虫を食べる文化というのは、そんなに珍しいことではない訳だが、一つ、誤解がないようにしていただきたいことがある。
 それは、我々の一族が仕方がなく、昆虫食をしていたという訳じゃないことだ。
 もちろん、土地柄もあり選択肢が昆虫食しかないのは確かであったが、その事実は、昆虫食を誇りを持って食す人間にとっては些細な誤差でしかなく、むしろ我々は昆虫食に対して尊敬と威厳を持っていたのだ。
 それは、曽祖父が残した書物からも読み取ることが出来る。
 その書物は全て曽祖父の手書きで、イラストも結構上手に描かれている。正式な題はないが、叔母は『料理本』と呼んでいたし、父は『レシピ本』と呼んでいた。
 それは、一般的な家庭においての『料理本』や『レシピ』と同じ意味で使われていた。違いといえば、掲載されている料理の材料が野菜なのか、肉なのか、昆虫なのか。それぐらいだ。

 ここに一つのレシピを紹介しよう。 
 料理名は『アリ炒め』。なんのひねりもないものだ。材料はアリと塩と油と水だけ。水を沸騰させ、アリを入れる。茹だったアリは、湯を切りキッチンペーパーで水気をよく取る。次に油を適量入れたフライパンに、先ほどのアリを入れて強火で炒める。芳ばしい香りが漂ってきたら、塩で味付けといった具合だ。
 学生時代によく両親が作ってくれた、思い出の一品だ。こんがりと焦げたいい匂いは、家に入る前から私の食欲を刺激するので、友達との遊ぶ約束を蹴ってでも食べることが頻繁にあった。
 この『レシピ本』には、調理方法だけでなく原料調達の方法も載っている。『アリ炒め』は調理が簡単な上、原料調達もさして難しいところはなく、一人暮らしを始めた頃にも大変お世話になった。その時に訪ねてきた親戚が私の食事を心配していたので、『アリ炒め』が作れるので大丈夫だと伝えると、それは料理に入らないよと言われ、なんとも惨めな気持ちになったのを覚えている。それ以来、あまり人に対して『アリ炒め』のことを話さなくなったが、やはり『アリ炒め』は私の得意料理だと、あえて書いて残そうと思う。この文書は現状報告と共に、遺書の役割も果たすはずだからだ。

 我々の一族が残した物は『レシピ本』と他にもう一つある。それは、裏山の川沿いに建てられた薄汚い二階建ての小屋だ。ここは、昆虫を養殖する施設であり、より栄養価が高い昆虫を効率よく増やせるように工夫が凝らされている。
 当時は大した施設はなかったそうだが、今は優れた設備がある。これは父の手腕だろう。
 一例を挙げると、例えばカブトムシの幼虫についてだ。
 カブトムシの幼虫は、土に埋まりながらも酸素を吸っている。しかし、土の中の酸素がなくなると表面に出てくるのだ。一般的に、土が濡れているとそういう現象が起きるのだが、父はそれを利用し、百匹近くいる幼虫たちを一息に土から取り出す設備を作った。
 酸素濃度と、土の湿り気をコントロールするのが主な仕組みなのだが、これで、いちいち土から掘り起こさずとも、スイッチ一つで、翌日には土の上に絨毯のように広がる幼虫を拝める訳だ。
 他にも様々な装置があるが、それについての詳しい説明書は、『レシピ本』に詳しく載っているので割愛する。

 ここまでは、記録だ。過去に曾祖父母、祖父母、両親が残してきた歴史に過ぎない。
 現実は常に先に進んでいる。生活をより豊かにするための一歩一歩が足跡を残し、歴史を紡ぐわけだが、我々の一族もその一歩を踏み出すための努力をし、遂に、遂に私がその足跡を残したのだ。
 あいつにさえ出会うことがなければ、私は栄光を手にしたのかもしれないのに!
 いや、もう過ぎたことだ。御託を並べるのはやめよう。ただ、あいつのことについては、少し詳しく書き記しておきたい。もし、この事件が落ち着いて、調査をすることができるようになったら、その時に私とあいつのどちらが正しかったかをしっかりと判断して欲しいからだ。

 あいつの名前は森。下の名前は知らないし、これが本当の名前なのかも分からない。ただあいつは森と呼んでくれ、そう私にいった。
 森との出会いは、今思えば奇妙なものだったが、ボランティアのゴミ拾いだといわれれば、確かにそう見えなくもないし、そこで突っかかったりもしなかったのだ。
 その日私は、いつも通り裏山のプレハブ小屋で、昆虫の世話と研究をしていた。
 私は生活の殆ど全てをプレハブ小屋で過ごしている。食事に関しては昆虫を食べればいいし、近くの川で水も取れる。もちろん無職であるが、それは両親が認めた上でのものだった。昆虫の世話をするのが私の仕事だということだ。
 その日は、塩やら餌やらを買いに行く予定があったので、まだ日が出ているうちに山を降りたのだ。歩いて二十分で近くの道路まで行き、そのまた近くの空き地に停めてあるトラックでそのままスーパーに向かった。
 買い物が終わり、空き地に戻った頃には日は沈んでいて、荷物をプレハブ小屋に運び込むのに丁度良い時間になる。
 実の所、このプレハブ小屋は届出等は出さず勝手に建てたもので、あまり人目につくと良いことが無い。なのでなるべく遅い時間に買い出しに行ってる訳だが、丁度台車に買い出したものを乗せてる時に、森と出会ってしまったのだ。
「こんな時間にどうしたんですか?」
 森は蛍光の黄色い帽子と蛍光の緑のベストを着ていて、二十歳か三十路か分からないが、あどけない印象がある風貌だった。そういえば、年齢は最後まで知ることは出来なかった。
 もちろん、そんな目立つ格好の奴だ。遠くからやってくるのは見えていた。しかし変に逃げたりしても余計怪しまれるだけだ。実際、この辺りで人に会ったのはこれが初めてではない。そして出会った時は決まってこう言うのだ。
「狩猟の為に色々と準備をしてまして……」
 大体の人間はこれで去っていく。少し微笑むくらいな感じで、はっきりというのが良いみたいだ。ただ、この嘘は森には通用しなかった。
「へー。でしたらあれですよ。ここは狩猟区域じゃないわけですが?」
 ここが狩猟区域じゃないことは知っていたが、まさかこんな蛍光男にそのことを指摘されるとは思わず、少しだけ慎重になることにした訳だ。
 私は地図を取り出し、場所を間違えたふりをして、正しい区域に移動すると約束した。
 ただ、狩猟区域に詳しい森の事が気になったので、少し話を聞いてみた。どうやら、普段は狩猟を趣味でしていて、それで区域のことも知っているのだった。ちなみに今日は、普段の狩猟の恩返しを山にする為にボランティアのゴミ拾い兼パトロールをしていると、良い笑顔で森は言った。そして、その日は特になにもなく別れたのだった。

 それから一週間後、また森とあった。今度は私が買い物に行こうとするときで、その時の森はこれから狩猟をするらしく、それらしい格好をしてた。そして、なぜか私を誘ってきたのだ。
 普段の私なら、この誘いは受けない。私には研究があるから、そんなことに時間を使ってられないのだ。しかし、この日は違った。遂にその研究が成功したばかりだったのだ。
 私は曽祖父の代から続いていた実験が遂に終わりを迎え、少し羽目を外したかったのだろう。
 だから少し浮かれ気分で、森と一緒に山の中に向かったのだ。

「罠を仕掛けるだけなんですよ」
 森はそう言って、落とし穴を掘っている。私は服が汚れるのが嫌だったので近くにビニールシートを小さな正方形の形にして敷き、その上に座って作業の様子を見ていた。
 湿った土の匂い、人間の汗の匂いに寄り付くハエ。地べたについたジーンズから這い上がり、シャツと背中の隙間に素早く身を隠す甲虫だろうか、バッタだろうか。
 蛾が口に飛び込んできた。私は唇で潰して吐き出す。調理されていない昆虫を食べるなんて、一族の名誉に関わる。
 私は山の空気を目一杯楽しみながら、森に取った肉はどうするのか聞いた。森はギロリとこちらを見てからとても落ち着いた声で言った。
「別に、食う為にやってるんじゃないんですよ。強いていうなら……」
  森はそこでわざとらしく話を区切り、薄ら笑いを浮かべた。掘った落とし穴に、何か別の仕掛けをつけ、その作業が終わるとまた私をギロリと睨み、勿体振るようにしてやっと口を開いた。
「強いて言うなら、生態系のバランスを整えているんだ」
 それは奇妙な言い回しだった。しかし聞き流した。ここでなにか反応をすれば、思わせぶりでなかなか核心をいわない長ったらしい話が始まる気がしたからだ。私は思わせぶりで長い話が嫌いだ。
 森は罠を仕掛け終わると、次はゴミ拾いに行くといった。私は先ほどの思わせぶりな言い回しですっかり冷めてしまったので、そこで別れることにしたわけだ。
 山を降り買い出しに向かう。途中、蛍光服に身を包んだ老人と出会った。なにやら私に向かって止まるようにいいたいのか、両手を突き出している。
 特別急いでるわけでもないので、車の窓を開けて老人の対応をした。
 皺だらけのまぶたから鋭い眼が覗いた。
「にいちゃん、この山で人が死ぬ事故がよく起きるのは知ってるかい?」
 少しだけ聞いたことはあるが、山に引きこもっている身としてはそういったニュースはほとんど耳に入らない。私は知らないと伝え、一体どんな事故なのか聞いてみた。
「まあ、ただの事故ならいいんだがね。踏むと足を括る罠があるんだけども、その罠が人でも分からないくらいに巧妙に仕掛けてあるんだ。それで狩猟に来た別の人間がそこに引っかかっちまうんだけど」
 先程、森が設置していた罠を思い出していた。ただ、あれくらいの罠で人が死ぬとは思えない。
「普通、それくらいの罠に引っかかったくらいじゃ死なないよ。ちょっと不愉快なだけでさ。少し時間は掛かるが外すのだって難しくないよ。ただ、問題は別のところにあってね。そのあとに決まって毒蛇やら毒蜘蛛やら毒蛙が現れて、その人間を殺しちまうんだ」
 この老人は、少し回りくどい話し方をするのですぐさま話を切り上げたかったが、この事件が大きくなっていけば私のプレハブ小屋の存続が危ぶまれそうなのと、私自身が疑われる可能性があり、いい加減な対応は出来ないと思った。なるべく笑顔を心掛ける。
「にいちゃん、ここら辺には他にも狩猟者が見回りをしてるからなにかあったら、私達にいってくださいな」
 それでも私の不機嫌が伝わってしまったのか、老人は私に電話番号を渡し、小さくお辞儀をして去っていった。電話番号は白黒印刷のいかにも素人くさい狩猟者たちのパンフレットの下の方に載っている。

 買い出しを終えプレハブ小屋に帰る途中、またも森と出会った。森は手に持った袋に金属の小さな塊を入れているらしく、小さな鎖を引きずっているような音がした。
「あ、今日はよく会いますねぇ」
 もう辺りは暗い。それなのにライトも使わずにゴミを拾っていた森は私を見るなりそう言って、ふらふらと近づいてきた。
「ここは区域じゃないんですが、なにしてるんです?」
 森は私を警戒しているのだろうか。仕方なく野草を取りに来たと言った。丁度ここら辺にはお茶になる葉も多く、実際取りに来たことも何度かあるので、嘘にしては現実味のあるものだ。
 森は納得したのかしてないのか、表情を変えない。しょうがなく、私からなにをしているのか便宜的に聞いた。
「ゴミ拾いですよ。ここら辺も結構多くてですね」
 そう言ってすぐ、足元にあるお菓子の箱をゴミ袋に叩き込んだ。

 結局、森と行動を共にすることになった。私は早くプレハブ小屋に帰りたかったのだが、森がついてきてしまうので帰れずにいたのだ。
 森には、プレハブ小屋の存在を絶対に気付かれてはいけないと思っていた。結果それは正しかった。ただ、理由は少し違うものだったが。
 この時、森は私を疑っているのだと思っていた。この山の狩猟者が罠にかかり死んだ事故の、犯人だと疑っているのだと。もし、あのプレハブ小屋を見られたら、隠れて毒グモを仕込んでいると思われても仕方ないだろう。

「あれ、これもお茶になる葉じゃないですか?」
 森は真剣にお茶になる葉を探してくれていた。私の方が申し訳なくなるくらいだ。それからしばらく無言が続いた。この時の私は、森に試されている気がしていた。このままだと、事件の犯人に仕立て上げられてしまう気がして、いても立ってもいられなかった。
 だから私は、少しでも森のことを知り本意を探ろうとした。それでまず、一緒に罠をかけた時に言っていた、奇妙な言い回しについて聞いてみることにしたのだ。
「はい。生態系を整えるんですよ。罠を仕掛けて数を減らさないと、ぶくぶく増えていく。だから殺すんです」
 森のこの考えは、人間を生態系の中に位置づけする考え方からかなり遠い。もはや人は生態系という自然との繋がりから離れ、絶対的な地球の管理者をしていると勘違いしているのだろう。
 私はこういう考え方が嫌だ。なぜなら人間の行為は全て自然現象であると考えているからだ。効率を求める事、兵器を開発する事、大量生産、大量廃棄、これらの行為がが、昆虫が巣を作る事や、動物が他の動物を狩る事となにが違うのだろう。私は今になっても分からない。
 野草を受け取り、その種類を確認していると森が私の腕や足をジロジロと見てから質問をしてきた。
「あなたは、随分体が細いみたいですけど、ちゃんとご飯は食べてるんですか?」
 そういう森も、線はかなり細い。カマキリのようだ。私はちゃんと食べてることを伝え、森に対して同じ質問を返した。
「いや、恥ずかしながら好き嫌いが結構ありまして。特に加工食品があまり好きじゃないんですよ。最近は結構山に入っていて時間もなく、食べられる物もないですし」
 こんな豊富に昆虫がいるこの山で、食べられる物がないと言い出す森が少しだけ滑稽に見えた。
 それから森がチラチラとカマキリのような虚ろな目でこちらを見始めた。どうかしたのか聞いてみると、少し早口で喋り出す。
「実は、ここだけの話、この前アリを食べたんです」
 おもわず手に持っていた野草を落とした。
「ちょっと、そんなに驚かないでくださいよ。やっぱり気持ちが悪いですか?」
 その言葉に笑ってしまう。私は、その話の続きを聞いた。
「はい、これが食べるものがなにもなくて。というわけじゃなかったんです。山に篭って、じっと座っていた時なんですけど……魔が差した。とでもいいましょうか。昆虫を食べることがどんなことなのかを知りたくなったんです。普段は、肉や野菜や魚、卵などを食べている我々人間が、一体昆虫を食料と考えないのはどうなんだろうか? なんて思いましてね」
 森は手に持ったゴミ袋から薬莢を二つ取り出して、月が地球の周りを回るのと同じ要領で、擦り合わせながら遊んでいた。
「アリの巣を掘ったんです。まぁ、うまく掘れなくてほとんど埋まってしまいましたが、それでもかなりの数のアリが出てきました。その中でもとりわけ大きなアリをつまんで口に運んだんです。そしたらね、意外に食べられるんですよ。全然気持ち悪くないんです」
 アリを生で食べる神経は理解できなかったし、たかが食べ物の選択でそこまでいろいろなことを考えるのは馬鹿らしいと思った。
「私は、口の中でアリの動きを感じている時に思ったんですけど、昆虫っていうものは死ぬことに対して恐怖を感じないんでしょうか? 口の中のアリは地面を歩いているのと全く同じ動きをしていたんです。死を恐怖した時のもがきを感じませんでした。えぇ、あれは死んでいるとか、生きているとかを理解してませんね。ただ、反応だけで生きている。反応がたまたま生きることにつながっているだけなんでしょうね」
 それはそうかもしれない。しかし、それなら人間も同じである。なぜなら、感情もただの反応だからだ。しかし、反応に対して感情が伴うのは果たして利口なのだろうか? そんな話をしても、森には伝わらないだろうが。

 私の片手いっぱいに葉が取れた頃、解散の流れになった。別れ際、あの事件のことを森に尋ねてみた。
「物騒ですよね。あなたも気をつけてください。まぁ、ここら辺は大丈夫でしょうが。ではまた」
 そして私たちは別れたわけだ。
 ここまでが、一昨日の夜までの話である。この時までは森に対して悪い感情は持ち合わせてなかった。むしろ、昆虫食を通して戦友のような気持ちすら抱き始めていたのかもしれない。
 しかし、昨日の昼。強いにわか雨が降り出したその頃に、全ては一変してしまった。
 その時、私は二階にある自分の部屋で、ブランデーを飲みながらドリトルというアルバムを聴いていた。突然降り始めた雨音も音楽の刺激になり、とても心地よい時間だった訳だが、そんな憩いのひと時は扉を乱暴に叩く音で終わったのだ。
「誰かいるんですか? 何故? 何故こんなところに小屋があるんですか? 何故?」
 森の声だった。私はとっさにドリトルの猿の歌を止め、コップに残っていたブランデーを飲み干した。やけにべたついた汗をかいていたのを覚えている。
「私はね、無理矢理にでも開けますよ! いいんですね! え!」
 ほとんど裏返った声で叫んでいる。頭がおかしいと思った。このままだと本当にドアをぶち壊されると思い、覚悟を決め森を迎え入れることにした。
 急いで階段を降り、ドアを開ける。パンツしか履いていないのに気がついたのは森と目があった後だった。
「あれ? ど、どうしてここに?」
 口の端に唾を貯めた森が、目をまん丸に開いて私をじっと見ていた。
 私は、私がここにいる理由を正直に答えた。隠しようもなかっただろうし、なにより森がアリを食べ、そのことに理解を示したというあの話を聞いて、このプレハブ小屋を案内してみたい気持ちがあったのだ。
 森は話を黙って聞いていた。そして私が家の中に招き入れると静かについてくるのだった。
 カブトムシの幼虫の絨毯、アリが甘い匂い誘われ自ら収容される死の箱、濁った水の上であり得ない密度を持ったハエの大群、刃物が仕込んである筒から、真っ二つになって現れるムカデ、その他様々な昆虫の養殖施設を見せて回った。
「これは、全部あなたが?」
 そのほとんどは曾祖父母の時代に雛形が完成しており、私は手直しをしただけだ。それを伝えると「そんな昔から……」と小さく呟いた。
 そうして部屋を回りながら、とある扉の前にやってきた。このプレハブ小屋は祖父母の代に増設され、この部屋の奥の扉からもう一つの部屋に行くことができる。
「扉の向こうにも、なにかあるんですか?」
 そこには、我々一族の大きな一歩。そして世界の在り方を根本から変える可能性を秘めた私の、『可愛い子供達』が静かに眠っている。
 その、立て付けの悪い扉を開けた。丁寧に開けたつもりだが、横暴な音がする。
「こ、これは? ……なんだ?」
 森が唸るように言ったのを覚えている。それから、私の家を出るまでなにも喋らなかった。

 私は今、スプレー型の芳香剤を吹いた。その量は目に見えて減っていた。しかも、少し前から吹く感覚が短くなっている。ときおり『可愛い子供達』がドアの隙間からすり潰されながら入ってくるからだ。それを見ていると、焦ってしまい、無駄撃ちが発生するのだ。
 いよいよリミットが迫ってきている。少し気分を落ち着ける為に、昨日から置きっ放しのブランデーを瓶から直接飲み、ドリトルを流すことにする。
 さて、では今朝の話だ。

 あまりにも残酷な音で目が覚めた。それはこのプレハブ小屋をドアを破壊する音だった。私は急いで二階から階段を降りると、背中に猟銃をかけ、手には大斧を持った森がいた。
「おい、ここの生き物を全員解放するべきだろう!」
 ストローを無理矢理引き伸ばしたような叫び声で突然そんなことを言ってきた。私は、どうしたんだと森に聞くと、表情を無理矢理、柔和にして気味が悪いほど穏やかに話し始めた。
「あなたはここで、生き物を生み、育て、殺している。それっておかしいことなんですよ。いいですか? 人間は植物だけで生きていけるんです。ここまでは分かりますか?」
 分からないとは、いわせる気のない高圧的な言い方だった。そもそも、森は狩猟をする身であり、なぜ菜食主義者のようなことを話すのか分からなかった。しかし、そんなことは聞けず黙った。
「なにもいいませんか。とにかく、ここの昆虫達をすべて解放すればあなたを許すと言ってるんです」
 そう言いながら、すでにいくつかの施設は破壊されていた。先代達の顔が浮かんだ。虚しさにつつまれる。そしてなにより、一度は認めかけた男に、意味もわからずこんな仕打ちを受けることが悔しかった。
 ただ、生きていれば、またやり直せる。だから森を逆上させず、乗り切ろうと自分に言い聞かせた。
 森の破壊行為はどんどん加速していった。その表情は恍惚を感じさせ、私は気持ちが悪くなる。
 それでも私は必至に自分を落ち着かせていた。
 しかし! あの扉に! 我々の一族がその人生を賭けて作り上げた結晶が詰まったあの部屋に! 森が手をかけようとした時、私はやめろと叫んでしまった。
 それはもう、止めることができなかった。すると森は血の色を変えて、私に猟銃を向けながら叫び始めた。
「うるさい! 結局お前も残酷な食肉者たちと一緒なんだ! 私は許さないぞ。お前も殺す。あの狩猟者たちのように殺してやる! 俺は昨日ここにきて気がついたんだ! 昆虫だって生き物なんだとぉお。あぁ、あの日私が口にしたあのアリたちにも人生があったのに! こんな風にたくさんの昆虫が残酷に殺されるためだけに生まれてくるのを見せられたら! あぁ、なんてかわいそうなんだと思わないのか!」
 くだらないと思った。そんなくだらない理由で私のプレハブ小屋が破壊されているのだと分かり、さらに虚しくなる。人間がなにを食べるのも、人間の本能であり生態系の一部なのに。しかも、昆虫食に関してはなんと自分勝手な解釈なのだろう! 自然界に自生する昆虫を食べた時には、なんの気持ちが湧かなかったくせに。昆虫がバカなものと決めつけ、自身の感情が動かなかったからだ。しかし、施設の中での効率的な死を見せられて途端に、かわいそうだと思ったらしい。きっと、膨大な数の昆虫が動くさまに自身の感情が動かされたのだろう。なにが、かわいそうだ!
 森は部屋に入っていく。私もその後を追った。
 その部屋の真ん中には大きな水槽がある。いっぱいの水が入っており、常に満たされた状態になるよう水を流しっぱなしだ。水槽の下には受け皿があり、そこで溢れた水を受け止め、また水槽に戻るようにしている。
 水槽の水は塩分が含まれている。海水でもいいのだが、今はスーパーで買ってきた塩を混ぜているのだ。水槽の水面の上空には、格子状になった塩ビパイプがぶら下がっており、そこに等間隔でビニールの球体がぶら下がっている。その球体はちょうど水面に接するように調整されており、また水面に接する側に穴が開けられている。
 これが我々一族が発明した養殖施設である。
 この養殖施設の使い方はこうだ。ビニールの球体に、塩水と空気で繁殖する昆虫を入れる。すると、袋の中いっぱいに昆虫が育つ。しかも、袋がいっぱいになれば中の空気がなくなりそのまま繁殖が終わるのだ。ちょうど袋一個分の昆虫袋ができ上がる。あとはその昆虫袋を茹でたり、干したりして食材化する。
 この方法は、純粋に昆虫のみを増やすことができ非常に効率がいい方法だ。しかも、ビニールの球体の大きさ以上に増えることがなく、管理もしやすい。しかし、実現させるのは不可能であった。それは、塩水と空気のみを餌にし、なおかつ高い繁殖能力を持つ昆虫など居なかったからだ。
 しかし、そんな無謀な施設を考えるほど曽祖父も暇ではなかっただろう。そもそもの始まりは、異常な繁殖速度を持つ甲虫の発見なのだ。その甲虫は、親の体を食いちぎりながら生まれた。そして生まれてすぐにその体内に新たな卵を宿していたのである。そしてこの甲虫はみるみるうちに数を増やした。
 曽祖父が気が付いた時には、このプレハブ小屋(その頃は木造であった)の床一面にその甲虫が絨毯の様に這っていたようだ。しかし、餌が足りず、そのほとんどは死んでいた。
 急いで生きているのを捕獲し、その繁殖速度の速さに驚いたわけだが、曽祖父の考えはそこで終わらなかったわけだ。
 全ての生き物は、その同族とは違う形で生まれることがある。しかし、そのほとんどは生きるに値せず短命だ。だが、それが進化の失敗だとしたら? そのチャンスは生まれた時にのみ起こる。だとしたら、異常なほどの繁殖速度をもつこの甲虫には進化のチャンスが限りなくあるのではなあか。曽祖父はそう考えたらしい。それからは、増え続ける甲虫を塩水につけ、生き残ることが出来る個体を探す実験を始めたのだ。
 そして、進化は起きた! 曽祖父の代から私の代に至るまで何度も行われたその実験は、成功したのだ。森と共に罠を仕掛けたあの日、私は目にしていたのだ『可愛い子供達』が生まれる瞬間を!

 森が水面でパンパンに膨らんだビニールの球体を、切り裂こうとしていた。
「なぁ、俺はお前を殺すよ。この虫さんたちを逃がして、お前を殺す。いいか、理由を教えてやる。冥土の土産だぜ。よく聞け。俺はこの山は守るって決めたんだ。世界は鳥、豚、牛を無残に殺すことをやめない。どんなに声をあげてもダメなんだ。だからさ、俺は決めたんだ。この山だけでも守るって。なぁ、俺がどんな気持ちで狩猟免許を取ったか分かるか? 取る為に動物の皮を剥いだりするんだよ。俺はこの山の動物を守る為に動物を殺して意味があるのかって自分を責めたよ? だけど、それでもやらなくちゃいけないんだ。この山で狩猟をする奴らを全員殺す。じゃないとこの山を守れない。俺は全員殺すんだ!」
 この時、森は自らこの山で起きていた事件の真相を語った。つまり、自分が菜食主義者であるにも関わらず狩猟者を名乗り味方を騙しながら殺人を行っていたわけだ。私が見ていた落とし穴は、どうやら毒を持つ生き物を隠しておく装置だったらしい。
 私は森のその異常性にやっと恐怖が湧き、そして、やっと自分が置かれた状況を理解してそこを逃げ出そうとした。その時、森はビニールの球体を切った。
 つい二時間ほど前のことだから、鮮明に覚えている。ビニールから飛び出した『可愛い子供達』は、一瞬で水槽全体を埋め尽くした。次に、部屋の隅に積み重ねられた塩に一斉に集った。しかしそれは一匹一匹が歩いて進むのではない。親の体を破り生まれてくる子供、その子供の体を破ってまた生まれる子供が波の様に進んでいくのだ。せいぜい二メートルほどの距離の間で、何千匹も死に、その何倍もの子供が生まれていた。
 それと同時に、森の体を『可愛い子供達』が埋め尽くした。森はなにか言おうと口をパクつかせていたが、ついになにも言えず骨になるまでしゃぶられてしまった。塩分を求める『可愛い子供達』にとって、人間も捕食の対象であったらしい。
 私はたくましく生きる『可愛い子供達』に感動しながらも、死ぬわけにはいかないと外に逃げようとした。しかし森がこの部屋を荒らしたせいでこのプレハブ小屋を出ることができず、仕方なく二階の今いる部屋に逃げ込んできたのだ。


 私は今、最後の芳香剤を吹きながら、あることに気がついた。もし、『可愛い子供達』が海にたどり着いたら、どうなるのだろう。
 きっと、一日を待たずして海は消えてしまうだろう。際限なく増え続ける『可愛い子供達』は地球を滅亡させるのだろうか? それとも新しい進化が起こるのだろうか? 
 それを見届けることができないのが残念だ。さぞ、素晴らしい景色だろう。目を閉じるとその風景が浮かんでくるようだ。
 扉の隙間から、『可愛い子供達』が少しづつ入ってきた。では。

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鳥居図書館
鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。