本家の後継 11 自己保身
人の優劣って何でしょうか?
勉強ができれば良いってものじゃないくらいは、わかる。
「空気が読めない」とか「ルール」って後で学習していくことなのに、人より遅いと、脱落のレッテルを貼られてしまうこともある。
そして、自分を偽って生きることも学んでいく。
生きづらい、不思議な世界だ。
この話は、隆子(私)が自分自身の人生を振り返って、その苦悩の中を生き抜いてきた話や人生について考えるきっかけになった思い出です。実在する人物が登場するため各所に仮名を使わせていただいています。
子供達が夏休みになると、大人も手伝って川をプールのようにして遊び場を作ってくれる。
川の流れを堰き止めるように石を積んで、そこに農業用のビニールシートを張っていくと水位があがり下流側が深く、上流側が浅くなる。
大きい子や潜って遊ぶ子は深いところで遊ぶ。水中眼鏡をかけて潜ると、キラキラした水の中を小魚が泳いでいるのが見える。
暑い日に水の中に入って遊ぶのはとても楽しくて気持ちよいものですが、実は私の暮らしていた田舎は、そのど田舎ゆえに源流に近い湧水が流れる川だったために、夏でもとても冷たい水でしたから、入るのに結構勇気がいったのを覚えています。
その水の冷たさゆえに、夢中になって遊んでいるうちに体温を奪われて危険なことになってしまうこともあるのです。
ですから、水遊びをする時には必ず、大人か上級生を含めた複数で遊ぶように言われていました。そして、遊んでいる子供同士が、だれか危険な状態になっていないかを監視しあうのです。
体温が下がりすぎてくると、唇が紫色になってくるので、水から出て体を温めるように注意します。
水から上がった子は、遊んでいるうちは気がつかなかったのに、水から出るとガタガタと体が震えるほどに、冷えて体力を消耗していることに気がつきます。
タオルで体を拭くと太陽で温まった石などに体を当てて冷えた体を温めたりしていました。
唇の赤みが戻るまで、再び水に入るのは止められ、曇っている日などはなかなか体が暖まらないので、随分、寒い思いをしたのが思い出されます。
何才頃のことだったのか?
まだ私が小学校には行ってないころのことだったと思います。
この時にも、村の子供達がたくさん一緒に水遊びをしていました。
隆子がまだ泳げない頃で、誰かの浮き輪を借りて足の届く浅いところで遊んでいました。
小学生中学年くらいの男の子が、隆子に近づいてきて一緒に遊んでくれました。
名前はさとし。
隆子はさとしに浮き輪を動かしてもらって、スイーと水を滑っていくのがとても楽しく、そして隆子の喜んでいるのを見て、さとしも一生懸命浮き輪を押してくれました。
さとしが浮き輪を押しているうちに、少し深いところに行ってしまった時のことです、隆子の手が滑って浮き輪の穴から水の深みに落ちてしまいました。
さとしはすぐに隆子を助けあげました。
隆子は、当然のように泣いています。
その時に、他の子供達が隆子が泣いていることに気がつきました。
「さとし、何やってんだ!!!」
隆子を救ったのにさとしは、大きい子に叱られてパニックをおこしていました。
隆子も、水が鼻に入ったり、飲んだりしてしまったので泣いているままです。
自分のために遊んでくれ、おぼれたところを助けてくれたのに、さとしが怒られているのを見て何も言えずにいたことが、ずっと脳裏に残りました。
さとしは、今でいう「知的障害」でした。
コミニケーションに問題があったと聞いています。
当時の私には、そんな概念は無かったし、「一緒に遊んで」「助けてくれた」優しい一面しか記憶にありません。
しかし、その水遊びの一軒から、さとしと会うことは無くなってしまいました。
話によれば、障害のある人たちの施設に預けられたということです。
あの時、さとしは隆子をいじめていると思われ、障害を持っていることが、他人に対して危害を加えると、思われてしまったのかも知れません。
自分自身がまだ小さかったこともありますが、ただ、ずっとこのことが私の心の中に引っかかっていました。
もし、あのときに「さとしが助けてくれた」と一言いえていたなら・・。
もし、さとしが疑われることがなかったら・・。
さとしがパニックを起こしていたのは、本当の気持ちを言葉にするのが不得意だったからなのではないか・・・。
隆子も、さとしも、
周りの人たちの、思考と言葉の流れについていくことが難しかっただけなのに。
隆子の方が小さいというだけで擁護され、
隆子より大きい、障害があるという理由で、まだ10才程度の子供にレッテルが貼られる。
一緒に過ごしていたご家族、毎日さとしと過ごし、どんな生活だったのか。障害を持った家族と共に生活するということの大変さは想像できます。ですから、あまり批判的になるつもりはありません。
ただ、さとしの思い出の一つが、自分の勇気のなさ・ずるさをいつまでも見せて、教えてくれます。
隆子は家で父の真一や姉達に対して恐怖心を抱いていました。怒っている人を見ると、条件反射的に萎縮して頭の中がフリーズしてしまい、自分まで怒られているような緊張感の中で、何とか自分に矛先が来ないようにと、幼いながらに「見捨てる」という選択をしてしまたという自覚さえあります。
わたしは「ずるい」。
大人になったら、正直で勇気を持ちたいと思わせてくれましたが、何かわからない恐怖心や判断を鈍らせるいろいろなものが、ずっと隆子を悩ませ続けけました。
どうしたら、スッと必要な言葉や行動が出来るようになるのだろう?
こんな考えを持てるようになるのは、ずっとずっとあとのことでした。
本家の後継をお読みいただき、ありがとうございます。
続きはまた、次回に。