平櫛田中が岡倉天心から受けたアドバイス
「ひらぐし たなか」って誰だろう・・・?
最初に名前を目にしたときの印象は、
こんな感じであった。
平櫛田中(ひらぐし でんちゅう)
107歳で永眠するまで、ひたすら彫り続けた
不世出の彫刻家。
東京の小平市に、平櫛田中彫刻美術館が
あり、市のホームページで田中の略歴が
紹介されている。
『致知』2022年4月号で、田中のお孫さんに
あたる平櫛弘子さんのインタビュー記事を
拝読した。
そこに、明治大正期の美術運動の指導者、
岡倉天心とのやりとりが紹介されており、
大変に興味深い。
売れるものをつくらねば、売れないのが道理。
にもかかわらず、売れないものをつくれとは
これいかに。
そして、そうすれば必ず売れる旨、自信を
持ってアドバイスしている。
言葉を字義通りに受け取ると、サッパリ
意味が分からない、まるで禅問答である。
しかし、この天心の言葉に、田中は開眼した。
「ならば自分はつくれる」と、自分が彫刻で
やっていける確信を得たのだという。
マーケティングの観点で読み解くと、
これは「USP」を作りなさいよ、という
ことだと置き換えることができそうだ。
「USP」とは、
Unique:独自性がある
Selling:売れるようにするための
Proposition:価値提案
と説明すれば分かるだろうか。
もっとよく使われる、手垢の付いた言葉に
するなら、「差別化」しなさいよ、と
言い換えてもよい。
天心が言いたかったのは、
一般大衆が好みそうなものを追いかけ、
一般大衆に迎合するような創作はやめ、
自分自身を信じて、自分自身にしか
できないような高いレベルの作品を
創ることに集中しなさい、
そんなところではないか。
そして、そうすることで、オンリー1の
存在になることができ、そうなれば
みんなが我先にと買い求めるような
「ブランド」になれるはず。
現代風にアレンジして、天心の気持ちを
代弁するならば、そのように表現できる
と思うのである。
田中は、その後超人的な集中力を発揮し、
正に「不世出」と呼ばれるような
素晴らしい作品を数々世の中に送り出して
いくことになる。
売れそうなものを作ろう、などと考えず、
自分の理想をひたすら追求していった。
経済的にはかなり苦労も多かったようだが、
やがて東京藝術大学名誉教授となり、
文化勲章を受章するなど、その人物と作品は
大いなる名声を博した。
誰でも真似のできる領域ではなく、
再現性があるかと言われると、
評価はやや難しい。
それでも、天心のアドバイスというのは、
薄っぺらい表面的なマーケティングでは
ダメで、他者との差別化を明確に図ること
で売れるようになるのだ、という非常に
本質的なところを突いたものと言える
だろう。