「Consistency(一貫性)」と「Integrity(真摯さ)」
毎週日曜日の朝は、定例の読書勉強会。
現在読み進めているのが、
『影響力の武器』第三版である。
この本で取り扱っている、
人の思考に影響力を与える原則
には6つあり、そのうちの2つ目に
昨日から入ったところ。
それが、
「コミットメントと一貫性」
という名前の原則であり、
章のタイトルにもなっている。
この原則の内容を
ごく簡単にサマリーするならば、
こういうことである。
「一貫性」という言葉は、
英語では「Consistency」である。
「Consistent」というと、
常に首尾一貫している、矛盾がない、
そんな意味合いになる。
その名詞形ということだ。
人というのは、常に首尾一貫していたい
ものなのだというこの「法則」が、
実に多くの人に当てはまるということを
チャルディーニがズバリ言い当てたと
言えるのだが、この「法則」は本当に
笑ってしまうくらい誰でも当てはまる。
私自身は、人から理屈っぽいと
言われることが比較的多く、
理屈が通らないと気持ちが悪い性分
ゆえ、この「法則」が殊の外自分に
ピッタリ当てはまると感じていた。
そして、それは自分のように理屈っぽい
からこそであり、他の多くの人には
そこまで当てはまらないのではないか、
正直なところそのように訝っていた
のである。
しかし、実際のところは、誰彼構わず
この一貫性の法則が当てはまるという
ことらしい。
誰もが十分に理屈っぽさを備えている、
ということなのかもしれない。
ドラッカーがよく使っていた言葉に、
「Integrity」がある。
この言葉は、辞書に載っている訳語だと
「高潔」
「誠実」
といった表現になることが多い。
ドラッカーのほぼ全著作を翻訳された
上田惇生先生の訳語では、
「真摯さ」
という言葉が充てられている。
この言葉は「Integral」の名詞形だ。
その意味するところは、
「不可欠な」
「必須の」
「完全な」
というようなもの。
つまり、すべてが揃っていて、
欠けるところがないわけで、
これが転じて「一貫性がある」と
いう意味合いにもなり得る。
そう、「Integrity」という言葉には、
「一貫性」というニュアンスが
含まれているのである。
誰に対しても分け隔てなく接する、
そういう人のことを「誠実」と
評するが、ここからも「Integrity」に
「一貫性」のニュアンスがあることが
伝わるのではないだろうか。
「Integrity」と「Consistency」、
いずれも非常にポジティブな意味で
使われる言葉であり、
お互いにとても近しい言葉だ。
自分自身、常に真摯でありたいと
思い続けており、ドラッカーの著作に
触れる機会がある度に、その思いが
なお一層強くなって来る気がしている。
チャルディーニが教える
「Consistency」の原則が、ことほど
左様に強力に我々を規定するのは、
「Integrity」を常に持っていたいと
いう私自身の気持ちも、少なからず
影響しているかもしれない。
いずれにしても、
「首尾一貫していたい」という、
我々を縛っている抗いがたい「法則」
が存在することを、今後も常日頃から
意識しておきたい。