『やる気がない』はやらないことの「原因」じゃなくて「動機」
「やる気がない」からやらないんじゃなくて、「やらない」という結論ありきでその動機づけとして「やる気がない」と自分を納得させているだけ。
実は、やらないことは本人の中で最初から決まっている。だけど、その結果には何か理由が何かいる。その理由として「やる気がない」をつけてみている、という話。
やろうとしたけどやれていない、つまり「やる気がないこと」っていうのはほぼ100%自分がやりたくないこと。
本当にやりたいことなら「やる気が出ない」なんて状況にはならないはず。やりたいことなら自然とやってしまうものだ。
ピアノを弾きたいと思った人はピアノを弾くし、絵を描きたいと思った人は絵を描くし、文章を書きたいと思った人はnoteを書く。
動機は極めてシンプルだ。ただ「やりたい」と思ったことをするだけ。
なのに、人はなぜかやろうと思ったことをすぐに実践できない時がある。ていうか、そんなことばっかりだ。
時間がない
忙しい
面倒くさい
やっても意味がない
やりたくないことに対する理由は考えればいくつも出てくる。
この理由も突き詰めていくと実は自分で作りだすただのこじ付けなんだけど、それらを全てひっくるめて「やる気が出ない」で片付けてしまおうというわけ。
考えてみるとずいぶんと便利な言い訳だ。
こんなにもオールマイティーな言葉は「知らんけど」以外にぼくは知らない。
話が少し逸れるが「知らんけど」は大抵の場合、他人に使う。他人に対してウンチクを垂れた挙句、間違っていた場合の保険のために「知らんけど」を最後に付加する。ぼくもよく使う。無責任極まりない。
対して「やる気が出ない」は自分に使う。
あれがやりたい、これがやりたい、〇月〇日までにやらなければいけない。
自分にタスクを課したまではいいものの、いざやり始めた時に生じる困難さや精神的ストレスなどを考えると手が止まる。
わかる、わかるよ。とってもよくわかる。
この記事を書き始めるまでのぼくだってそうだ。
書くネタを思いついて書く内容の構想までは決まったとしても実際に書き始めるまでには葛藤があって、けっきょく数日経った後に今に至る。
では、われわれ愚かな人類はこの「やる気が出ない」という「はやり病」なんかよりもよっぽど厄介な何億年も放置された続く問題に、どのように対処していけば良いのか?
この問題を解く鍵も実は非常にシンプル。
「やりたい」と思った自分だけを信じればいい。
その後に出てくる自分の感情はすべて雑音。
雑音に気を取られているのは時間のムダというもの。その間に貴重な残りの人生の時間は着々と奪われていく。
やりたいならすぐに手を動かし始める。やりたいことに理由なんて必要ない。
お腹が空いたことに対して「本当に自分はお腹が空いているのか?」と問いただすことなんてしないのと同じように、「やりたい」と思ったらやるだけでいい。
やりたいことは決まっていて、そこには動機なんて必要なくて、あるのは「やる」か「やらない」の事実だけ。
よく映画のシーンであるじゃないか。この選択を迫られた人物が、もっともらしいセリフを並べて命令やお願いを躊躇する。
それに対する命令した側のセリフはこうだ。
「で、やるのか?やらないのか?どっちなんだ」
「やる気が出ない」と嘆く自分に気づいたら、この言葉を自分に投げかけよう。
さてあなたは今日、やりたいと思っていることをやる?やらない?どっちですか?
では、また。
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