人間の感情は傲慢だよ。ぼくも、あなたも。
今日はいつもと気分を変えてなにか調べ物でもして記事にしてみようかなと思っていたのだけれど、やっぱりやめた。
これもぼくの傲慢な感情のせいだと言えば、良い言い訳になるだろうか。
でも、自分が傲慢だと言ったのは決してうそじゃない。
本当にぼくはいつも傲慢なんだと改めて気付かされた。恥ずかしいよまったく。
漠然とした印象しかない「傲慢」という言葉を今、google先生に聞いてみた。
《名・ダナ》高ぶって人をあなどり見くだす態度であること。
と、いうことらしい。うん、印象は間違っていなかった。漠然とした印象が「鮮明」に変わった瞬間だ。
ただやっぱりちょっと高圧的な意味だね。少なくとも「ポジティブ」からはかけ離れた言葉であることはわかる。
ではなぜ、ぼくは自らを「傲慢だ」と言い表したのか?
人って、常に他人に何かを求めている卑しい存在なんだと思う。
ただ、求めているものは人それぞれだ。「求めている」と一言で言っても、ある人が求めるのは「要求」かもしれないし、ある人が求めるのは「欲求」かもしれない。あとは「追及」とか「請求」とか。
びっくりした。
自分で書いていて「そんないっぱいある!?」と思った。
でもきっと大丈夫。今はそういう話をしているのだ。
しかし、本当に人間は何かを求めて生きているというのが明確になった。
誰かに対して命令やお願い事をしていなかったとしても、心のどこかでは相手に何かを求めている。
それって、傲慢だよね。
ちょっと攻撃的すぎる言葉だとはいえ、自分のいやしい心のしていることは「やってくれよ」と願っているということだから、この言葉がぼくはしっくりくる。
ぼくが自分を卑下にしすぎなのだろうか?
ちょっと待て。「卑下」も難しい言葉だね。教えてgoogle先生。
《名・ス自他》自分をあえて低い位置に引き下げてへりくだること。
うん。大丈夫、間違っていない。言葉の意味を調べるというのは重要だ。
マンガ家であるぼくの妻のnikoは、言葉の使い方が実に多彩だ。とてつもなく自信満々に使いこなすものだから、ぼくは尊敬している。
それは例えば最近の話題だと、
「和洋折衷ってどういう意味か知ってる?」
というぼくの問いかけに対して
『和食と〜洋食と〜中華と〜…あと一つなんだっけ?」
という具合である。
あくまでこれはごく一部であり、年中この手の天才的な言葉の使い手なので、かなうはずもない。
ただしこれに関しては、ぼくは妻のnikoにネタの提供を求めているわけではないので悪しからず。
話が脱線気味ではあるが、この誰かに求めるという行為は気がつくといろんなところで行われていると思うのだ。
・ちょっとそこの醤油をとってほしいな
・肩が凝ったからマッサージしてほしいな
・トイレの電気は毎回消してほしいな
どんな欲求も口にするわけじゃない。
相手に「察してほしい」と胸に留めている欲求もたくさんあるはずだ。
もしもこれを読んでくださっている方がいたら、胸に手をあてて考えてみてほしい・・・心臓の鼓動が伝わるでしょ?
とまあ、こんな感じでぼくはこの記事でもあなたに欲求をぶつけてしまったわけだ。
その欲求や要求を全て「傲慢だ」と片付けてしまうのもいささか乱暴ではあるとは思うものの、ぼくとしては相手に対しての傲慢さの形なんだと思っている。
そしてその傲慢さゆえ、相手に何かをしてもらえなかった時、自己中よろしく勝手に気分が沈んだり苛立ったりするのだ。
人は欲求が満たされない時、気分が乱れる。
そんな傲慢で身勝手な人間に残された、欲求に対する防御策はないのかを考えてみた。思いつく方法は大きく二つ。
1.相手を信じること
2.何も求めないこと
前者はとても聞こえがいい。意識高く感じる。そして何よりポジティブな発想だ。
後者はある種のあきらめであり、意識は低い。そして何よりネガティブな発想だ。
ただし、よく考えてみてほしい。「相手を信じる」に隠されているのはやっぱり自分が求めていることに対して見返りを求めているのではないか?
これを傲慢と言わずしてなんと言おうか。
これこそジャイアン的な発想ではないのか。
「オレの歌を聞け。そしてそれに酔え。できないなら殴る。」
方や、「何も求めない」とはどんな状態か。
自分が求めたことは自分でやる。
床に落ちたゴミは自分で拾えばいい。揃っていない靴は自分で揃えればいい。
どうしても相手にしてもらわなければならない欲求ならどうするか?
期待せずに待つことだ。
期待するから失望する。期待するから気分を害する。
でも期待していないからこそ、してもらえた時の感動も大きくなる。
「期待しない」とは、つまり自分をマイナスに振っているわけだ。そのマイナスの状態から、欲求が満たされると+に振れる。もしくはゼロに戻る。そうするとその期待度の振れ幅で満足感を得られるはず。
そうやって自分の期待に答えてもらえた時には大いに喜んでいい。そして、その感動を心の中で要求してしまった相手に対しても最大限に表現しよう。
表現方法に困ることはない。誰がどう見てもうれしくてたまらなく、そして相手さえも満足させる魔法の言葉を叫べばいい。
ありがとう!!!
と。
じゃあ、またね。
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