TOYOTAの広告で思い出した、マイカーとの涙の別れ
今朝、父が新聞を開き読んでいたとき、私の目にぱっと入ってきたのが、鮮やかな黄色のページ。
かわいい!!!!
めっちゃかわいい!!!!!!!!!
私の好みのタイプのイラストが描かれていて、心が動いた。イラストレーターはどなただろうか?
新聞広告のページだった。
「これ、いい話だったー。」
、、、と、珍しく、父からの話題提供があった。
、、、、、、珍しく。
朝食と洗濯を済ませてから、読んでみた。
TOYOTAさんの広告。
”泣いてくれて、ありがとう。
クルマは手紙を書きました。”
とある家族が、乗り換えで車を手放すときの、エピソードが書かれていた。
その車と別れる日、2人のお子さんが寂しくて泣いてしまったという。
家族の思い出の詰まった車だった。きっと、たくさんの場所へ家族で出かけたのだろう。
その姿をみていたスタッフさんが、きれいに洗車したその車の写真と、
「僕は新しいクルマに生まれ変わったから、これからも一緒にいるからね」
という手紙を、その家族の自宅に送ったという。
福島県内のTOYOTAのお店で起こった、ノンフィクションのお話。
なんて機転の利いた、あたたかいスタッフさんだろう。
そういえば、大人の私にも同じような経験があったな、、、と思いだした。恥ずかしいな。
だって、つい5年ほど前のことだから、、、、、、(ちなみに今33歳児の子どものお話)。
我が家には、いつも車は一台しかなかった。
が、私が短大一年生の夏に運転免許をとったこと、そして母も自由に乗れるようにも込みで、
”我が家に、もう一台欲しいよね”
ということで、pizza家に初の軽自動車がやってきた。
もともと、私がお金を出して買った車ではない。
ただ、就職し通勤するのに車が必要だったので、社会人になってからはほとんど、私の車として使われることとなった。
働いてからはお給料で、税金と、車検代、修理費、タイヤ代を私が払った。
初出勤、合流するのに大変だった。しばらく前かがみだった。必死だった。さすがに、毎日運転していれば慣れてはくるが、
、、、、、、、私、運転下手すぎて向いてなかった。笑
新車で買ったのに、傷だらけにしてしまった。
ドアを豪快にこすって、それを親に言えなくて、放置していたために錆びてきて、結局ドアごとお取替え。「もっと早く来ていただいていれば、、、」と、ディーラーさんに言われてたじたじ。
踏切で、カンカン鳴っていたけどその先にに待つ車の台数を数え間違えて(3台までならいける場所でした)、進んでしまって、あ、無理、、、って気づきながら遮断機に挟まれて、がこん!って、、、なんとか電車にはひかれなかったけど、当然また傷が。バカすぎる、、、、、、
そして。
その職場近くの踏切前の、線路に沿う道路にぶつかる地点での、一時停止線。その、線路に沿う道路から、パトカーがこちらを見ていた。私は異常なビビりで、何も悪いことしてなくても緊張してしまう。それで、パトカーを先にお譲りするのがいいのか、私が先に行ってもいいのか、なんか、変なこと考えてたら、気づかぬうちにその停止線を通り過ぎていた。私はそのまま踏切を渡り(踏切前では一時停止した)、右折して国道へ出たが、どうやら、先ほどのパトカーがランプを光らせ追いかけてくる。、、、ちなみに、私はこのとき、その理由に気づいていない。国道で、「そこの車止まりなさい」と言われても、なんで?と。
、、、、、、あの道路に入るときの一時停止の線をスルーしたことを、気づいていなかった。あまりに、パトカーを怖がりすぎて考えすぎて、いつもしない一時不停止を、パトカーの目の前でやってのけたのだ。自覚なしだが、もちろん御用となった。
、、、、、、バカすぎる。ビビりすぎが招いた悲劇だった。
なんて、ポンコツエピソードは山ほど出てくる。
でも、運転は嫌いじゃなかった。
保育士の仕事で、疲れ果てて、諸々ストレスで、、、車の中で大熱唱したり。声を出して発散できる場所があることが救いだった。歌いながら泣けてきたり、いろんな思いをかみしめた場所が、あの車の中だ。
海沿いが通勤路。日本海沿岸、冬は吹雪で前が見えないし、国道が凍ってしょっちゅう事故渋滞が起きる。裏道である山道は、吹雪の夜は暗くて大変だったから、音楽をがんがんかけた。あの頃は、NANA starring MIKA NAKASHIMA のアルバム ”THE END” をひたすら聴いたなぁ、、、、、、
休みの日に、お隣の県まで友達と出かけた。県境の峠を越えるとき、”ヴぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーん” とがんばってくれた、軽のモーター音が忘れられない。アクセルベタ踏みだ。
ひとりで出かけられることも、地方住みとしては車があるからこそだ。市の外れに大きめのリサイクルショップがあるのだが、あえて少し遠いその店まで運転していく。広くて、まっすぐな道を走るのが、心地よかった。そこで、L’Arc-en-Cielの過去アルバムやDVDをみたり買ったりした。
自分の思い出が、たくさんたまっていくのが、車だなぁ、、、、、、
書いていて、懐かしくなってきた。
結果を言うと、この車、今は手放してしまった。
私は、心身を壊し6年目の途中で仕事を退職。
毎日のように乗っていた車に乗るのは、精神科への通院のときのみとなる。
母も使ってはいたが、やはり、通勤のときと比べると頻度が落ちた。
どうやら、そうなると、車って劣化するものらしい。
次第に、私は鬱症状であるパニックや判断力の低下で、運転を控えるようになった。
そんなときにやってきた、車検の時期。
親に行ってもらった。
、、、、、、高額になったのだ。
鬱病、無職になった私には、この先の保証もないので払えないし、払って維持したとしても現に運転ができない状況。
車って、本体の値段だけでなく、”維持していくこと”に本当にお金がかかる。
「いろいろ考えたけど、手放した方がいいんじゃない?」
家族に提案された。
それしかなかった。
でも。
この車に、もう乗れなくなる。
そう考えたときに、突然、初めて経験した寂しさが襲ってきた。
いつまでもあると思っていたわけではないけれど、突然、このタイミングでいなくなるとは思っていなかった。
ディーラーさんに引き渡しに行くときに、たくさん写真を撮った。もっと、きれいにしてあげていたらよかった。汚れていたなぁ。
そのとき流行りの見た目なわけでもないし、プラス10000円の”パールホワイト”がよかったって言えなかったけど、もう、そんなことはいい、この車には、誰も知らない私の感情や思い出がたくさんつまっている。
ありがとうございました、と別れて、我が家のミニバン(なのかな?)に乗り込んだ。
父の運転で、助手席には母がいて。タイヤを買い取ってくれるお店に向かいながら、
「ううううううぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!!」
と、私は大声を上げて泣き叫んだ。
やっぱり、予期せぬ別れはさみしいものだなぁ。
自分でも、自分がこんなことになるとは思わなかった。自分にびっくりした。
母の実家の猫が死んじゃったときくらいじゃないかな、失ったことでこんなに泣いたのは、、、、、、
、、、、、、、、、、という、私と(ほぼ)マイカーのお別れを、思いだしたという話。
今、自分で車を購入して、、、なんて、本当に考えられないくらいの生活をしている。フルタイムで働ける日は、いつになるのかな。
そもそも、本当に運転は苦手なので、私は運転しない方がきっと世界が平和になることは間違いない。
それでも、あの思い出は、大切に私の中にある。
素敵なことを思い出させてくれて、ありがとう、TOYOTAさん。
本当に、素敵な広告だし、素敵なスタッフさん。
車って、ひとを運ぶだけじゃないよね。
悲しい事故のニュースもあるけれど、、、、、、
たのしいほう、うれしいほう、やさしいほうを選んで、あしたも過ごしていけますように。
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。