書評-アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』
こんばんは。最近読んだ本の書評をしたいと思います。
本書の著者、アンドレイ・クルコフはキエフ生まれ、ロシア語で書くウクライナの作家です。96年に出版された本書は母国のみならずヨーロッパ全体でベストセラーとなり、ウクライナを代表する作家です。
私はロシア人作家の本は何度か読んだことがあります。文学大国なので、本を読まない方でも、ドストエフスキー、トルストイ、ゴーゴリあたりの名前は知っているんじゃないでしょうか。
では他のスラブ諸国の作家は?となると、日本で浸透している人はあまりいないと思います。もっとも、クルコフのようにロシア語で書いているような作家は、ロシア文学と区別されていないかもしれませんが。
前置きが長くなりました。
本書はソ連崩壊後独立して間もないウクライナの首都キエフで、売れない作家ヴィクトルと、そのペットで相棒?のペンギン「ミーシャ」の奇妙な共同生活から始まります。
ペンギンを部屋で飼っている時点でフィクション丸出し、しかもそのペンギンが憂鬱症を患い、鬱ぎみなのだから笑えます。
▲キエフ・独立広場
しかし本筋は全く笑えない内容で、ある新聞社から故人の追悼記事を書くように依頼されたヴィクトルは、持ち前の文章力から編集長にいたく気に入られます。調子よく記事を書いていたヴィクトルは、ある時それが死ぬ前の人間の追悼記事であることに気がつきます。そして、誰もがヴィクトルの書いたとおりのやり方で死を遂げていくのです。裏には新生国家・ウクライナの闇と、組織の陰謀が潜んでいて・・・という内容です。
基本的にサスペンスで、血生臭いハードボイルドではないのですが、得体の知れない焦燥感や恐怖感が作品全体に漂っています。
可愛らしいペンギンだけが場違いのようで、幻想的であり写実的、コメディでありシリアス、虚実ないまぜになった新感覚の読み味でした。途中から、俺は一体何を読まされているんだと混乱してきました。
ペンギンは何かのメタファーなのか?この小説におけるペンギンの役割とは何だったのか?この小説では絶対に欠かせない存在のはずなのに、その存在意義が分からないのです。なぜならペンギンじゃなくても成り立つのだから!犬でいいじゃん。猫でいいじゃん。何故ペンギン?
しかしペンギンだからこそ、この小説に得も言われぬ味わいをもたらし、欧州で大ヒットしたのでしょう。
まあ実際のところ、ペンギンのモチーフはウクライナの一口話(アネクドート)が着想になっているようですが。
▲キエフ・ドニエプル川
海外の小説を読むと、日本では普段学べないことが学べます。ウクライナの国内事情や文化など、これっぽっちも入って来ませんもんね。
私は食文化に興味を持ちました。ロシア人もですが、ウクライナ人もとにかく酒をよく飲む。コーヒーと同時に必ずコニャックも注文し、昼間からアルコールです。夜も勿論ウォッカやワインをがぶ飲み。分解酵素が日本人とは根本的に違うのでしょうね。
あと、シャルシィクという串焼き料理もよく出てきました。ウクライナ版バーベキューで、休日に外で焼くほか、クリスマスや元旦などハレの日にも食べるようです。
遠く離れたスラブ圏は、食も文化もまさに異文化という気がしますね。これからも、海外の隠れた名作を発掘していきたいと思います。