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メタファーの達人・マクルーハン

1年以上前に、メディア論の権威である
マーシャル・マクルーハンについて
少しばかり聞きかじったことを書いた
ことがある。

あのドラッカーと親交があり、
両者はお互いに頻繁に議論を
交わしながら、それぞれの
考えを深く熟成させていった
フシがある。

昨晩、このマクルーハンについて
興味深い著書を出されている、
中澤豊さんのご講演を伺う機会を
頂戴した。
「渋澤・ドラッカー研究会」にて、
気鋭のドラッカー研究者である
井坂康志さんとの対談企画がされ、
実現したのである。

著書の一つは、マクルーハンの言葉を
ひもとき、その独特な思想、発想を
アイデア創出につなげようというもの。

もう一つは、ともすると「詭弁家」
「ソフィスト」と解されていた
マクルーハンの、難解なメディア論を、
独自の視点で読み解こうとするもの。

実は、恥ずかしながらいずれも
途中までしか読めていない。
無意味な言い訳は脇に置き、
昨日中澤さんが語ってくれたことと、
今のところ本を読んで得られたことを
自分なりに咀嚼するために、
少しばかりここに記しておきたい。

昨日出てきた話で、最もインパクトが
あったのが、
「地球村」(Global Village)
という言葉を巡るもの。
この言葉は、マクルーハンが「発明」
したものだと言われる。
「地球」という大きさを感じさせる
言葉と、「村」という比較的小ささを
思わせる言葉とを結び付け、新たなる
意味を生み出している。

当時、すなわち50年程前、私自身が
生まれる数年前の話ではあるが、
この「地球村」という言葉は、
世界的に一大センセーションを
巻き起こした
らしい。
Wikipediaを見るだけでも、割と
詳細に説明が書きこまれている。

「インターネットの到来を予言した」
と解釈されることも多いようだ。
要は、こんなに広い地球が、
まるで狭い村の中のように緊密な
関係を持つようになったことの
比喩、メタファー
である。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの
二人が、マクルーハンの著書
『地球村の戦争と平和』が出版された
翌年に、直接自宅を訪ねたらしい。
そして、その2年後に、あの
『Imagine』が世に出たというのである。
マクルーハンの言説に感化された
彼らが、あの歌詞を紡いだ、
そうに違いない、そのように感じさせる
エピソードである。

この「地球村」と同じ位に有名な
マクルーハンの語った言葉と言えば、
「メディアはメッセージである」
が挙げられる。

メディアは、直訳すると「媒体」
メッセージを伝えるための媒介物、
乗り物という意味合いである。
マクルーハンは、どの媒体を
通じてメッセージが届けられるか、
それ自体にメッセージ性がある、
ということを指摘しており、
単なる媒介物、乗り物ではないと
いうことを強調している。

例えば、全く同じ
「私はあなたを愛している」
というメッセージは、
直接自分の口で面と向かって言う場合、
手紙に書いて伝える場合、
電話で口から耳へと伝える場合、
動画を録画して伝える場合、
などなど、
様々な媒体を通じて伝えることが
可能である。

なぜその「媒体」を選んだのか、
その背景にまで思いを致せば、
彼の「メディアはメッセージ」と
いう意味も少し理解できるのでは
ないかと思われる。

そして、この
「メディアはメッセージ」
という表現は、やがて
「メディアはメタファー」
という表現へと進化し、
マクルーハンの旅の終着点と
なったという。

「メタファー」とは「隠喩」の
こと
であるが、この辺まで来ると、
話を聞いて分かった気になっている
自分の気持ちが、本当に分かって
いるのか、単に見栄で分かった気に
なっているのか判別し難い。

ドラッカーも読み解くのが大変だが、
マクルーハンもまた読み解くのに
相当な修練が必要だと結論した。
とはいえ、その大変さは、
私の知的好奇心を刺激し、
満たしてくれる。
中澤さんの本を入口に、しばし
マクルーハンの世界をさまよって
みようと思う。





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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。