見出し画像

感情を感じることで簡単に自分らしく生きれる

自己肯定感を高めるための本質的なアプローチとは?


感情を感じる、感じ切るだけで自分らしく生きれるなんて信じられないと思いますか?

でも私こう見えて、毒母の支配下にあったアダルトチルドレンですから、なんの役にも立たないと劣等感の塊でした。自分がなぜ生きているのか意味がわかりませんでしたよ。流行りの言葉で言うならば自己肯定感が低いということです。見た目は華やかですし見栄っ張りでしたから、そんな心の歪みを抱えているとは見られません。HSS型HSPなので過敏だけど観点が独特なので職場ではちょっとすごい人に見られますけど、内面で抱えているものはザ・無価値観なのです。

もう大人だし、無価値だし自己肯定感を高めるには手遅れか…と思いました。でも生きているわけです。人生は続いていくのです。明日も生きているかどうかはわかりませんが、生きるとしたら?
「1%」の望みをかけて、自分は生きてる意味もない存在、無価値だけど、「じゃあ自己肯定感が低いなら上げてみればいいか」と考えました。ですが、上げ方がわからないですよね。上げるにはどうしたら良いかを検索すると以下のようなことが出てきます。

  1. 今の自分と向き合い認めてあげる

  2. 小さな成功体験を積み重ねて自信を持つ

  3. リフレーミングをうまく使う(違う視点から捉える)

  4. 肯定的な言葉を使い自分のよいところに目を向ける

  5. 常に笑顔を心掛ける

  6. 「嬉しさ」や「感謝」など前向きな気持ちをリストアップしてみる

  7. 「自分はできる人間だ」「自分はかけがえのない存在だ」など、自己肯定感を高める内容を宣言してみる

  8. 小さなことであっても自分自信をほめる

  9. 困ったことがあった場合、一人で悩まずだれかに助けを求めてみる

  10. 自分自身について、長所と短所を把握したうえでそのまま受け入れてみる

  11. 自分の短所をポジティブにとらえてみる

  12. 自分に必要な情報だけを取捨選択して収集して自分をポジティブに保つ

  13. 自分の得意なことや長所を活かせるものを選ぶ。


ぱっと見できそうなんですが、実際こういうのできますか?
無価値で劣等感の塊なのに、小さい成功体験を重ねるってどういうこと?
そもそも自信がないのに自信つきます?物事を違う視点から見てみたいけど今の劣等感ある状態で違う視点を見つけられます?自分の良いところに目を向けたいけどそもそも無価値なので良いところがあるとは思えません。笑顔を心がけてもいいことなんてないし、時に人はぶつかってくるんですよ。感謝のリストアップしてたら虚しくなってくるし、自分をかけがえの存在なんてこれっぽっちも思えません…無価値だからね。自分を褒めてみたけどなんか気持ち悪いし、誰かを頼るなんてできない性分なんですよ。長所と短所を受け入れてみたけど長所がないし、だから何?だし。短所をポジティブに捉えるなんてできませんし、ポジティブに保つって”保つは維持する”、だから不自然ですよね。得意なことなんてありませんね。。。日記をつけることや、スリー・グッド・シングス(今日あった良いことを3つ書き出す)といったテクニック、一見すると役立つように思えるものの、世の中に出回っている

『自己肯定感を上げるにはこうしたらいいですよ』
は残念なことにどれも上っ面なことしか書いてなんです。無価値で劣等感の塊の私には響かないのですよ。

まず本質がずれているのです。自己肯定感が低いかなと感じたから「あげるには?」「高めるには?」と”調べる”行為自体はいいけれども、まず自分を肯定できないということはつまり否定をしているということですよね。否定って卑下しているんですよね。劣っている、見下している、虐げてもいますよね。そんな人があれこれと「方法」を試すことができるわけないのですよね。

実際には多くの人がこれらの方法で成果を得られていません。むしろ自己嫌悪に陥るケースが少なくありません。

検索して得た情報は「今の自分を変えること」を前提としており、それは「できるようになる自分」を目指すものだからです。できるようになりたいのは確かにそうなんですが、その前に、その前にですよ、自己肯定感が低い状態にある人は、そもそも自分自身を変えるためのエネルギーや信念が不足しているため、これらの方法は逆効果なのです。

無価値で劣等感の塊なので物事も自分のことも否定することしかできない状態です。それは健全とは言えないことはわかっていますが、そうなってしまった要因があるのでそういう状態なのです。それは人として欠落しているのではなく単に心の健全性を知らなかっただけです。心のことなので心理学が有効だろうと考えると思うのですが(私もそうでしたから)、方法論をやる前に、やれるだけのエネルギーや信念がないのですからそこの土台を作ることが必要なのです。

私自身も、かつてこれらの方法をすべて試してみましたが、逆に自己肯定感がますます低下し、無力感に苛まれることが多くありました。無価値で劣等感の塊にさらに無力感が加わるので、望みを賭けた1%はもう限りなく0%に近いわけです。命からがらのその経験から学んだことは、「自己肯定感を高める」とは、「何かを成し遂げること」ではなく、「今の自分を全肯定すること」であるということです。


真の自己肯定感を育む「全肯定」の重要性

本質的な自己肯定感を育むために必要なのは、自分の感情や考えを一切否定せず、あるがままに受け入れることです。これを私は「全肯定」と呼んでいます。

「全肯定」とは、自己の内面を批判せずに、そのまま受け入れることです。自分が感じている感情や考えを否定することなく、それがどんなものであれ大切にし、友人に寄り添うように自分に寄り添う姿勢が重要です。友人が悩んでいたり困っていたら
「どうした?話聞くよ。そっかそっか…、災難だったね、、」と寄り添いますよね?

自分の意図せず湧き上がってきた感情なんです。意図せず浮かんだ考えなのです。そしてその考えはぐるぐるしていることが多いです。感情もモヤモヤしっぱなしではありませんか?そんな感情も考えも全て否定せずに、今こういうことを感じたんだな、考えてるんだな、と淡々と受け止めることで、次のステップとして『自分はこんなに不快なんだな』と感じることができるようになり、感じ切ることができるようになり、本来の自己肯定感が育まれていきます。

不快感は不快なので、感じたくないのが人間の性質でもありますがそれは本性ではありません。不快には臭い、嫌い、キモい、苦しい、寂しい、悲しい、悔しい、怖い、うるさい、等ありますが、できれば感じたくないので感じなくても済むように気を逸らそうと頭が邪魔をしてきます。それは本質ではないのです。感情には良い悪いがありません。快と不快も良い悪いがありません。個々により受け止めかたが異なるだけです。この感情は悪いものなんてないんです。この不快は悪いものもないのです。

不快というのは自分のセンサーですね。その不快センサーが発せられたけれども不快センサーを大切にしていませんよね。不快であっても不快を受け止めることが自分を蔑ろにしないということになるのです。自分を蔑ろにしないから否定していないということです。言葉尻を合わせている話ではないのです。自分の不快感を放置しないで受け止めたということは、自分で自分を否定していないということです。不快センサーさえも否定していないので肯定しているということです。

じゃあ不快感を受け止めたら自己肯定感上がるのか?と思いますよね。そうなんです。自分が感じる不快な感情と、ぐるぐるする後悔や心配や不安の思考を全く否定していないので、『受け止めることができた』という満足感が発生するのです。

わかりますか?
自分から勝手に湧いてきた感情や考えを否定しないで、淡々と受け止めて→そうなんだ・・・そう感じてるんだ・・・そう思ったんだ・・・そう思っているんだ・・・と受け止めるだけで満足するのです。

どうか今やってみてください。受け止めてみてください。不快感から逃げないでやってみてほしいのです。感情を頭で感じるのではなく感情にだけ意識を向けて感じてください。わなわなするかもしれません、、みぞおちあたりが苦しいかもしれませんがそれを感じてください。
湧いてきた心配事、不安、不満、モヤモヤの考えに対して『悪い』のラベルを貼る前に、小さい子供を迎えるようにそうだよね、と受け止めてあげるのです。


どうでしょうか?
上述の自己肯定感を上げるにはどうしたら良いか?13選をあれこれ考えながらやるよりも、これってどうやってやるんだろう?と悩むよりも、今感じた感情を受け止めて感じる、今湧いてきた考えを受け止めて肯定する、たったこれだけで『自分は自分に肯定された』という安心感がありませんか?


重要なのは、感情を「感じる」ことに徹底的に集中することです。感情を感じ切るという行為は、自己愛の実践の中で最も強力な手段です。感情を抑圧せずに解放し、その感情をしっかりと受け止め、受け入れることで、初めて自己肯定感が自然と高まっていくのです。高まるというより正常値に戻るということです。ですから自分の感情や考えを自分で否定するということは不自然なことなのです。

他者比較をして評価するのが前提の社会において、その感情は不適切だから抑えなさい、その考えは間違っているから改めなさい、と他人の基準、社会の基準により物の善悪、美醜という評価の中で生きてきたため、これではダメだと自分を否定することが続いてしまったかもしれません。

自己肯定感を本質的に高めるために必要なのは、外からのテクニックや方法に頼るのではなく、内なる感情や考えをすべて受け入れ、大切にする「全肯定」の姿勢です。これは、一朝一夕に成し遂げられるものではありませんが、自己を深く理解し、大切にすることで、自己肯定感は自然と内側から湧き上がってきます。湧いてきた感情を肯定すること、感情を感じ切ること、湧いてきたどんなに愚かな考えでも肯定すること、寄り添うこと、それが真の自己肯定感を育む第一歩となるのです。
この第一歩こそが『自分らしく自由にのびのびと心豊かに生きる』ことなのです。

今日も読んでいただきありがとうございました😄




いいなと思ったら応援しよう!

pinkryu
ご支援いただいたサポートは、より質の高いコンテンツを作成し、スピリチュアルに関心を持つ方々や自己理解を深めたい方々に向けて、さらなる価値を提供するために活用させていただきます。