人格とその人の活動は分けて考えるべきなんだよね
人が持っている人格とか性格とかの人個人の性質見たいなもの、それから家庭とかの個人が持ってる価値観というのはやたらめったらと他人が口出しするものじゃないですよね?
「口出し」と言ったけれど、それは本人に直接伝えることも含めて、ネットに書き込んだりSNSで炎上狙いにつぶやいたりすることも全部そう。
個人が持っている価値観というのは、他人がとやかく侵害できるもんじゃない。
それは有名人だからとか一般人とかも関係ない。
「自分がされたら嫌なこと」の大半がこれに当たる気がします。
先日、ふとネットニュースで有名人の方がお子さんの活動についてSNSで書き込んだところ、批判が殺到している記事を見つけました。
意見を言っている人の言い分はもっともだと思いました。一方で、そんなにみんなこぞって否定するのもどうなんだろう?とも。
そもそも、家族間のしきたりとか教育も、それぞれにあるわけでしょ?
確かに明らかな虐待などはいけないことだけれども、それにしたってどこまでが虐待で、どこまでが教育なのかは結局のところその人の価値観によってしまうんだと思います。
そういう曖昧な境界線を指摘するのが他人の役目なのかもしれないけれど、本人たちにとっては「大きなお世話」と感じることも多いでしょう。
民主主義の世の中にあっては「多数決」が前提で、残念ながら少数派になってしまった途端に世間からは叩かれる。そしてその意見に同調する人が多ければ多いほど「ぼくもわたしも」と言った感じで意見を上乗せしていくんですよね。
そういえば学校の授業でもそうだった気がします。学校の先生も言っていませんでしたか?
「誰かが発した意見に対して反応しましょう」
大抵の場合が手を挙げて「おなじでーす」という声が上がる。
そこでも知らず知らずのうちにみんなが「同じです」と言ってくれることが価値になってしまうんですよね。
気づけばその「同じです」が得られることしか口にできなくなってしまう。そういうジレンマはSNSの世界になっても変わっていません。
たぶん、個人の人格や性格に対して批判をすることの構図って、これとあまり変わらないと思うんです。
否定や批判の意見を発している人の思想は多分「親切心」とか「その人のためを思って」ということなのかなと察しはするけれど、実のところはそれですらみんなからの「同じです」を欲しいだけなんじゃないかとも思えてきました。
ネットニュースで取り上げられていた方というのは、もちろんそういった私生活だけでなく、お仕事もされています。とても素晴らしい活躍をされていると思います。
人格や特性についてとやかく言うこともだけど、それとともにその人の活動まで否定してしまう人がいますよね。
人格とその人の活動には関係性はないはずなんですが、人はどうしても他人を「好き or 嫌い」のどちらかで評価してしまいがち。
「好きだから応援する」はとてもいいことだとは思うけれど、「嫌いだから否定する」は違うんだろうな・・・というのが今日のぼくの気づきです。
お付き合いどうもありがとうございました。
今日も良い一日を!
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