頭(こうべ)を垂れ始めた稲穂に秋を感じる
日中は、歩いているだけでも熱中症の
危険を感じる熱さが未だ続く。
しかし、夕方の気温の下がり具合、
その時に感じる風から、既に秋の気配
が感じられるようになってきた。
今日、週課であるランニングの最中に
田んぼを見やると、黄金色になりかけ
の稲穂が大分頭(こうべ)を垂れ始めて
いるではないか。
日当たりとか、そもそも田植えをした
タイミングなどで、田んぼによって
全く生育度合いが異なるのではあるが、
概ね稲穂が垂れ始めているのには違い
ない。
この光景を目にする度に、
実るほど 頭を垂れる 稲穂かな
の名句を半自動的に思い出す。
もはや解説する必要もないほどに
有名な句だと思うが、一応自分なり
の解釈を述べておくと、、、
高い人間性を持っている方、
徳の高い方であればあるほど、
低姿勢であり、周囲に気を配る
人である。
という感じだろうか。
そして、人生はいかに徳を積んで
行くかが極めて大切だと考えている
ので、稲穂を見る度にこの句を思い
出し、自分に対する戒め、あるいは
リマインダーとして活用する「癖」
を付けているのである。
「徳を積む」というと、何だか大層
なことをやっていそうに聞こえる
かもしれない。
実際のところ、まだまだ自分に甘い
ところもあるし、「徳」を語れる程
大したことはやれていないかもしれ
ない。
それでも、「徳を積む」という意識
を明確に持ち、具体的な行動のレベル
までTo doを落とし込んでいれば、
少しづつ前に進んでいるはずである。
To doの例を挙げれば、
・自分との約束を守る
・人の話をまずは聞く
(自分ばかりしゃべらないようにする)
・正しい(と信じる)方を選ぶ
・感謝の気持ちを持つ
・老人や妊婦さんなどに席を譲る
・人の嫌がることを積極的に受け持つ
といった、一つひとつはごくごく
小さな事柄ばかりだ。
それらを毎日、着実に、当たり前に
やっていくこと、それが大切だと
考えている。
「徳を積む」というのは、少々堅い話
ではあるが、基本的、基礎的で、
大変に重要な心の姿勢だと信じている。
「どうだ、徳を積んだぞ!」
「私には徳が身に付いている!」
などと思った瞬間に、それこそが徳の
なさを証明していることに他ならない
わけで、徳への道は決して容易では
ない。
それでも、人生をかけて徳を積んで
いきたい、そのように
思っている。
走りながら、冒頭の名句のデフォルメ
バージョンができたので、蛇足ながら
ここに付け加えておく。
見入るほど 頭を垂れる スマホかな
お粗末様でした。