『徂徠訓』を一か条ずつ味わってみる
昨日、荻生徂徠の『徂徠訓』にある、
長所(=強み)を活かそうという趣旨の
言葉を紹介した。
この『徂徠訓』、8か条あるので、
折角だから全部紹介した方が良いのでは
ないかと思い至った。
これは、既に昨日書いた通り、荻生徂徠が、
人を育てる要諦として書き残したものである。
一 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現るるものなり。
二 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
三 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
四 小過を咎める要なし。ただ事を大切になさば可なり。
五 用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
六 上にある者、下の者と才知を争うべからず。
七 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八 かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
現代語に直さないと、若干分かりづらい部分が
あるため、一か条ずつ読み解いていこう。
一 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて始めて長所の現るるものなり。
最初から長所が分かることなど期待するな。
実際に使ってみて、初めて長所が見えてくる
ものだよ、ということだ。
スピードが命の現代、ついつい何でも性急に
答えを知りたがる傾向にあるが、まずは現場で
どんな働きをしてくれるのかを試すことが
先決。
その上で、もう少し腰を据えて、じっくり
長所が見えてくるのを待つとよい、という
ことだろう。
二 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
これは、昨日紹介したので省略する。
三 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
自分の好みに合う者だけをひいきするな。
これは当然、当たり前、常識、言わずもがな。
それでも、これをやってしまう人というのは
必ずどこにでもいる。
不思議だが、それもまた人間。
四 小過を咎める要なし。ただ事を大切になさば可なり。
小さな失敗を責める必要はない。
真面目に取り組む姿勢があればよい。
箸の上げ下ろしにまでいちいち口を
出していては、部下は育たない。
伸び伸びと仕事をさせねばならない。
五 用うる上は、その事を十分に委ぬべし。
何かをさせるなら、十分に権限移譲をせよ。
中途半端にせず、権限を移譲すると決めたなら
思いきった移譲をすべきだろう。
その代わり、責任も付いて回るのだという
ことを身をもって分かってもらえばよい。
六 上にある者、下の者と才知を争うべからず。
これは言い換え不要だろう。
マネジャーは、部下と同じ土俵で勝った負けたと
やるべきではない。
役割がそもそも違うのだから、そこをわきまえろ
というわけだ。
七 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
ひとかどの人材には、必ず何かしらクセがある
もので、それがあるからこその「器」だと
考えるべき、ということだろう。
クセを捨てると、「器」そのものが成り立たなく
なることを指摘するものと理解した。
八 かくして、良く用うれば事に適し、時に応ずるほどの人物は必ずこれあり。
以上のことを踏まえて人を用いるならば、
中からその才能を開花させる人物が、
必ずや現れるであろう、ということだ。
ドラッカーの説くところと、驚くほどに
共通点の多い『徂徠訓』。
江戸時代に、既にこのような知恵を端的に
まとめ上げていたことに、改めて驚きを
禁じ得ない。
音読してみると、また一段と味わい深く
感じられる。
折に触れ、読み返す機会を持ちたいもの
である。