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「やる気スイッチ」なんて無い。時代はセンサーライトだ。

パソコンの前に座り、コーヒーをすすりながら、しばしTwitterをながめる。いつ終わるかわからない時間は、自分の気分が乗ってくるまでの試運転。

さあ、コーヒーのカフェインも効いてきて、少し脳が活性化してきたようだ。あとは自分のモチベーションだけの問題だ。これから、仕事モードに入れるだろうか?

よし!

と意を決して自分の頭の中なのか胸の奥底なのか、おでこなのか、どこかにあるやる気スイッチを押す。

「作業モード、オン!!」

なんて、簡単に作業モードに移れるのなら、そのやる気スイッチ、ぼくに付いてる物と交換してくれない?

そういえばその昔に「へぇボタン」て流行ったよね。あれめちゃくゃ在庫が余ったんだろうな、きっと。

自己啓発本のタイトルなんかにも「やる気スイッチの押し方」みたいなのがある。

ぼくはそもそも、「やる気スイッチ」の存在自体に懐疑的だ。どの辺に付いているのかもわからないし、自分の都合よくまともにやる気スイッチが入った試しもない。

ぼくは、フリーランスのITエンジニアをしている。ただお客さんの会社に常駐させてもらっているので会社員みたいなもので、会社員と同じように毎朝通勤してそこに設けられた自席で作業をするのだ。

朝、ぼくが自席について仕事を始めるとしたら、自席についたその瞬間。正確には、パソコンが起動してくるのを待ってからになるが、基本的には「あそび」の時間を設けることはしていない。

くれぐれも言っておくと、ぼくは無類のサボり魔だ。

油断をしたり少し余裕があったりすると途端にサボろうとする。
ただ、スタートの時点ではやる気があるorないに関わらず仕事に入る。

なぜか?

仕事を始めないとサボるからである。

そもそもね、「やる気」そのものの存在自体が怪しいのだ。例えば自分自身がジェットコースターのようなもので、ゴンドラがカタカタと坂を登って行き、頂点に達した次の瞬間から下り坂を猛スピードで滑走するかの如く作業を始める。

そんなにも簡単に、わかりやすく自分が動き出せるものだろうか?ぼくにはできない。

ゆっくりゆっくりやる気のエネルギーが溜まって、キターー!っとなってフルパワーを発揮できるなら、それはそれですごいことだと思う。

だけど人間てそんなにもわかりやすく動くもんじゃないとぼくは思ってる。

「やる気」ってさ、どこにあるの?

やる気の存在を認めているのって、自分自身なんじゃないかな?

わかりにくいな。

つまりやる気っていうのは、自分が都合よく生み出したものなんじゃないかなってこと。

ぼくらが何かをやれていないのは「やる気」になっていから。やる気モードになっていないから。
じゃあ、やる気スイッチを押すか!

ってことなら、早く押してしまえばいいよね?

なぜ人が「やる気スイッチ」を押すことに苦労しているのか。

やる気スイッチを押すための「やる気スイッチ」が入っていないから?

なにこれ哲学??

そんな難しい話に持っていきたいわけじゃない。やる気の存在を認めていしまっているおかげで、自分にやらない余地を与えている。

だから本当にスイッチがあるとすれば「やるスイッチ」だと思う。しかもオートセンサー付きの。どうせやるんだから、さっさと押してしまった方がいい。

センサーの近くに来たらパッ!と点くライトみたいに、パソコンの前に座った瞬間に仕事を始めてしまう自分を想像してさ。

で、ぼくの場合は自分が怠け始める余地を与えないように、何も考えずにパソコンを開いて仕事を始める。しかも全力で。スタートダッシュを決めるんだよね(すぐ失速するけど)

始業のチャイムとかもどうでもいい(そんなものが今どきあるのもどうかと思うけど)。
自分が仕事や何かを始める時にはとにかく「やりはじめる」。やり始めてしまえばこっちのもので、たとえそこから時間がかかるようなことがあっても、確実に進んではいるわけだ。

あなたはどうしてる?

Twitterなどでは「やる気が〜」と嘆いている人もたくさんいそうだけど、まずは何も考えずに手を動かしてしまってみるっていうのがいいと思うな。

そこから手が止まってしまうことはあっても、スタートだけは毎回アクセル全開で始めてみると、自分が思っているよりも意外と距離を稼げてしまうこともあるもんだ。

サボり魔のぼくがどこまで続くかは誰にもわからない。

あ、そうか。センサーライトだから遠くに行くとライトが消えるのか。


じゃあ、またね。

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