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読書中のマーキング、どうしてる?僕は付箋よりもドッグイヤー派
僕は本をきれいに読むより、汚して読みたいタイプ。
書き込みもガシガシするし、ブックカバーも基本はつけない。
革が経年変化するように、本も変化を楽しみたい。
それに付随して、僕は気になったページに付箋(ふせん)を貼ることはしない。
気になったらそのページの角を折る。いわゆる、ドッグイヤーが好き。
ドッグイヤーのほうが「使い込んでる感」があって自己満足度も高い、というのもあるけど、じつは利便性もある。
本を読み返すときの「目印」になる
そもそも、付箋やドッグイヤーで目印を付けるのって、あとで振り返る(読み返す)ときに探しやすいから。
ページに書き込むだけでも目印は付けられるけど、それだけだと本を閉じた状態のときに「どのあたりに書いてあったか」がわかりにくい。
付箋やドッグイヤーがあれば、気になった箇所が外観からでも一目瞭然。
脱線したけど、僕がドッグイヤーを愛用する理由は3つある。
道具がいらない(付箋を用意しなくていい)
読書の妨げになりにくい
読み返すとき、目的のページをサッと開ける。
上記3点について、ひとつずつ掘り下げてみよう。
ドッグイヤーなら道具の持ち歩き不要
ここでいう道具というのは付箋のこと。
付箋はたいして大きくはないけど、やっぱり気になる。
たとえば、本を1冊だけ持ってカフェで読書をしたい場合。
付箋という荷物があると、心なしか足取りも重くなる。
と、面倒な言い回しを挟んだけど、ようするに付箋を持ち歩くのが面倒なのだ。
じつは僕は過去に付箋を使って読書をしていた時期があって、そのときは本の見返しに付箋本体を貼って持ち歩いていた。それなら本と付箋が一体化して、荷物にならないから。
ちなみに、使っていたのは100円ショップダイソーで売ってた細い付箋。たしか齋藤孝さんが著書のなかでおすすめしていた気がする。
細くて半透明で、邪魔になりにくく、けっこう気に入っていた。
でも、すぐに付箋はやめてしまった。やっぱり読書のときに気になるし、後述する「読書の妨げ」になることは変わりないから。
付箋は読書の妨げになる
気になったページに付箋を貼る場合、
本を置く→付箋を剥がす→本を手に持つ→付箋を貼る
という4つもの手順が発生する。
一方のドッグイヤーはというと、「ページの角を折る」。これだけ。
読書って少なからず「リズム」が求められる部分があると思ってて、自分の心地いいリスムで読んでいるときは、できる限りそのペースを保ちたい。
気になるページが出てきたとき、付箋を貼るとどうしてもペースが乱れてしまう。
もちろん、ドッグイヤーだって読書を中断することには変わりないけど、ドッグイヤーのほうが読書のリズムが崩れにくい。
たった数秒の違いだけど、その違いが読書に与える影響は大きい。
ドッグイヤーは目的のページを開きやすい
白状すると、付箋がびっちり貼られた本を眺めるのがけっこう好き。
おぞましいほどの付箋が貼られた本をインスタグラムとかで目にすると、「読み込んでていいなー」と思う。
ただ、申し訳ないけど、実用性については最悪だと思う。
学生時代、教科書に色ペンを使いすぎた結果、どこが大事がわからない(もともと書いてある黒字のほうが目立つ)という経験をしたことがある人は多いはず。
それと同じで、付箋だらけの本はどこが大事なページなのかわからない。
ドッグイヤーは、どんなにページの角を折っても、外観はほとんど変わらない。
もちろん、付箋と同じようにページをドッグイヤーしすぎたら逆効果なんだけど、本をパラパラめくって目的のページを読み返したいというときは、ドッグイヤーのほうが断然扱いやすいと思う。
とはいえ、付箋への憧れは捨てられない
散々、ドッグイヤーを礼賛してきたけど、さきほど述べたように「付箋過剰本」への憧れは捨てきれてない。
やっぱり、付箋がびっしり貼られた本には魅力がある。
だから、実用性を捨てて、付箋を貼りまくって恍惚とするのも悪くないとは思う。
実用性と官能性、どちらを取るか?
最適な答えは「本によって変える」ことかもしれない。
たとえば、小説の場合はどうだろう。参考書や実用書などと比べると、小説のほうが読み返す機会は少ない気がする。
だから、小説のほうが付箋向きと言えるかもしれない。
とりあえず、僕はいまのところドッグイヤー専門で読書を楽しもうと思ってる。
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