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映画パンフレット感想#43 『墓泥棒と失われた女神』

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感想

この映画にまんまと心を奪われてしまった。汚れた風貌の主人公アーサーがもつピュアさと朴訥とした身振り、墓泥棒たちが副葬品というお宝を追い求めるロマン、現世と冥界の境を飛び越えるロマンティックなラブストーリー、作品全体からじわじわと放射されるあたたかな愉快さ、遊び心のあるアイデアに満ちた演出・撮影・脚本など、魅力は枚挙にいとまがない。こうも恋に落ちては仕方がない、パンフレットを買うのみである。他方、マジックリアリズム的な表現が随所にあり、解釈の余地が残される開かれた映画でもある。その思考作業の相棒になればという期待もあった。結果からいうと、大満足の内容だった。

映画パンフおなじみのストーリー記事は、印象的なセリフをピックアップしながらあらすじが結末まで網羅され、脳内劇場で再上映しつつ細部までおさらいできる。アリーチェ・ロルヴァケル監督の長文コメント記事では、本作制作のインスピレーションの元となった監督の実体験や、盛り込みたかった題材「墓泥棒とアート市場」の詳しい背景などが、監督自身の言葉によって明かされている。

寄稿記事は、コラムニストの山崎まどか氏による「ロルヴァケルの優しい革新性」と題された作品解説と、日本大学芸術学部教授/『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』著者の古賀太氏による「ロルヴァケルの映画的記憶」と題された作品解説の2本が収録。後者は、過去の名作映画や、本書掲載の「アリーチェ・ロルヴァケル監督が本作においてインスピレーションを受けた5つの作品」からタイトルを引きながら、本作が各作品から継承した“映画魔術”について明らかにしており、映画史を学びつつその文脈で捉えた本作の魅力を再発見することができる。

「キーワード」記事では、【Chimera(キメラ)】や【エトルリア】など本作に登場/関係する複数の用語について解説されており、本作を読み解くのにおおいに役立った。また思わぬ収穫だったのは、劇中で吟遊詩人が披露した歌の歌詞を全文引用した「ソング」の記事。歌はこの映画の語り手=神の視点で登場人物らのストーリーを語るようだったが、鑑賞時には意味を掴み切れなかった。改めて歌詞を読むと、映画で描かれない細かなことを示唆するような箇所もあり、熟考することで作品理解に深化につながった。

私は当初、ラストに至るまでのアーサーは半分生き、半分死んでいるのだと解釈していた。最愛のベニアミーナを亡くした絶望と、冥界のベニアミーナとの再会を願う気持ちが、彼を死の世界に引き込んでいる。彼が汚れ異臭を放つのは、ある種の死臭ともとった。エトルリアの墓の位置を探し当てる能力も、ベニアミーナ=冥界を強く求めるからこそ備わったと考えられないか。一方で、陽気な女性イタリアが象徴する生と現世(未来)にも惹かれている。イタリアと過ごすときは身なりを整え、異臭も落とす。このようにアーサーは、生と死のあわいで彷徨った結果、ついにベニアミーナに繋がる“赤い糸”を見つけ、冥界で再会を果たした、と。

パンフレットを読んだ結果、この解釈は大きく外れていなかったように感じる。ただ、「キメラ」という言葉に着目し、山崎まどか氏の寄稿とキーワード記事の解説を組み合わせて考察することで、さらに新たな解釈が広がった。「キメラ」は、本作の字幕では「幻想」と訳されているが、「二つ以上の要素が合わさったもの」という意味も持つ(キーワード記事にはより詳細な解説があるがここでは引用を避ける)。この映画では「生と死」を併せ持ったアーサーが代表的だが、「生と死」は本来二項対立的な概念でもある。他にもルーツの違い、言語の違い、貧困と富裕など、人や存在を分つ概念が本作には多数登場する。それを、イタリアが廃駅で示したようにシェアし共存させること(=キメラ)こそ、概念の境界をかろやかに飛び越え、愛にたどりつくひとつの方法なのではないか。

最後に、本作を深掘りする過程で見つけたWeb記事をいくつか紹介したい。まずは、パンフレットには掲載のない、ジョシュ・オコナーのインタビュー記事。単純に内容が面白い上に、アーサーというキャラクターとこの物語への彼なりの解釈が明確に断言されているのでおすすめだ。

他にも、パンフレットにも寄稿された山崎まどか氏のトークイベント記事や、アリーチェ・ロルヴァケル監督のインタビュー記事も楽しめたので以下にリンクを貼る。

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