ベンチャー勤務8年目、絶叫する井の中の蛙
社会人経験が15年近くなって、そのうちベンチャー経験が8年を超えた。
そもそも、私のキャリアスタートは上場企業だったが、仕事内容でいえば今の方がずうっと楽しいし、想像を絶するどん底を味わって尚、きっとこの先も、私はベンチャー企業で働きたいと思う。なんと恐ろしいことか。
一体なんでこんなにも、ベンチャーで働くことに狂酔しているのだろうか。
それを言語化することを、帰り道に突然思い立ったのだ。
ベンチャー、それはヘンテコな井戸
井の中の蛙という言葉がある。
ベンチャーとはまさにそんな感じなのだ。その井戸から飛び出して、例えば転職したならば、またその井戸の中でずぶとく生きなくてはならない。
ずぶとく、というのは案外難しい。
前の井戸で当たり前だったことが通じやしないのだから、毎日価値観がぶっ壊れる。
そういう、深く暗い井戸の底で蛙たちは叫んでいる。
例えば、新規事業の立ち上げを、サービスクローズを、資金調達を、チームビルディングを、KPIを、IPOを。
それから、上場を経験した別の井戸からずぶとそうな蛙を引っ張り上げてこちらに引き入れ、そのノウハウを吸収しようとする。
そして失敗すると、だいたい執行役員がゴソッと辞めていく。
ベンチャーの井戸は、上場企業のそれとは強度が違う。恐ろしく脆い。
例えば、評価制度とか、長時間労働とか、PLとか、下請法とか、コンプライアンスとか、そういうものでちょっとでも突っつけば、十中八九もろもろと崩れていく。
息も絶え絶えの蛙たちが必死になって石を積み上げ、ようやく法人としての体裁を保っているのだ。
そりゃあ、綻びなんて数え始めたらキリがない。
そういうのが我慢ならない人は、決してベンチャーで働こうなんて思ってはいけない。きっと不幸になるだろうから。
メディアに取り上げられているキラキラ輝くベンチャーなんて、この世にありはしないのだ。
大小にかかわらず、企業というのは数多の犠牲を土台に成り立っている。ベンチャーとは、その犠牲が未だ血生臭く痕跡を残しているか、あるいは絶賛犠牲製造中状態のことを言う。
そういう陰惨な井戸を、私は4社ほど見てきた。
どの井戸の中でも、起こる出来事はだいたい同じだけれど
散々な言いようでベンチャー企業を書いてしまったけれど、これ以上ベンチャーの実態を美しく形容することはできない。
それに、こう言うことは各社、茶飯事である。
離職率は高いだろう、社長は新規事業に夢中だろう、事業部は管理部に歯向かい、管理部は事業部に噛み付いているだろう、組織改善を実行しようとして爆散するだろう。
カオスだ。
示し合わせたように、雪崩のように、絶対何か事件が起こる。
なににせよ、不思議とそういう環境になる定めなのかも知れない。
だが、私はそれを楽しいと思う。
毎日無茶苦茶だ。深夜残業ギリギリまで粘って、精神を極限まで削って、その先にきっと何かがあると期待してしまう。
きっとこの井戸は世界を変える、きっときっと、私のこの仕事がその一端を担っている。そう思えば手が止まることはない。
同僚たちもまた同じなのだろう。
新規事業にのめり込む人、既存事業をブーストさせたい人、IPOを実現したい管理部。
誰もがいつかこの井戸が世界で一番ヘンテコで、最高の井戸だって証明したいのだ。
ベンチャーでは、ただひたすらに信じることが重要だ。それが己の価値証明になり、そして少しずつ井戸は補強されていく。決して他力本願では辿り着けない、ベンチャーでしか見ることのできない景色を目指す。
そうやって働いているうちに、私は立派なベンチャージャンキーに仕上がった。
今3年目になったこのベンチャーで、私は毎日夢を見させてもらっている。
「大丈夫、なんとかなる」
そうやって、毎日仕事をしているのだ。
この記事は悪口だっただろうか?
そうかも知れない。
元来、私の口はとても悪い。悪態のバリエーションならいくらか自信がある。
そんな私が、こうやって言うんだから、ベンチャーはおもしろいんだ。