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日々の出来事から何を学ぶか

「姉さん、事件です。」

このセリフで始まるのは、
『HOTEL』というドラマである。
毎日のように、あれこれと「事件」が
起きるのを、ホテルマンの主人公が、
姉に報告する書き出しが、
始まりのお約束だった。

世の中、事件に満ちている。
TVでも新聞でもネットでも、
あれこれとニュースで騒がれる。

世の中の動きとはまた別に、
自分の周りも事件が満ちている。
大なり小なり、日々事件は起こる。
それによって、バタバタと小回りを
利かせて走り回る羽目に陥ったり、
感情の方もジェットコースターの
ように上がったり下がったりを
繰り返す。

コップに入った半分の水を、
「半分しかない」
「半分もある」
どちらで捉えるかという話は、
そうやって日々身の回りで起こる
「事件」をどう受け止めるべきかに
関する教訓である。

マイナス面を捉えるのではなく、
プラス面に目を向けていこう、

というのが基本的な落としどころと
理解をしている。
「半分もあるではないか!」
ということで、「足るを知る」
ことを勧める。

しかし、「半分しかない」と
捉えるのがダメなのかというと、
決してそんなことはない。
不足や不満は、人類の発展の礎だったと
言っても過言ではない。
となれば、「足るを知る」などと言って
悠然と構えている態度は、人類の進歩を
否定することにつながる、
そういう解釈も成り立つだろう。

結局のところ、そういう両論があることを
分かった上で、臨機応変に、
あるいはTPOに合わせて、
今回はこっち、次回はあっちと、
捉え方を変えて行けばよい。

世阿弥が言うところの
「見」(または「我見」)
「離見」
「離見の見」

この3つ目の境地にもつながる。

だからといって、そういう第三者的な態度を
取り続けることが、必ず正解かというと、
これまた微妙である。
確かに、客観的なことは、事実、真実をつかむ
上で役に立つのは間違いない。
しかし、実際に現場で起こっている事実に
どう向き合い、どう解決していくかが
問われるときに、えてして
「リーダーシップがない」
「自分でドライブする力がない」
などと解釈される恐れが大きい
のである。

正に、あちらを立てればこちらが立たず、
こちらを立てれば、あちらが立たず・・・
「矛盾」を抱えながら、一体どうすりゃ
いいのさ、と悩むことになるのだ。

ただ、このような悩みは、ある意味
とても贅沢な悩みである。
今も戦争が行われている地域が
この地球上にある中、
命の安全が脅かされているわけでもなく、
飢えて死にそうだというような境遇に
陥っているわけでもない。

結局、日々の悩みを糧にして
次にどんな行動へと結びつけることが
できるか。

それこそが重要である。
「〇〇を学んだ!」
で終わらせずに、
具体的に第一歩を踏み出せたか
そこにこだわりたいものだ。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。