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逆刷り込みをしよう

「口癖」。日常的に発している言葉は、その人が何を重要と感じているか、そしてどのような価値観を内面化しているかを反映しています。つまり、普段何気なく言っている言葉が、自分の目の前の現実を形作っているのです。

ではその口癖、いつ、どうやって、作られたのか?

「口癖」とは、私たちが幼少期から親や周囲の大人たち、社会の影響を受ける中で、無意識に形作られたものだと解釈できます。生まれた瞬間から、私たちは親の価値観や善悪の物差しを受け継ぎ、さらに成長する中で先生や友人、メディア、SNSなどからも「これはこうだよ」という形で様々な価値観が刷り込まれていきます。成長の過程で、日常的に耳にする言葉やフレーズが、無意識のうちに自分の中に浸透し、繰り返し使うようになることで、口癖として定着するのです。

これを端的に「刷り込み」と表現することができます。

普段無意識に発している言葉は、その人が内面で何を重要だと感じているかを反映しています。これらの言葉は幼少期からの学びや経験、周囲の影響を通じて形作られ、私たちの現実を構成している一部でもあると言えます。私たちは生まれた瞬間から、親の持つ善悪の物差しから、価値観から捉え方まで何もかもを受け継いでいます。親以外に成長するに連れて、近所のおじさんおばさん、親戚、クラスメイト、先生、先輩、上司、SNS、、、ありとあらゆる場面で、

「これはこうだよ」を教えられ人として生きる道を刷り込まれます。現在の自分の考えが、どういうことから構成されているのか?を問うたとき、一番わかりやすいのは「口癖」が一番わかりやすいでしょう。

普段何気なく発している言葉が自分を作っている、つまり目の前の現実を作っていることがわかります。

例えば想像して欲しいのですが、タピオカを飲む時の太いストローを脳にさして、そこから吸い上げたとして、完全空っぽになったら、何が残っていますか?

日々、多くのことを考え、感じ、不安や心配、喜びや悲しみといった思いに振り回されています。脳の中にはさっきまで当たり前のようにあった、あれこれ考えてたこと、不安なこと、心配なこと、やりたくないこと、ムカつくこと、憎いこと、危険なこと、エロいこと、楽しいこと、ワクワクすること、悲しいこと、嬉しいこと、髪型どうしよう、ネイルどうしよう、子育てどうしよう、介護どうしよう、メイク上手くできた、新品の靴お気に入り、やっぱこの時計素敵だな、私の名前は◯◯、年齢はいくつで、住所はどこでと申告したり、、、

そんなごちゃ混ぜに散らばっていた「思い」がなくなったら?

その全てがなくなってしまったら、私たちは空っぽになってしまうのではないでしょうか?

実は、私たちが「自分だ」と思っている多くの部分が、親や社会から刷り込まれたものに過ぎないと言えませんか?


私たちの脳は、重要だと感じていることを無意識の中に刻み込んでいます。重要じゃないことは意識に上がってきません。そして、その無意識こそが、私たちの現実を作り出しているのです。だからこそ、自分が何を重要だと感じているのかを確認することが大切です。

そして、その重要性が本当に自分の望むものかどうか、本音ではないことを無意識に言っていないかを見つめ直す必要があります。

多くの人は、「こんなことが起こったらいいな」と子どもじみた想像をして楽しんでいますが、同時に「そんなことは無理だ」「期待しすぎて裏切られるのは嫌だ」といった声なき声が心の奥底で響き、それがさっきの子どもじみたポジティブな妄想をかき消してしまいます。

これは一種の自己防衛でもあるからだと言えます。過去の酷い経験や他者からの注意の中で培われた自分を守るための「制止」の感覚が、無意識の中でインプットされてしまって、こんなことが起こったらいいなに蓋を強いるからです。

プロセスを少し例え話にしました。

ある日、突然あなたは深い洞窟の中で目覚めました。その洞窟の壁には、自分が今までずっと追いかけてきた「欲しいもの」のリストが映し出されています。これまで「これが手に入れば幸せになる」「これが成功だ」と信じてきたものたちです。

しかし、洞窟の奥へ進んでいくと、さらに深い場所にたどり着きます。そこには、静かで穏やかな空間が広がっていて、その空間に漂っているのは「本当に大切なもの」「すでに満たされている感覚」でした。

これに気づいた瞬間、あなたは自分が追い求めていたものが表面的なものであったことに気づきます。

このように、一度私たちが自分の内面で何が本当に大事かということに気づけば、”本当に重要だと感じているのは「起きてほしいこと」”だと自覚でき、そのことを誰かに知れる必要もないので、子どもじみた空想であっても良いのです。

しかし私たちが望んでいるものは、単なる「今すぐ欲しいもの」ではなく、もっと深いレベルで既に満たされているものかもしれないということです。

そして、日常の不安や不快な感情、さらには抱えている問題も、よくよく見つめてみると、実はそれらの多くが思い込みや過去の経験に基づいて作り上げた物語かもしれません。

その物語が、現実をどのように見るかを左右している可能性があります。視点の起点は既に自分の頭の中にある刷り込まれた”親の言葉や態度”であるということです。

であるならば、太いストローを使って今頭の中にあるさまざまな価値信念習慣ルールを吸い上げて、捨ててしまって、新しい言葉や態度を投入したらいいと思いませんか?

これまでの人生という物語を手放すには、自分自身の本当の望みや感覚に向き合うことで、心の奥にある「すでに満たされた感覚」にたどり着くことが必要だと思います。これを真に「叶った」と言うのではないでしょうか。

このようにして、私たちは自己理解を深め、真に必要なものが何かを知ることで、日常の不安や恐れから解放されていくと思います。

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