人に流されず、あえて人と違う選択をする
昨年の秋、新しくなった国立競技場を
初めて訪れました。
2021年に行われた東京オリンピックの
舞台として新たに建築されてから
それほど日が経っていないこともあり、
その美しさ、威容に圧倒されたのを
覚えています。
特に、木材の使い方が非常に美しく、
いかにも日本らしい繊細さが表現されて
いることに誇らしさを感じました。
この建築を手掛けたのは、日本で最も
有名な建築家と言っても過言ではない、
隈研吾さん。
その隈さんへのインタビュー記事が
『致知』2024年4月号にありました。
各界の著名人に、
「二十代をどう生きるか」というテーマで
インタビューする連載企画です。
冒頭のヘッドラインには、
とあり、ご本人が実際にそのような
エキサイティングな二十代を過ごした
様子がつづられていました。
記事の中で特に印象的だったことが
二つあります。
一つ目は、二十代になる以前の
エピソードだと思われますが、
氏が父親から教わったことです。
何かおねだりをすると、
決まってレポートの提出を迫られた
そうで、当時はそれが嫌で仕方がなく、
何も求められずにホイホイ買って
もらえる妹との差に憤りを覚えていた
という隈さん。
しかし、仕方ないながらも、
上記のような形で説明文書を繰り返し
まとめるうちに、これが素晴らしい
社会訓練だったと後から気付いた
とのこと。
今では建築家としての素養を鍛えて
くれた父親に心から感謝している
そうです。
二つ目は、人に流されることなく、
自分の頭でしっかりと考えて、
あえて人と違うことをやることで、
狭い価値観に囚われずに成長できた
ことを実感されていた点です。
周囲は、卒業後にすぐ事務所を立ち
上げるのが一般的だったところ、
あえて大手設計事務所に入社しました。
3年後には、ゼネコンに転職して、
別の角度から仕事をしていたようです。
この「人と違う選択」が、
結果的に多くの人と働く機会をもたらして
くれたわけですね。
更に3年後、いろいろな人間に会ってみたい
という思いに突き動かされて、アメリカの
ニューヨークにあるコロンビア大学に1年
留学し、「新鮮な学びの連続」を得られた
とのことでした。
最も特徴的なのが、設計に関する授業で、
日本では黙々と設計図面を提出し採点し
てもらうところ、アメリカでは提出した
後からがむしろ本番で、それをいかに
上手くプレゼンテーションできるかが
問われたというのです。
これらの経験が、三十代以降で大きく
飛躍された隈さんの基礎を築いたことが
感じられて、大きく頷きながら記事を
読み進めた次第です。
レベルは隈さんに全然及ばないものの、
意図的に人と違う選択を行ってきた
自覚のある身としては、
大きな勇気をもらえる記事でした。