それでも前進、と思いたい―就労移行支援、障害者手帳のこと―
Instagramで、よく広告が流れてくる。
増えたなあ?
でも、私のことをよくわかって広告を出してくるもので。
副業とか、繊細さんor障害者やひきこもりの方のための仕事ありますとか、ウェブライターとかいろいろ勧められる中に、
『発達障害・精神疾患の方のための×お仕事セミナー』
というもの案内があった。
私は鬱病の長患い。まだ手帳を持っていないのでグレーゾーン的立場だが、こんな身でも働きやすい環境が整えばいいなと思っている。それに越したことはない。安心して社会に出られることは、お金を得られることはもちろん、社会に貢献できている自分を実感するだけで、自己肯定感が生まれる。
でも、
このセミナー、誰向け?
採用する企業のひと?
それとも、利用者(雇用される側)向け?
ちょっと気になったので、とりあえずその会社のサイトへ行ってみた。
すると、
”地元にこんな素敵な就労支援の場所ができたのか!”
ということを知った。
それは直感だ。
雰囲気、理念が気に入った。
私の市内には、昨年春に開設されたらしい。
県外に数カ所、それも東京発信ではない、福島、兵庫、熊本などの数カ所。
その、ぽちぽちとできてきている中に、私の住む地域があった。
木の温もりが感じられる内装、カフェのようなボードに書かれている作業内容(自由に選べそう)の写真。
そして、この地にこの施設を開設した方のインタビューを見て、この地元の”働きたくても働けない”という、私のような人間に対する支援が少ないことなどをあげていたこと、意志をもって開設した場所であることが伝わってきた。
私は、過去の様々な経験から”直感は信じよう”と思っている。
”ここ、いいかも”
”行ってみたい”
という気持ちがあった。
ただ、自宅から通うには微妙な距離だった。
車なし、背中痛めてから自転車も控えている私は、バスや電車を乗り継ぐことになる。
交通費がどうなるか。
利用料、我が家はタダになるのか。
そこについて考えているとき、
現在PCスキルアップのため通っているサポステで、
担当のYさんがチラシを持ってきてくれた。
その施設は、『就労継続支援A型事業所』。
私もまだ知識が乏しいが、
『就労継続支援事業所』は基本的に障害者手帳をもっているひとたちが利用する場所で、
A型は基本、そこで就労するもので、最低賃金以上が発生する。
B型は、”工賃”という給料より安い価格の報酬を得ながら作業し、ゆくゆくは本格的な就労を目指していくための場所。
(間違っていたら教えてください)
※読んでもいまだにわからない。
Yさんが、私にその事業所を勧めてくれた理由は、
PCを使ったデザイン系や、今がんばっているタイピングなどの仕事をすることができるからだと思う。
最低賃金以上がもらえる”就労”であれば、経済面では、
私の目標のひとつである”自立、ひとり暮らし”ができるようになることにつながる。
それをわかってのおすすめだったのだとも思う。
Yさんには、私が見つけた就労移行支援の施設のこともついでに話してみた。いろいろ、選択肢をもつことは大事だ。
ただ、何かを利用する際に、
”障害者手帳の有無”
ということがどうしても問われることになるだろう。
私は、持っていることでこれからについての選択肢は広がるし、交通費、いろいろな場所が割引になるし、軽い気持ちで持っていても損はないだろうと思っている。
別に、持っていたって「私は障害者手帳を持ってますよ」と顔に書いて歩くわけではないし、必要なときしか出さなくていいし、利用すべきところで必ず利用しなくてもいい。
ただ、家族から理解を得られるかが、ずっと課題だった。
障害年金の受給に関してもそうだったが、母が悲しむ、反対すると思い、なかなか言えない。
障害年金はきっかけがあって母と和解し、2級を受給できることになったが、さすがに手帳となると、、、、、、
母の悲しむ顔が、見たくない。
病気のせいにするなって、言われるのももうつらい。
※障害年金に関してはこちらから。
その日、サポステにはたまたま妹に迎えに来てもらっていた。
妹とふたりのときに、”障害者手帳を私が持ったら?”という話をしてみた。
妹は全く気にしないと言ってくれた。
むしろ、そのA型の施設のチラシを見ながら
「これ、給料が入ったら障害年金もらえなくなるとかあるの?」
などと、経済面を心配してくれていた。
母にも、話の流れで、一緒に出掛けた日の車内で就労移行支援の施設のことはさらっと話していた。
そして、ある朝居間で、話の流れがいい感じになった。
いずれ手帳を持っていた方が支援を受けやすくなることを話したら、
母が、そのことに肯定的な態度を示してくれた。
「え、待って。母ちゃんは、
私が障害者手帳を持つことに関して嫌な気持ちになったりはしないってこと?」
と聞いたら
「うん。私は別にもう、、、、、、」
、、、、、、ここで、私の肩の荷はひとつ降りた。
父がその会話に参加したときも、父も肯定してくれたし、
「もう私は今あちら(世間体ばかりを大事にする父方の親戚)と関わってないから、全然。」
ネックは、父方の祖父母だったのだ。
いろいろあって、母が病んだ理由として大きいひとたち。
いろいろあって、そちらと連絡を遮断しているので、もう関係ない。
ああああああ、ほっとした、、、、、、、
いろいろな力が抜けていった。
父ちゃん、母ちゃん、妹よ、ありがとう。
それはともかくとして、私はそのA型事業所よりも、
就労移行支援の施設の方が、すごく気になっていた。
いつか、、、という気持ちではあったが、母親にケツを叩かれた。
「いつかとか行ってないで、まず電話して見に行ってみなさいよ!」
と。
どうやら、場所的に父が知っていそうな区域だったことなどもあり、両親と私、3人という大所帯で、見学&説明を聞きに、その施設に行ってみることになった。
ガラス張りのそのカフェのようなところは、マンションの1階。
入ってみたら、担当のにこにこの女性が迎えてくださったが、
中はなにやら大きな掃除機の音が。
がーがーいう中、たくさんのひとがこちらを見ている。
担当の方に3人でついていくが、
”すみませんすみません、、、、、、”
という気持ちだった。
通された、全面ガラス張りのおしゃれな一室は、オフィスの会議室をイメージしているとのこと。
その方は、精神保健福祉士の資格がある方で安心して話ができた。
そのときに行っていた掃除は、利用者みんなでやっている日課だという。
「こんにちはー!」的なウェルカムではない対応だったことは、これで納得ができた。利用者は、みんな私のような境遇だろうから。
その日その日で決まったカリキュラムはあるが、それに参加するもよし、その様子を小あがりの場所や離れた椅子で見ていてもいいし、同じ場所にいて別のこと(自分のとりたい資格の勉強や趣味など)をしていてもいいらしい。
その空間には、ちょっとしたくつろぎスペースがちょこちょことある。
やりたい内容のときは参加する、参加していても意見を出す場面でパスしてもいい、参加しなくてもいい。
自由らしい。
生きづらさがあるひとの自立した生活を支援する『自立訓練』、
就職活動をや就労を支援する『就労移行支援』ということを両方やっている場所。
ただ、私がこの日、座っている場所から、中の活動の様子も見えた。
ふたつの大きなテーブルに、全員、座っていた。
別の場所で、何か違うことをしているひとが見当たらない。
私は、集団の中に自分が入る、同じ空間の中にいる、ましてや、同じテーブルを囲む、なんてちょっと、今は考えられない。
ただ、きっとできるんだろうなと思った。
とにかく、そのとき、希望にあふれて、できるんだと思って、
3回体験できるうちの1回目を、半日のスケジュールにして、予約した。
気に入ったのだ。
この場所。
自分も、進める気がしたのだ。
あとは、交通手段を考えるだけ。
バスの乗り継ぎ、めちゃくちゃ考えた。
その場所に最寄りのバス停が3カ所くらいあった。
路線が全部違う。
そして、思い出していた。
カフェのようなあたたかみはあるが、狭い空間。
その中に、あの日20人(と聞いた)くらいが、みんな自由とは言いながら、活動に参加するもしないも、卓を囲んでいた。
自分が、あの場所に、いられるだろうか。
卓を囲むことはできなくても、他の場所にいたら、みんな、こちらを見てくるだろうか。
私は、今自分が、どこにいるべきなのか、おろおろしないで決められるだろうか。
進める気はしていた。
King&Princeの『静寂のパレード』が、頭に流れていた。
でも、今悩まされている身体症状である、体(背中・首)の痛み、かゆみが、どんどん増して。
そして、体験を予約した日が近づくにつれ、
不安や緊張で心がぎゅーーーーーーっと、苦しくなってきてしまった。
どうやら、ダメなようだった。
行きたかった。
行ける自分になりたかった。
進みたかった。
悔しくてたまらなかった。
でも、キャンセルの電話をした後、身体症状が楽になった。
そういうことらしい。
サポステでも、まだ、集団での活動をあまりしていない。
唯一経験したのは、
4人がそれぞれ、自分の担当をこなすだけの、年賀状の宛名書き。
コミュニケーションをとらなくていいし、担当の方も面識のある明るいひとだったので、なんとかできた作業だったが、始めるときは手の震えがすごかった。
ただ、PCの練習にきているひとなどもいたこと、少人数だったこと、個人作業だったことで私でもできたところがある。
知らないひとたちの中にいきなり入っていって、中心には入らなくていいとしても、席も決まっていない、どこにいていいのかもわからない、やったらいいのかどうかもわからない、、、、、、
その不安な場所のために慣れないバスの路線にもチャレンジ、うまく乗り継げるかわからない、しかも閉鎖的空間でおろおろしたら、、、、、、
薬の時間もあるし、昼食の時間も狂ってしまう、、、、、、
それは、今の私にはまだ早かったようだ。
サポステに行って、
PC担当のYさんに、自分が気になっていた施設の見学に行ったこと、障害者手帳取得について家族から了承を得たことを、
1時間くらいかけてじっくり話した。
PC担当だが、もはやカウンセリング並みに話を聞いてもらっている。
Yさんは、
見学に行けたことを大きな一歩だと、そして障害者手帳の取得と母のことについても以前話していたので、本当によかったと、すごいと。
褒めてくれたのだ。
今、このYさんという話し相手、家族にも話せないことを聞いてくれる相手がいるこの場所を離れることは、やはりできなさそうだ。
昨年受けた検定の1級を受けること、
複数人での活動を少しずつやってみること。
目標にしていたことを変えないで、もう少し、サポステにお世話になろう。
希望をもったり、がっかりしたり、それでもその姿勢を誰かに認めてもらえることでまた進めたり。
ひとより、だいぶゆっくりすぎるペースにはなってしまっている。
でも、そうやって生きているのは、みんな同じはず。
そして、障害年金や障害者手帳のことでは、いつも家族って本当にありがたいなぁと、月並みだけれど思う。
ストレスに感じることは多いけれど、
家族、父母妹誰ひとり欠けていても、今の状況の私がこうして生きる選択肢を増やすことはできないだろう。
感謝しないといけないな。
あれこれ繰り返して、たどりつける場所が自分にもあるんだと、
これからの自分を信じてあげられますように。