【仕事】思考力を鍛えるために意識している5のこと。
こんにちは!
ぴぴちゃいるどです。
「多様性を受け入れる」というフレーズや考え方が随所で聞かれるようになった昨今。
よく言えば『自分らしく生きる』ことのできる時代になってきている。
しかし逆に【自分軸】を持っていないと生き抜けない時代になっているとも言える。
そして、一方ではこんな話もよく耳にする…
そう。
選択肢の多い時代と言われているにも拘わらず、思考を放棄している人が非常に多いのだ。
例えば最近なにかと話題に挙がる【事実婚】
私自身は、自分にも相手にも【根は真面目であること】【責任感】を求めるので、事実婚の魅力は分からない。(他にも理由はあるけど)
しかし、私がそう考える一方で「紙に縛られない愛って素敵!」という声もある。
これはどちらが正しいとかはない。
他にも【浮気・不倫】についてもお茶の間で話題だが、どうだろう。
私が「人として失礼でしょ。どうせするなら潔くやれい!堂々と公言するか墓まで隠し通せ!!腹は括れやい!!!(893)」と言っている他では…
「複数人との関係をバレずに管理できる人って仕事できそうじゃん!」「お互い付き合いつつ、他と比較検討できるのは合理的」と言う知人もいる。
他にも、お互い公認だから逆に隠し事が無くて仲の良いカップルも知っている。
ちなみに彼氏に会ったことあるけど、ビビるほど真面目でしっかりしたかただったw
(少数派かもだけど、私の周りは「基本的には無理だけど、隠し事なく対等な条件なら交渉の余地アリ」が意外にも多い。)
…と、前座が長くなってしまったが。
今までは【非常識】とされていた価値観が人権を得つつある時代なので、ある程度の思考力がないと世間の意見に自分の人生も心も振り回されてしまう。
そのため今回は私自身が思考力を育むうえで意識していることをお伝えする。
①素直に愚直に。場数を踏む。
思考力と言っても、机上の空論では意味がない。
まずは実践で場数を踏んで、失敗して成功してを繰り返すことも必要だ。
そのなかで見えてくるものは実際多い。
私自身も営業時代に1日20〜40人になにかしらのコンタクトを取って、全国表彰されるくらいに努力したからこそ得られた行動力と自信がある。
当時は寝る時以外、仕事をしていた。
それと同時に、いつからか顧客に対して『役に立ちたい』ではなく『数字』として見てしまっている自分に気付いて悩む時期もあった。
そして「このままじゃお金は稼げて一目置かれる存在になっても、人として大事なものを失う…私は結果を出すなら心も正統な方法で後輩たちの憧れになりたい」と思ったのだ。
そういう過去があったからこそ今の私は、人に対して『真っ直ぐ誠実で居よう』『不義理はしない』という自分軸がある。
あと『行動力』と『そこそこの自信』もね。
だからまずは思考の種になる経験は色々と積んでみたほうが、身をもって分かることも多いのでオススメだ。
②理屈を考える
昔、父親に言われたことがある
「円周率がなんで3.14か分かる?理屈が分からないと応用が効かないよ」
「歴史は暗記するものじゃなくて、時代の流れを理解するものだよ。同じ失敗を繰り返さないために過去の人達から学ぶんだよ。」
父親は常に『理屈』『意味』を私に考えさせた。
当時の私は「とりあえず今は丸暗記しないと補習になってしまう!!!」と思っていたけれど、社会人になってからその大切さが分かった。
学生時代は何を決定するにも親が居てくれたり、教科書通を暗記すれば通用した。
しかし社会人になれば自分で選択する日々だし、自分の頭で考えて社内やクライアントに意見を提示する必要がある。
理屈が分かれば、点と点を線にすることができるが、理屈が分からなければ繋がらない点ばかりが増えていく。
暗記では連想ゲームができないのだ。
③敢えて疑問を投げかける
思考力には、大きく3つの種類が存在するようだ。
それは「論理の筋道を考える力」「物事を多面的に考える力」「物事の本質を見極める力」である。
それぞれ「論理的思考力」「多面的思考力」「批判的思考」に分かれており、先程の②理屈を考えるは、「論理的思考力」を鍛えることができる。
そして「多面的思考力」「批判的思考」は敢えて疑問を投げかけることで鍛えることができる。
敢えて疑問を投げかける…
例えば、冒頭で挙げた【事実婚】【不倫・浮気】も視点を変えればメリットもデメリットもある。
このように自分が【常識】だと思っていたことも視点を変えると、新たな発見があったりする。
そんなこんなで私は敢えて自分の考えとは違う本やYouTubeを見てみることもある。
まあ、反対意見を聞くのはストレスになる場合もあるんで心に余裕があるときに見てくださいな(笑)
④俯瞰する意識
思考は突き詰めると極端な発想になってしまう。
例えば【奢り奢られ論争】【サイゼリヤ論争】
SNSは常に色々な論争で大賑わい!!
よくよく見ているとトンデモなく極端な発言をしているかたもチラホラ見かける。
まるで自分の意見が人類の正解とでも言うように…
しかし、考えが煮詰まったり極端になったときこそ俯瞰してみてほしい。
そもそもなんでこんな論争になってるの?…と。
すると「それぞれ生きてきたバックグラウンドや環境が違うから様々な意見が出るんだな。」「奢り奢られといい、サイゼといい、お金に関する論争が炎上しやすいのは日本の経済や物価高と関係あるのかな?」という考えが浮かんできたりする。
これは仕事においても大切で
MTGをしているとヒートアップしたり
提案や施策を考えているとアイデアが煮詰まったり
こういうときこそ俯瞰が大事。
そもそもMTGの目的は?
クライアントや顧客が求めるものは?
それはKGI、KPIを達成するのに必要な過程?
浅く森の見過ぎは良くないが、煮詰まって木を見過ぎるのも良くない。
自分自身や物事を俯瞰する意識が大切。
⑤言葉を具体的にする
何気ない「抽象的な思考」を「具体的な言葉」に変えることは思考のトレーニングになる。
これはnoteをはじめて改めてヒシヒシ感じた。
例えば今回の記事だって「思考力で意識してること伝えたいな〜(ボヤボヤ)」から始まったわけだが…
思考力ってそもそもなに?
なんで思考力が必要なの?
私は具体的になにやってるっけ?
と、自問自答しながら書いてたりする。
私たちが【書ける】範疇は、あくまでも自分が【理解】できている範疇と同様
だからこそ【理解】したいなら【書いてみる】ことも有効だと感じる。
筆が進まなかったり、言葉に詰まると「まだ自分のなかに落とし込めてなかったんだな…」とか「この内容って実は自分の本心には反してるな」って気付くキッカケにもなる。
私自身、筆が進まなくて調べ直したこともあるし、心から楽しく書けなくて「この内容は本心じゃなくて読者に対しての見栄が混じってるな…」と、思ったこともある。
なので、投稿してる内容はプライドを捨てて全部包み隠さずありのままを書いてますw
インプットとアウトプットはセットで!!
さいごに
そして最後に、思考しつつ忘れてはいけないこと…
それは【自分の感情や愛情を無視しない】こと。
①~⑤はある程度、型にはめて進めちゃえば実施可能だと思うんです。
しかし私たちは感情や道徳心のある人間
なんでも【思考】【論理】【理屈】だと、せっかくの温かみが無くなってしまう。
これは、①素直に愚直に。場数を踏む。でも少し触れたが、自分の【肩書き】とか【数字】【稼ぎ】とか…目に見える結果だけを追求しはじめると人間はどうしてもロジックに寄ってくんだ。
そうなると建前上、周りの空気には合わせるけど【一般的な道徳心】って無駄になるケースも多い
私はそれを身をもって知っているからこそ、心の温かさはとても重要視するようになった。
突き詰めるのは自由に繋がるが、自由は全てが自分の責任で同じ目線を持つ相手も殆どいない。
そんな孤独になってまで達成したい夢や目標って本当にあるんでしょうか?
(一方で『目標に対してトコトンやり切る』大切さも分かるから、経験としてはやってみて欲しいと思いつつ…)
だから
理屈に偏ったら自分の感情に耳を傾けてあげる
感情に突っ走ったら理屈を考える
…という意識が必要だと感じる。
片方に寄ってしまうのは、ある意味で思考を放棄していると同義。
人間が理屈に振り切ったら、温かさのない人生になってしまう。
人間が感情に振り切ったら、動物的過ぎて人間社会の秩序は崩れてしまう。
極端はヒトを孤独にする。
自分の頭と心で考えて、自分らしい幸せを選択できればきっと幸せな人生になる。
まあそうやって生きているから、結果的に私は普通の人生なんだけど…
考えながら生きれば普通の人生ってめちゃくちゃ幸せだよなって思ったりするんだよね結局。
仕事で結果を残すなら道徳心は邪魔かもしれないけどね。
それでは皆さんお手を拝借、ぃよーお👏🏻
解散!!
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