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障害年金の申請について、勇気を出してみた話[後編]


:この記事は、[前編]をお読みいただいたことを前提として書いていくもの。

[前編]はこちらから、是非どうぞ。



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その日の昼に母が話していたのは、確か、

”ひとりひとりができることをやっていくしかない(節約とか)”

という、意味合いのことだったと思う。


だから、


”私にできること、、、、、、”


と、ここで、ずっと、ずっと心にあった、言わないようにしていた障害年金の話が、喉元までやってきた。

もう、喉がつかえそうだ。

今しか、言うタイミングはない、このままでは苦しい。


だから、勇気を出した。



「これ、もし私が考える必要ないんだったらないって言ってほしいんだけど、どうしても今、ここ(喉)につっかえてて話したいことがあるから、一回だけ聞いてもらってもいい?」


と、私は覚悟を決めた。


母は、私の目をまっすぐ見て、聞いてくれようとした。



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”障害年金”を受給することについて、考えていたということ。

前の病院でこのことを言われたときは、突然のタイミングでびっくりして拒否反応が出たが、今の経済状況を考えると、もう”障害”という言葉にとらわれている場合ではなくなってきていると思っていること。

そのときに、「あなたは障害者じゃないでしょ」と家族に反対されたことを覚えていて、その記憶が強くてずっとこの話ができなかったこと。

でも、もう治療を初めてから9年以上経った今、私に受給の資格があるのなら申請してみたいし、自分なりにいろいろ調べてみていること。

家族に内緒で、ひとりで年金事務所に相談に行こうとも思っていたこと。

障害者手帳と、障害年金は関係がないということ。

私には受給を申請する権利はあると思うが、手続きの中で、過去にさかのぼって記入しなければいけないものがある(初診日やその後の経過など)。それを考えるとどうしても、過去がトラウマになってしまっている私にはハードルが高すぎるので、今の私には申請に向けてがんばる力がないことが難点であること。

手続きはただでさえ大変なようで、「やっともらえた」というSNSも見たし、社会保険労務士をお願いすることがおすすめ、という情報もあるほどだということ。

その理由で、今の私には無理かな、、、と思っていたこと。





を、


、、、、、、、、話せた。


ずっと、話したかった。

自分の貯金が底をつく不安と隣り合わせな生活が、いつまで続くかわからない恐怖。家族のすねをかじって生きていることへの情けなさ。自立したいと思えば思うほど、就活から遠ざかる。

そんな日々の中、何度この”障害年金”というものを検索しただろう。

”反対される” ”贅沢だと言われる”

と思って、ずっと言えなかった。



母は、このとき本当に鬱調子がひどく、おそらく

”自分の調子が悪いせいで娘にいろいろ悩ませてしまった”

という気持ちが強かったと思うのだが、聞きながら途中で涙していた。




私の話の後に母がしたのは、意外な話だった。


母は心の調子が悪いと、友人と電話などで連絡をとる傾向があるが、ここ数日がまさにそういう日々だった。

前編にも書いたが、家族に障害をもつひとがいる友人が多い母。

その友人のひとりから、実は、障害年金についての話が出たという。

経済的なことなら、最終手段としてそういう手もあるよ、とアドバイスされたようで、母は母で、障害年金について自分で調べてくれていたようだった。

ただ、障害年金と、障害者手帳の違いなどが分からなかったようだ。

私がかなり詳しく調べていたこと、自分で年金事務所に行こうとしていたほど真剣に考えていたことを知って驚いていたが、


母は、

私(pizza)が”障害”という言葉に関してショックを受けると思っていた、と話した。



前の病院で、障害年金について突然話があったとき、私が

「私って障害者なの、、、、、、?」

と、言っていたのを、母はしっかり記憶していたようだった。

私には自分がそう言った記憶はないが、母の記憶力の良さはいいので、きっと忘れただけなのだろう。




、、、、、、、、そうか。


お互い、勘違いしあっていただけだったんだ。

お互い、相手が傷つくと思って、言わないできただけなんだ。



そうだったんだ、とわかって、母を愛おしく思う。


わだかまり的なものが解けてすっきりしつつ、そのときは、やはり今の私に過去を振り返る作業は厳しいから、とりあえず、そのことは考えないことにしよう、ということになった。



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、、、、、、、、翌日だった。




朝イチで私が起きると、

一晩寝て考えた母が、私の両肩を抱いて、言ってきた。



障害年金、申請してみようと。

私(母)も一緒にがんばるからと。

社会保険労務士に頼るという選択肢を、あなた(pizza)のおかげで知ったと。

お金がかかっても、もしかして今までの分が返ってくるかもしれないとしたら、安いものだと。餅は餅屋だと。

申請までは、ふたりとも確実に具合が悪くなるけれど、そのときはメンタルの先生がいるし、お薬もあるでしょうと。

できないと初めから諦めるより、お金がもらえるなら、やってみる価値はあると。



一緒にがんばるから、やってみよう、と。





わあ、、、、、、、、、、、、、、、、、




私から出た言葉は、



「よかったぁ、、、、、、、」


だった。



「よかったぁ、、、、、、」「よかったぁ、、、、、、、」

これを、気づいたら何度も何度も言っていた私。



何か、思いが伝わった、そして、前に進んだ、そして、

母が、味方でいてくれた。



いろんな思いが、心を晴れやかにした。



ずっとつかえていたものがとれて、新しく、動き出せる気がした。




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現在、

市内にアットホーム(というか兼自宅)な事務所を構え、温和で素敵な女性の社会保険労務士さんにお世話になりつつ、鬱病初期くらいに具合が悪くなってゆく見込みの闘う私に、母が寄り添ってくれながら、必要な書類の準備など、進め始めた。


かなり、私の鬱状態は悪いので、この後編の記事を書けると思っていなかったが、何とか、文章になっているだろうか。




私は、確かに、進んだ。

いろいろな意味で。


そして、これからはどうなるのかわからないが、いくらかのお金は、もらえると思っている。

今月は、闘う月になる。

推しの誕生日が2日、デビュー記念日が1日ある月で、ファンアートを描きたかったが、とてもそれどころではなさそうだ。

自分の人生を進めるための準備を優先しないと。


がんばる。


あまりにそのことに集中しすぎて、母に落ち着けと言われるくらい必死になってしまう、相変わらずな感じだけれど、

ひとりじゃないって、思えたら、大丈夫な気がする。



ちなみに。


社会保険労務士さんによると、もう、初診日(私の場合は眩暈で通院した内科)からもう9年以上たっていると、過去にさかのぼっての今までの分までは、申請ができないみたいだった。

5年以内、というのはそういうことだったのか、、、、、、


これから、障害年金を申請しようと思っているひとは、そして、迷っている人は、初診日からあまり時間がたたないうちのほうが絶対良い、ということをお伝えしたい。

過去の年金は諦めるにしても、まずは今後のことだ。


がんばる、とは言いたいが、私はやりすぎるので、ほどほどに、前進していく。


できることを、やってみる。




母と、勘違いしあっていたことが解けた、前に進めたことが、本当にうれしかった。



話してみたらよかったんだ。


簡単なようで、いちばん難しいこと。





苦しいときに、「助けて」と、もっと心を楽に、言えるひとになれますように。

そして、これからが、いい方向に、進みますように。

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pizza
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。