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GIGAスクール妄想の先に教育はない

教育現場は社会のゴミ捨て場です。

かつて本当にあった出来事です。

戦後、アメリカで小麦が余って、その処分に困り
「これは日本の子どもたちに食べさせれば良い」
ということで、食パン、コッペパンが導入されました。

やがてお米が余ると
「これは給食で全国の子どもたちに食べさせれば良い」
ということで、米飯給食が始まりました。

今ではほとんどが米飯です。

みかんが豊作で価格が暴落した時に、農協が
「これは子どもたちにジュースにして飲ませれば良い」
ということで、給食以外の時間に(休み時間)
みかんジュースが出ました。

視聴覚教室というのがどこの小学校にもありました。
「視聴覚主任」という肩書きがついた取りまとめ役がいて
僕は長いことその主任をやりました。

視聴覚室には
スライドやプロジェクターやOHP(オーバーヘッドプロジェクター)
ビデオデッキ、LD(レーザーディスク)などの電子機器がありました。

NECやナショナル(現パナソニック)などの業者製品が、
並んでいました。
ほとんど、使う人はいませんでした。

その後、視聴覚室は「アナライザー教室」に改装されました。
改装費用は一教室2000万円。
先生がAですか、Bですか、Cですかと質問すると
手元のボタンをおすようになっていて、瞬時に黒板の脇に人数が出るという
今思うと笑っちゃうような代物でした。

アナライザー教室

ほとんど、使う人はいませんでした。

その後、パソコンの時代になり、アナライザー教室はパソコン教室へと
改装されました。パソコンが40台入りました。
費用は設備込みでまた2000万円かかりました。

何のパソコンがいいか、NECか富士通か(マックは選択肢になかった)
視聴覚主任はアンケートに答えたものです。
しかしその時にはもうすでに決まっていたようです。

パソコン好きの先生は少し使いましたが
ほとんど、使う人はいませんでした。

パソコン教室

さて、ここまででもう分かったと思います。

教育現場というのは「児童数」という数の力があるので
何かを処分するのには都合がいいのです。
単価は安くても大量にものが売れるのです。
薄利多売というやつです。
薄利ではなかったと思いますよ。

子どもたちや先生たちの要求でアナライザーやパソコンが
設置されたのではなく、業界の要求で設置されたのです。
ものが先、使い方はあと。
多くのお金の動きが見えてきますよね。

当時はそんなこととはつゆ知らず、「アナライザー研修」や
「パソコン研修」に励んで、何とか使いこなそうとしていたのです。

そして2020年から始まった「GIGAスクール構想」。
一人一台のパソコン配布です。
さあ、これからはデジタルの時代。
またまた業者が目の色を変えて入札です。

多くのお金が流れました。
先生たちには「使え、使わないと予算が取れない」とばかりに
アプリやネットやプログラムの研修がなされたのです。

教育現場というのは社会のゴミ捨て場です。

必要だから機器を導入するのでなく
機器を導入しなければならないから子どもに使わせるという
真逆の教育なのです。
いや「教育」と言えるのでしょうか。

少なくとも小学校においては
パソコンでまとめるのでなく
肩を寄せ合って模造紙でまとめた方がいいのです。
デジタルでなくアナログがいいのです。

共同作業

必要ない。

今の共同作業

もう、いい加減にしてこんな教育政策は打ち止めにしたい。
人間らしさを返してくれと言いたい。
少なくとも小学校ではAIなんて要らない。
ChatGPTが出たら慌てふためいて「生成AIのガイドライン」なんちゃって。

予定帳を配信したら子どもは計画性のない子になる。
計画帳を手書きで書くという作業を通して明日の授業をイメージするのです。
日本語というのは形を認識して「手書きすることで」頭の中にインプットされるのです。
アルファベットとは認識が違うのです。

教育現場を金の使い道と考える業者と文科省と委員会。
ここをほりこんでいけば埃がたくさん出て来ることでしょう。

社会がデジタルに進む中で、だからこそ「体験」「本物体験」を
重視するアナログ教育がもっともっと大事になって来るのです。
「GIGAスクール構想」なんて妄想の間違いじゃないかと僕は思っています。


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