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家族を守りたいなら耳を塞いでいる場合じゃない

数々の試練を乗り越え・・・みたいな話は他人事として興味深い。
だけど本人はそんなつもりも全然なかったりする。

単に毎日の通勤にしたって、駅まで歩いて行って、駅のホームに上がるのに階段を使って、電車の席に座ったら後から入ってきた妊婦さんに席をゆずる。

コンビニでコーヒーを買い、会社で自分のデスクに着いたら何か考えるよりも前に即時に仕事開始。

そんなのは自分にとっての当たり前。それは試練とか努力とかじゃない。だけど他人から見ると「つまんねーことしてんなー」とか「自分には考えられないなー」とか見られたりするからこそ人間て面白い。

いつもありがとう。ぴこつです。

ぼくのnoteを読んでくれているあなたならもうお気づきのことだろう。

そう、単に昨日の記事の要約である。または「使い回し」とも言う。

お読みでない方、ぜひどうぞ。

どうでもいいようなぼくの生活は、やっぱりどうでもよかったりするんだけど、今日の話はけっこう大事。

自分の中では今年、自分が知るべき知識としてのテーマがいくつかある。

  • Web3

  • NFT

  • ブロックチェーン

  • メタバース

どれも今のぼくには無知のことばかり。だけど、クリエーターである妻のnikoさんや未来のクリエーターである娘の未来のためにも知る必要はあると思っている。

そういう知る必要のある知識を学ぶにあたって、頭の悪いぼくがどうしてもなりがちだなという話をしてみる。

読んでくれているあなたもいっしょに考えてもらえたらうれしいな。


家族のリーダーはだれか

家族の中で、一番強い人。

多様性のこの時代。

真っ先に「強い人=父」と想像してしまうぼくの頭は固いということなんだろう。

だけど現実問題としては大半の家庭ではこの構図が成り立っているんじゃないかな。

要するに家庭内で一番お金を稼ぐ能力がある人のことを指すと思っている。家族の中で誰かを守りたいと思っても、結局はお金がないと助けられない。

精神的に支えることは他の人でもできる。もちろん家族としてはそれがあって当然なのかもしれないけれど、「稼ぐ」ことに特化するとぼくの家庭内ではお父さんであるぼくになる。

その一番の稼ぎを得ているぼくが一番家族を守る力を持っていて、家族を守らなければいけない立場。守るべきは妻のnikoさんであり、中学一年生の娘だ。

まずはこれを押さえておく必要がある。

家庭によっては「稼ぐ力」が優先順位の一番上にはないかもしれない。
だけどぼくの家では今のところ稼ぐ力があって、引っ張る力があるのはぼく自身になっていると思っている。

リーダーと言ってもいい。

ただ、リーダーはただの役割であって権力者じゃない

そこは勘違いしちゃいけない。あくまで、リーダー的存在であるということ。

未来があるのはだれか

我が家では、年長者が偉いっていう「年功序列」なんてものは存在しない。

ガラパゴス化が進んだ日本企業だって、年功序列制度も化石みたいな扱いを受けているよね。残念ながら現実問題として日本企業にはまだまだ残っている印象はあるけれど。

ただぼくの家庭内では、未来がある人の方が価値が高いとぼくは思っている。

ぼく自身は40歳なので「若者」というにはもう苦しい人間だ。まぁ80歳の人から見たらまだまだ若造なのかもしれないけれど、一般的にはおじさんと呼ばれても仕方のない年齢だと思う。

一般論は置いておいても、ぼくの家庭の中で一番若いのは当然、中学一年の娘。

この子には一番未来がある。10年後の日本を背負っているのはぼくや妻ではなくて娘だろう。精神論とかじゃなくて現実論として。

次に未来があるのは妻のnikoさん。
成人マンガを描いているnikoさんもぼくよりはずっと若い。まだ作品を作り続ける能力があるのでクリエーターとして、プレーヤーとして生きている。これからもきっと作品を通して価値を提供しつづけていくだろう。

だからぼくはこの二人を守ることが仕事。ぼくよりも未来のある二人のために、ぼくはがんばらなくちゃいけない。

知る必要があるのはだれか

新しい何かを学ぼうと思った時、誰が学ぶべきなんだろう。

人生をプレーヤーとして生きている娘や、nikoさんというのは常にクリエーター活動をしている。

あ、言い忘れたけど娘もイラストレーターを目指して日々イラストを描き続けている。なので妻と同じプレーヤーだ。

となると、二人を守る力があって、家族のリーダーであるぼくが家族の未来へ向かう方向を決めるには、未来を生きるための新しい知識が必要になる。

新しいことを知る必要があって、時間もあって、関心もある人。

ぼくはポンコツだし、勉強も全然得意じゃない。記憶力だって家族の中では群を抜いて悪い。だけど、もしかしたら「理解力」ならあると言えるかもしれない。

その理解力を活かして家族を守りたい。

未来で家族が生きていけるかどうかは、これからの未来を作っていく新しい知識だと思う。それは、まずぼくが率先して学んでいかなくてはならない。

知る勇気と学ぶ努力

新しいことを知るためには、結構なエネルギーが要る。
それは自分の中に土台となる知識もほとんど存在しないから。

自分の経験や既にある知識を元に勉強をするのと、まったく何も知らないところから入る勉強では、ハードルの高さに雲泥の差があると思っている。

自分の中に既にある知識にプラスするだけなら「そういうことね」の連続で学んでいける。でも、ゼロからの知識は何から手をつけたらいいのかわからない。要するにその知識に関しては完全なアホなわけだ。

ぼくは、アホでいいんだと思う。

というよりもアホであることを自分で認めることがスタート。

新しいことを知るということは、自分をアホであると認めること。自分がアホであることを認めるのはとても勇気がいる。だから、新しいことには耳を塞ぐ。

それは自分のアホさを認めたくないから。

「そんなことはわからなくていい」

「そんなのは詐欺に決まっている」

「自分には必要ない」

そういう言葉を使って新しいことから人は逃げたくなる。


でも、そこから逃げることが何を意味するか?

自分が守るべき人を見殺しにするということだ。


ぼくは家族の未来を守らなければならない。学ぶべき自分が学ぶことを放棄したら、未来で家族がどうしたらいいかわからなくなる。

これからの未来を生きていく娘にも、生き方を学んでいく必要がある。

ぼくはその手助けをしてあげないといけない。

そのためには自分のプライドを保つなんて言っている余裕なんてない。
そんなものはかなぐり捨てて、とっとと新しいことを知らなくちゃいけないんだ。


ぼくは何も知らない。だから1から勉強する。

何もわからないからこそ「◯◯とは?」から入っていく。

新しいことを学ぶ時に「◯◯とは?」もわかっていないのに、わかったふりをして勉強しようとするからおかしくなる。理解できていないことを前提に進める学習は石垣が組み上がっていないところに城を建てるのと同じ。

白を建てている途中でガラガラと音を立てて崩れ去ってしまう。

まずはその土台となる石垣を、何度も何度も繰り返しい同じ形の石を運んではコツコツと組んでいく。

焦らなくてもいいけれど、石垣を積み上げる作業を確実にやっていく。

不器用で頭が悪くて何度も同じことを勉強することになったとしても、少しずつでいいから学んでいく努力をしていきたいな。

伝えるためにどうするか

知識を学んだら、家族に伝えなければいけない。

せっかく知識を手に入れたとしても、ぼくよりもプレーヤーであるnikoさんや娘の方が利用価値が高い。

ぼく自身は今のところ何か実践する術を持ってはいないので、できればnikoさんや娘にやってほしいと思っている。

そこで問題になってくるのが「どうやって伝えるのか?」ということ。

それよりも前に、ぼくの話を聞いてもらう必要がある。

実は、そこが一番の難関だったりする。

ぼくの話を聞いて信じてもらうには、nikoさんや娘のぼくに対する信用がないといいけない。
今までにもぼくはnikoさんや娘といろいろな話をしてきたから、それなりに信用は得ているとは思う。

だけど、二人も知らなくて興味のない話を伝えるのは信用があっても受けれてもらえるか微妙なところ。

自分でも全然知らないことを学ぶのが苦しいのだから、二人にとっても同じだろう。ましてや別にぼく自身がその知識の先生といいうわけでもないし、実績があるわけでもない。

スタンスとしては「ぼくと一緒に勉強していこう」ということを伝えるしかない。

まずは二人に興味を持ってもらうところからだろう。

  • 未来の二人にどれだけ必要な知識なのか

  • 知っておくとどんなイイコトがあるのか

  • 知っておかないとどんな損があるのか

言ってて思ったけど、これ完全に「プレゼン」だね。

実はぼく、このプレゼンが苦手。

でも、そこから逃げていては家族を守ることなんてできないので、なんとかするしかないよね。

それがぼくたち家族の未来につながるのだから、やっぱりみんなでいっしょに学んでいく必要があるし、何より楽しそうだ。

今後、ぼくたちの知識が向上した時には、noteでも発信していこう。


じゃあ、またね。


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