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サラダさえ、サラダさえあればよい。

偏食が過ぎる。

偏食というよりも、ぼくの場合は基本的には「食べないこと」を健康の土台としているので、「これ!」という好物は存在しない。

強いて言うなれば玄米ごはんくらいで、その大きな理由は歯応えがよくて腹持ちがいいから。

「歯応え」は重要だ。

食べないようにするためには、一回の食事の満足感を上げる必要がある。「満足感」と言っても味ではなく、空腹を満たす方の満足感だ。


ところで気になったんだけど大丈夫かな?ついて来てる!?


美味しい料理とかインスタ映えするような華やかな見た目の料理の話はいっさい出てこやしない。40歳のおじさんがひたすらに「食べない」ことを説明しているだけの話に興味なんかないよね。

わかってる。そんなことはよくわかってる。

でも聞いてほしい。

空腹は健康を語る上で重要なポイントだ。

胃は毎日、人が口から流し込んだ食べものを消化する作業をがんばってくれている。この消化という作業には大変なエネルギーを使うので、胃は元の機能を回復するまでにはかなりの時間を要する。

そのためには、胃の中が食べ物を一度消化しきって空っぽになった状態で、なるべく時間をおいてあげた方がいい。

それによって次の食事でもまた胃は消化を頑張れる。

・・・というのがぼくの健康法なので、まずぼくは朝ごはんは食べない。そして自分の欲求でしかない「味」に対するこだわりもあまりない。

とはいえ、おいしいものは好き。矛盾しているようだけど、好きだからこそ次から次へと食べたくなるような味を追い求めることはしないようにしている。

そうなった時に重要なのが「食感」「腹持ち」というわけ。

味で満足感を得るのではなく、「食べた」という実感が得られる食感にこだわる。もう一つが腹持ちで、空腹の時間を引っ張るために空腹感から発生する食欲をなるべく抑えるために必要なのだ。


ということで、食感と腹持ちの2大要素を兼ね備えた「玄米ごはん」はかなり優秀なのだ。それに玄米には人が生きていく上で必要な栄養がかなり含まれている。
もはや玄米さえ食べていれば他に食べる必要もないくらい。

なので極論、ぼくは玄米さえあれば生きていける。

ただし、食事に対する満足感はもう少しあってもいい。

胃に負担のかかる油分と糖分が含まれず、歯応えがあって満足度が高いもの。


「サラダ」
である。

これが今日の主役。玄米ごはん次に贅沢な食事。見た目も華やかで、ひたすらにムシャムシャと噛みまくって食べていられる。

こんなに幸せな時間はない。


いい感じのヤバい記事になっている気がするけど、構わない。今日はそういう日記なのだ。誰もぼくのこの偏愛を止めることはできやしない。

偏愛というか偏食というか。

偏食と言えば肉やお菓子を思い浮かべる人が大半だろう。
偏食の対象が玄米や野菜だというのもよくわからない。

ベジタリアンやビーガン主義に近いものはあるけれど、ぼくは肉や動物性タンパク質の摂取が嫌だというわけではない。単に胃の負担を減らすためにあまり取らないというだけ。

ぼく自身が生きていく上で肉を食べていない時の方が体調がいいから、なるべく少なくするようにはしている。
そうしている内に、野菜をひたすらムシャムシャ食べることが好きになってしまっった。

食べる物の対象なんて、実はなんだっていいんだと思う。

肉食獣が草を食べられるようになったらきっと肉を食べなくても生きていける。
科学的根拠は特にないけど、人間という動物がそうなのだから、たぶん合っていると思う。

そういうわけで、ぼくはサラダが好き。

幸いにも、ぼくの妻で成人マンガ家のnikoさん(@nikonikopun17)もサラダが好きで時々大盛りのサラダを作ってくれている。

それをよく二人揃ってムシャムシャと食べている。ぼくの方にはワインが添えられていることも多い。あ、ワインは勝手にぼくが足しているだけだけど。

この時間が最高だ。まさに至福の時間だね。

きっと他の夫婦からしたら異様な光景なんだろうなと思いつつも、クセになっている。

ワインとサラダ。

食事に関してはこれが一番の贅沢。


そんな、ぴこつの偏食の日記でした。



はい、なんのこっちゃ。



いつもありがとう。


じゃあ、またね。


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