映画『えんとつ町のプペル』を2回観た鬱病pizzaが感じたこと
キングコング西野亮廣氏が手掛けた、
映画『えんとつ町のプペル』。
キングコングに注目していて、西野さんのオンラインサロンには入っていないものの、西野さんの発信することは一通り追っていた。絵本の『えんとつ町のプペル』も持っていたし、映画制作している段階から”観たい”と思っていた。
鬱病無職の私だが、迷った挙句、クラウドファンディングで2枚のチケットを手にした。これは、観ないと人生損するかも、と思った。
2枚あるけれど、一緒に行く相手がいないので、2回観に行こうと決めていて。
1回目鑑賞後の、簡単な感想はこちら。
この後、我が地域がドカ雪に見舞われたため、バスが動かず家の状況も大変で、鬱病の調子もつらく、なかなか映画なんてタイミングがなかったが、ようやく、ようやく、行ってこれた。
地方の映画館では、タイミングを逃すと見たい映画がすぐにレイトショーになったり終わったりするので間に合ってよかったし、プペルフィーバーでたくさんのひとが観ていてロングランになったのだと思うので、何度も映画館に通ったファンの方や他のお客さんに感謝。
私は、映画や本のストーリーに関して、読解力が本当にないようで。
ディズニーピクサーの『ベイマックス』を映画館で観たとき、ロボットのベイマックスが死んで終わってしまったと勘違いし、悲しみに暮れながら映画館を後にしたのは、世界中でただひとり、私だけだと思う。
同じ映画を2回、映画館で観たのは、このプペルが初めてだった。
2回観てよかったかもしれない。(いろんな意味で)
以前は詳しく書けなかったので、前より深く感想を書けたらいいな、、、、、、
※ネタバレ、嫌な方は避けてください。
この映画は西野氏の自伝的作品であるし、要所要所に、各媒体で西野氏が話していたような内容が埋め込まれている。
ああ、西野さんの言いたいこと、全てこの中に込めたかったんだな、ということが、キングコングを応援する身としては分かった。
大まかなストーリーも、キングコングを追っていけばだいたいわかる。
というか、言っちゃってる。
(あちこちオードリーにコンビで出演時)
「ゴミ人間とえんとつ掃除屋の少年が星をみるまでの物語」
「オチは星を見られます」
おいーーーーー!
感動した、泣いた、という声は、たくさん聞くと思うので、私が言うまでもない。
人間の、様々な立場での人間らしさが満載で、自分を重ね合わせる部分が、誰にも今どんな立場のひとであっても、存在するような物語。
2回観て、母に「どんな映画?」ときかれて、私が答えたのは、
「パイオニアのための応援歌」。
※よく考えたら歌じゃない
数日前、日本人で初めてアメリカのメジャーリーグに挑戦した野球選手、野茂英雄さんがTV番組で話題になったときに、
「この人もな、最初は成功するわけないって散々叩かれて、結果出したらみんな手のひら返しだったもんな。」
と、母が言っているのを、私は覚えていたのだ。
野茂さんはもう、そこを越えたひとだと思うけれども、そういうひとに対する応援ストーリーであることに間違いない。
パイオニアは叩かれる、いつだって。
前例がない、常識から外れたことである、というような類のことは、いつの時代も批判される。
でも、周りの意見に従い、本当にやりたいことを我慢して生きることはどうだろう。
でも、批判の中、自分をいつまでも信じ続けることも、本当に大変なことだ。
叩かれて叩かれてここまで生きてきた、西野氏自身の経験をもとにした、
”信じ続けること”
”上を見続けること”
その他、数々のメッセージがちりばめられている。
この記事を書くにあたって、絵本を見直してみたら、
映画とがらりと変わっていることがたくさんあった。
映画では、伝えたいメッセージは絵本そのままに、より心に迫るような展開、より強くメッセージが伝わる設定で。
ごみ人間プペルと、えんとつ掃除屋の少年ルビッチの出会い方が違ったり、ルビッチの大切にしていた父の思い出の品が、時計からブレスレットになっていたり。
絵本では亡くなっていて登場しなかった、父親ブルーノが、いい。
えんとつ町の中は煙に覆われ、空、星が見えない。誰も見たことがない。
そんな中、星というものの存在を信じて、紙芝居にして、星や空など煙の外の世界のお話を子どもたちに披露していたのが、ブルーノだ。
父親のその話を聞いていて、星を観たいと思っていたのが、主人公の少年、ルビッチだ。
※手前の少年がルビッチ、奥に座るゴミ人間がプペル。Twitterを見たら、ルビッチのことを”プペル”と勘違いし「お前がプペルじゃないんかい」とツイートしていたひとが結構いた。笑
その、ブルーノの声優を、西野さんの考え方、生き方を変えるきっかけとなった、立川志の輔さんがつとめている。
ラストに、プペルと主人公の少年ルビッチが、星を見るために空へと出発し、作戦を遂行している最中に、バックで、昔ブルーノの読んでいた紙芝居の中のセリフと思われるものを、志の輔さんが数分間、読み上げ続けるシーンがある。
志の輔さんのその、ナレーションのような、朗読のような、息子ルビッチに夢を与えたストーリーの読み聞かせは、聞いていて、本当に、変に物語の邪魔をしない、心地の良い声で。
決して淡々としているわけじゃなく、やさしい感情が感じられる、あたたかい声。
西野さんとの関係も然り、本当に、素敵な声優さんをつとめてくださった。
きっと、西野さんから聞いても分かる通りの、あたたかなお人柄なのだろうということがうかがえる。
私が特に意外だった、予想をしていなかったのは、
臨場感がある。
こんなにも、ちゃんとした、映像としての臨場感、アドベンチャー要素が感じられるとは。
すごいな、西野亮廣。&制作チーム。
1回目に観に行ったときは、映像の美しさと、声優出演している相方・梶原雄太氏が扮するYouTuberカジサックの名前の、エンドロールでの出し方を観に行こう(話題だった)、ということがたのしみだった。
そして、絵本とまた変わった、別物のストーリーとして観て、映画を観て泣くことなんかない私が2回程涙腺を崩壊させ、そして完全に、ごみ人間プペルの大ファンになった、、、、、、
ということがあったが、
2回観ても、なお感じたことはやはり、臨場感だった。
特筆したいのは、プペルが登場するシーン。
絵本で、存在を知っている私は、
「あ、もしかして、これがプペル?」
「おお、すごい、プペルの目線カメラみたい、なるほどー!」
という見方をしてしまったが、
これ、何もストーリーを知らない、初見の子どもなんかが見たらどきどきするだろうなって。
だって、いざ喋ったら、かわいいんだもん、プペル、、、、、、
(大ファンになった)
声優の窪田正孝くん、すごい!
そして、プペルとルビッチが出会うシーンも、ルビッチ映して、プペル映して、そしてルビッチ映して、またプペル映して、、、と、交互にふたりの状況、緩急のあるシーンを映すことで、子どもの笑う声が想像できる。
コミカルに描くシーンもありつつ、三半規管の弱い私が直視できるぎりぎりの、ジェットコースターのようなシーンもあった。
内容は、確実に感動的なことは分かっていたけれど、美しいだけではないこの映像技術。こんなに迫力あるアドベンチャー感を味わえる仕上がりになっているとは。
(これ以上激しかったら私は観られませんでした、程よくて私にとっては最高でした、ありがとうございました)
※あのシーンはここだったのね!感。
メッセージ性が強いこの作品。
”常識”に屈せず、信じて上を見続けていれば、一緒に上を見てくれる仲間が現れる。
1回目観たときも、このメッセージはよくわかったし、
周りの意見に左右されることなく、とにかく自分の思いを信じて進むこと、大事だよな、ということは、頭ではよくわかる。
でも、私は、ひとの何億倍も、周りの目を気にして生きてきた人種。
現在、鬱病9年生になり、社会にもなかなか出ることが厳しい中で、こういう強い言葉は少し重いことがある。
周りを”気にしない”とか、”忍耐”、”自分を信じる”、”貫く”という一通りのことが、難しい。
人の目は、鬱病発症前から過剰に気にする性格だったし、自己肯定感も異常に低い。
西野さんが今まで喰らってきた世の中や業界からのバッシング、批判なんて私の何億倍も辛かったであろうことも分かっている。
でも、今、鬱症状の調子の波が下降している時期なので、自分という人間を西野さんと比べるなんてことは一切しないでおこう、、、、、、深く考えるほどにしんどくなってしまう。
ただ。
上を向く。
これだったら、できるかなと思うし、映画自体のストーリーに希望をもらったので、
”鬱病は治る”と信じること。
これはやろう!と思った。
2回目を観たとき、この物語の中のメッセージを、改めてじっくり聞いてみた。
「下を向くから怖いんだ、上を見ろ」
という、ブルーノのはしごの登り方レクチャーにしても意味を持つし、
誰も見たことがない星の存在を否定する、空気を読めなどという民衆に対し、
「誰か見たのかよ!誰も見たことないなら、まだわかんないじゃないか!」
あるのかないのか分からない、だから見に行くんだ、
というルビッチの精一杯の叫びもそう。
そして、先程書いた、クライマックスでのブルーノ(立川志の輔さん)の声に耳を澄ませていたら、上を見ることに関してもうひとつ理由があることに気づいた。
下を向いて歩いていると、チャンスを逃してしまう。一瞬の光を逃さないために、上を見続けること。
、、、、、、そうか。
上を見ていたら、とっておきのチャンスがあるかもしれないんだ。
以前、何かで聞いた言葉。
「心が上を向けないときでも、顔だけは上を向くことができるでしょ?」
これは、プペルに関係ないところで聞いた言葉だけど、思いだした。
(誰の言葉か、ご存じの方教えてください)
というのも、
たしか、西野さんが何かの媒体で、
「上を見て挑戦し続けること。そしてもうひとつ。今、なかなか空を見上げることなんてない、大変な時代だから、物理的にも上を見てほしい。」
という話をしていたような記憶があって。
今、心がどうしてもいうことを聞かないけれど、顔をあげることなら。
、、、、、、と、思ったのだ。
結果。
映画『えんとつ町のプペル』を2回観た鬱病pizzaが、今できること、やろうと思ったことは、
物理的に、上を見ること。
これならできる。
毎日、外を歩くことを習慣にしているが、本当に歩きながら心が沈んでいって、空を見ずに家に帰ることも、ときどきある。
最近、調子が落ちていて、その傾向があった。
一日一回、空を見上げよう。
もともとすきなんだ、空は。
上を向くトレーニングのために、毎日歩こう。
私は、パイオニアなんかではない。
自分を信じて、周りに何を言われてもやり遂げたい、ということも見つかっていないし、今はどうしてもパワー不足だ。
ただ。
鬱病になったけど、今はこんなに笑って自分を表現できてるよ、っていうことを、心配、苦労をかけているひとたちに、将来絶対見せたい。
自分にも見せたい。
上を見ろ。自分。
治ると信じろ、自分。
そうすれば、きっと状況を変えるチャンスはつかめる。
そうしたら、自己肯定感もあげていける。
と、いうことを、信じよう。
無理してがんばるとか、叩かれて我慢しながら何かをするとか、そういうことじゃなくて、自分が元気でいられるためのちいさなこと、周りに「そんなことかよ」って言われることでも、信念をもってやっていれば、きっと見えてくる。
午後、見上げてみた。
曇り空だったけれど、桜の木、しっかりつぼみをつけている。
えんとつ町には、空がないから、植物が育たないようだ。
きっと、空がひらけたら、日も当たり、草が生え、木が生い茂って、緑であふれる。花が咲く。
自分の未来にそういう、希望をもてるように、なかなか難しいけれど、自分をもう少し信じてあげられるように、なりたいな、、、、、、
そして、
プペル、だいすき!!!!!!!
かわいい!!!!!
純粋で、愛しくて、映画中何度も、彼を思いっきりぎゅって抱きしめたくなった。
彼に泣かされた。彼に会ってみたいなぁ。
西野さん、制作スタッフさん、素敵な作品を本当にありがとうございました。
次回も、映画になるものがあるのかな?
たのしみにしています。
上を見て進み続けるひとの努力が、必ず、報われますように。
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。