ガチャに当たりもハズレも、ある。
親ガチャってなんだ
今年になってから初めて「親ガチャ」と言う言葉を知った。私のように若者の部類でない方は初めて聞いた言葉かもしれない。
まぁ、言葉の響きだけでなんとなくわかるかとは思う。
子供はどの親の元に生まれてくるかで人生が大きく変わるが、親を選ぶ事はできず運任せであるということだ。
その運命をゲームのアイテムガチャに例えたもので、レア、スーパーレア、などに当たるとチョーゼツラッキーで、ハズレは辛いよねってお話だ。
スーパーレアは超大金持ちとか、有名芸能人とか、人間国宝とか、世界的アスリートとか、人が羨むような存在が親である場合を指すようだが、一般人であっても子供の事を世間体関係なく応援、尊重、出資してくれる親などもスーパーレアな存在かもしれない。
ゲームガチャのランク付けだとレア、スーパーレア以外はほぼノーマルになるのだが、親ガチャの場合ハズレと言われてしまうこともあるようだ。
ハズレとは?あまり説明したくもないが、毒親、DV、ネグレクト、大貧乏、などになるかと思う。反面教師的な要素もあるだろうが、とりあえず表面的には、という意味でだ。
親ガチャという言葉に対して
「そんな言葉で親を例えるなんて許せない!自分の親なのに!」
と目くじら立てる人も一定数いる。
そしてそういうタイプの人が私は苦手だ。
そういった人こそ「ハズレ」の部類の親か、その予備軍なのだろうなと思ってしまう。(今回辛口でごめんね)
個人的にはこの言葉が発生している現状にあらゆる想像力を働かせて咀嚼するような人と友人になりたい。
事実を突かれるとヒステリックな反応をする人が苦手だ。
さて、かく言う私自身も2人の子供の親であるわけだが、ガッツリ大金持ちなわけでもなく、チョーゼツ売れっ子作家でも(今は)なく、特別な外見や才能に恵まれてるわけでもない。
そんなわけでうちの息子達の親ガチャはスーパーレアではなかったと思う。すまねえな。
とは言えノーマルかハズレか?と言うと、そうでもないようだ。
この「親ガチャ」という言葉は18歳の息子から教えてもらったのだが、
「俺はめっちゃ恵まれたわ。」と言っていた。嬉しい!
先に書いた「一般人であっても子供の事を世間体関係なく応援、尊重、出資してくれる親」にはかなり該当するかもしれないな、うん。
ということは、少なくとも息子は私を「ハズレ」だとは認識しておらず、現状では「当たり」寄りなのだろう。
もうかなり成長しきった後で今更かもしれないが、間に合うのなら何とか「レア」寄りの親に成長し続けたいものだ。
親ガチャ、性別ガチャ、容姿ガチャ、地域ガチャ、時代ガチャ・・・
考えてみれば「親ガチャ」だけでなく、あらゆることも「ガチャ」に該当する。性別ガチャ、容姿ガチャ、地域ガチャ、時代ガチャ。
さらに言えば通う小学校やそのクラスもガチャっちゃーガチャ。
要するに自分の意志とは関係なく決められたもの、決まるものは全部ガチャだ。
人はあらゆるガチャで環境が作られ、自分と他人の違いを少しずつ認識していく。そうして他人と比較して自分勝手な解釈で自分と他人へジャッジをくり返すのかもしれない。
そんな事を考えていたら以前よく用いていた「3.10.60.27の法則」を思い出した。(ハーバード大学調査の、人は3:10:60:27の割合で種類分けされるというもの)
例えばこれに当てはめるとスーパーレアは全体の3%、レアは10%ということになる。
となるとハズレは27%、ノーマルは60%だ。
となるとほとんどの人がレア、スーパーレアは持っていない事になる。いや待てよ。先にお伝えしたようにガチャは親だけでなく、いくつもあるのだ。ほとんどがハズレでも、何か1つはスーパーレアなんて事もあるのではないか。
例えば、他のガチャはハズレでも、容姿だけはスーパーレアであったり、逆にほとんどのガチャがレアでも、性別が本人にとってはハズレだったり、なんて事もあるかもしれない。しかし、結局どのガチャに当たっても交換はできないのだ。
与えられた持って生まれたものに感謝をするのは大事なことだとは思う。
だけれど、自分がそれ以上のものを望むなら、つかみに行くしかない。置かれた場所で咲くのもいいだろう。
だけれど、咲きたい場所を探すことだって平等に許されるのだ。
生まれ持った美しさや才能を持って花屋の店先に並ぶエリート達にはなれなくても、伐採されずしぶとく生きて、別の場所で毎年花を咲かせるのも悪くない。
咲ける場所で咲きなさい
人間界のリアルガチャは永遠にその効力は発揮しない。あくまで最初に与えられたアイテムでしかないのだ。
その効力は、本人が未熟な時に強い効力を持つ。
実は大人になればあらゆるガチャの効力を変えていける。そのために人は大人になるようにも思う。
どうやって?
(ちょっとここは乱暴に聞こえるかもしれない)
親は年を取る。自分の人生を邪魔する毒親なんか捨ててしまえばいい。
生まれた家が裕福でないなら自分が稼げる人間になればいい。
容姿なんていくらでも変えることができる。詐欺メイク
性別は苦しいけれど、それを受け入れた時にこそ最高の仲間やパートナーに出会える。
生まれた場所が嫌いなら出ていけばいい。故郷なんてなくてもいい。そんな存在の人がいればいい。土地そのものには何もないのだ。
生まれた時代が悪い?そんな事はきっとずっと言われ続けてきたのだ。いつの時代に生まれようと、辛い事はある。
その時代にしかない面白さや現象や芸術や文化に目を向けよう。その時代にしかない良さにフォーカスしよう。
そうして、自分の咲ける場所を探していこう。
必ずしも、与えられたガチャのままで生きなくてもいいのだ。
なんならそのノーマルやハズレを生かして人生のネタにしていきたい。
私自身も色んなガチャに苦しんできた。特に親ガチャと地域ガチャにはとても苦しめられた。今、20代の若者と関わっていると、この時代に20代であることがうらやましくてたまらない時もある。
だけれど、私は私のガチャだったからこそ、今の私がある。
自分以外の何者かになりたいか?と言われたら、それがたとえ石原さとみだろうと、ガッキーだろうと断るだろう。うん、たぶん。
そのガチャは当たりかハズレか
結局何を言いたいかと言うと、もしこれを読んでいる人の中に、何か持って生まれたガチャがハズレだったと思う人がいるのならば、そこにだけは余計なお世話でアドバイスをしたい。ガチャは変えることができる。
その第一歩は学ぶこと。自分がよりよくしたい何かについて、懸命に学ぶといいと思う。
社会的貢献や、人助けになることや、収入になることじゃなくてもいい。ただ、自分のために。
とことんエゴイストになって、自分のガチャ変のためには何が必要か?それを知ることから始まる。
そうすることで、ガチャ変は何倍速にもなっていくのだ。
私もまだまだ変えたいガチャがあるので、それに関して調べることにしよう。簡単だ。わざわざ図書館に行かずともスマホがある。知りたい情報はこの小さなプレートの中に溢れている。
それこそ、この時代ガチャに当たった特権なのだから。