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スーパーせっかちな「死に支度」ーオカンが遺した、愛という名のふわふわ
こんにちは。
CMプランナー、ときどき、副業ライターの松田珠実です。
今日は、わたしの家族について「自己紹介」したいと思います。
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ウチのオカンは、スーパーせっかち、である。
例えば、LINE。私が働いている時間でも、朝4時でも、言いたいことを連打してくる。「思いついたら、すぐ言わんと忘れる」からだそうだ。
ま、83歳だし仕方あるまい。
「尼崎市で、猫もろてきたで」
その日も、仕事の打ち合わせ中にLINEが届いた。普段なら無視するのだが、見逃せなかったのは、私が無類の猫好きだから。
続けて届いたのは1枚のピンボケ写真。オカンの手の平に乗った小さな茶色いふわふわ。
「猫がいっぱいで、みな引き取りたかった」
「お母さんが死んだらアンタが面倒見るて、係の人に言うといた」
「市から書類届くからサインしてや」
どうも尼崎市の保護猫施設に行ってきたらしい。って言うか、聞いてないし!お母さんが死んだら、って前提も微妙やし!
「名前はラブ子」
ラブ子?変すぎる!頼むから別の名前にして!返信する間もなく、スマホが次々とオカンLINEを受信する。
「お母さん、あと半年で死ぬねん」
スーパーせっかちなのに、大切なことほど事後報告。それがオカンの「優先順位」だ。
だが、その「優先順位」は、私にとっては「困惑」でしかなく、母娘喧嘩の主なネタであった。
私たちは、尼崎と東京に離れて暮らす母娘二人きりの家族だ。
尼崎の実家には絶えず猫がいた。野良猫がいつしか住み着いたり、捨て猫を拾ったり。猫がそばにいるだけで「優先順位」が違う私たちのバランスが取れていたように思う。
コロナ禍でリモートになった私は、26年ぶりに実家でオカンと暮らすことにした。
オカンは余命宣告をされたのが嘘のように、夕刊にじゃれつくラブ子と遊んでいる。
オカンに残された命はもう数ヶ月。本当ならこの平和を1秒でも長続きさせることが、今、娘としてできる唯一の優しさだろう。
目の前の平和なじゃれあいと、末期癌のオカンを前に、娘ならこうするのが筋という思いのギャップ。「優先順位」がかき乱される「困惑」で、思わず怒りがあふれ出た。
「猫もやけど、余命宣告されるまで癌をほっとくなんて!はよ相談してよ!」
「だから体が動くうちに、はよ動いたやん」
「は?」
「お母さんが死んだらアンタは一人。財産もないし、遺せるんはラブ子だけ」
やはり、私とは「優先順位」が違う。
今、一番大切なのはオカンの体やん!癌が身体中に回って歩くだけで痛いのに!わざわざ保護猫施設まで行って、担当者を説得して猫を引き取ったりして!
「優先順位が違うやろ!」私の文句を遮るように、オカンは夕刊をめくりながら、ヒョイとラブ子を差し出した。
「ラブ子のラブ、は、愛のラブやで」
最後まで「優先順位」の違う母娘であったが、お互いを想う気持ちは一緒だったと今さら気づいた。
泣き顔を見られたくなくて、ラブ子をひき寄せ思い切り吸った。
夜なのに、ふわふわな毛は太陽のにおいがした。
それが、実家でオカンと過ごした最後の夜となった。
ちなみにラブ子は、雄である。
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※この記事は、宣伝会議「編集・ライター養成講座」で書いた文章を、リライトしたものです。