エグい傷は、ひとりで背負っちゃいけない。と、いう話
2018年の夏、私たちは会社をクビになった。
業績不振による会社都合の退職だ。手っ取り早く言うと、ほぼ倒産。
別に、それについて今更どうこう言おうなんてさらさら思っていない。
あの会社が、私たちは好きなのだ。
他に言いようがない。好きなのだ。
しかし、それと同時に憎んでもいることを今日知った。
愛憎入り混じるというのはまさにこのことだろう。
今日、久しぶりに元同僚たちに会って、それはもう楽しく飲み食いをした。
銀座では信じられないくらい安い焼き鳥屋で、飯を食ったのだ。
とくに筍釜めしがうまかった。
そこで、ふと私たちはこんな話をする。
「きもちが、複雑なんだ」
まだ、あの日の気持ちを消化できずにいる、と。
会社がどうにもこうにも立ち行かなくなって、身じろぎできなくなったあの日のことだ。
正直なことを言えば前兆はあったし、そのリスクは理解していたつもりだった。しかし、いざ目の前に突きつけられた現実は、その状況を打破しようとしていた私たちに計り知れないダメージを与えたのだ。あの日、あの時、あの場所にいた私たちの絶望は計り知れない。
しかし、「本当にツライ」ということを知ったのは、私と元同僚もしばらく経ってからだった。
解散宣言の後、残務処理と転職活動に追われそれどこれではなかった。むしろ「こんな経験レアすぎて誰もしていないんだから、プラスに考えてネタにでもしたらいい。」とさえ思っていた。
実際、面接でネタにすると食い付きは良かった。初対面の仕事仲間にこの話をすると、とにかくウケる。
しかし、この話をするたびに私の魂は少しずつ削れていったのだ。
話は変わるが、私はあるメディアで編集の仕事をしている。そこでライターに必ず言うのは
共感と驚きを大事にしなさい。
ということだ。
そこで、ふと気づく。
私たちの胸の奥に残り続けるこのしこり。
この経験はあまりにも「レア」すぎて、経験した人なんか周りに誰もいなかった。そして悟った。
ああそうか、あの経験はレアすぎて誰も共感してくれない。誰も癒してはくれないのだ、と。
大事なことなのでもう一度言うが、私はあの会社を嫌っているわけではない。それは元同僚も同じ思いだ。
銀座の安い焼き鳥屋で、もつ煮込みを突きながら元同僚は言った。
「もう一度、社長が俺たちに土下座してでも引き戻したいって思ってほしい」
私はそれに深く頷く。
いつか、どうにかして戻れたら。それが私たちの願いであり、もしかしたら祈りに近い何かなのかもしれない。
これが私たちの愛憎入り混じる共感であり、2年弱求め続けた癒しなのだと。
私は今日、共感が心を癒すことを、本当の意味で初めて知った。
自分のことで手一杯になり、全てのことから距離を置いた2年弱。
どうしてもっと早く彼らに会わなかったのかと、深く後悔した。知らず知らず、誰かを傷つけながら生きていた2年間だった。
きっと、傷は自分で思うよりも、誰かと分かち合ったほうがずっと早く癒える。
こんな大事なことを、今更思い知らされるなんて。
帰り道、元同僚と当時オフィスがあった京橋を歩きながら、そんなことを考えていた。
そしてたどり着いたのは、かつて私たちが通った最寄り東京駅である。
東京駅八重洲口は、まるで何もなかったかのようにあの日と変わらずそこにあった。
#エッセイ #コラム #倒産 #ベンチャー #複雑
#愛 #憎しみ #傷 #ライター #編集 #編集者 #cakesコンテスト2020