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中学1年生の娘に学んだ、「あえて捨てる」というやさしさ

歩道橋から見下ろす景色が好きで、歩道橋を見ると登りたくてうずうずしてまいます。こんにちは、ぴこつです。


ぼくら家族は、去年の8月に今の場所に引っ越してきた。

娘は去年中学生になり、中学1年の2学期から今の学校に転校した。本当は中学生になると同時に引っ越して転校させたかったんだけど、なんかいろいろと事情が重なって延期に。

ただ、娘が夏休みに入ってすぐに引っ越しができたのはよかった。

というのも、想定では1年くらいは先延ばしにするつもりだったから。それがわずか数ヶ月の延期で引っ越せたのは今となっては奇跡としか言いようがない。

よくもあのタイミングで引っ越しまで漕ぎ着けたもんだ。バタバタだったのは言わずもがな、ほぼ勢いだけで乗り切った感がすごい。

おかげでぼくの貯蓄はほぼ底をつきましたとさ。


というのは今日の本題ではない。


娘は引っ越してくる前の学校では「絵がうまい子」で名が通っていた。同じクラスの子や、たぶん学年内でも娘が描く絵やイラストを気に入ってくれた子たちはたくさんいたと思う。

今の学校に転校後、もちろんそんな娘の才能はまだ周りの子たちに知れ渡ってはいない。おかげさまでお友達には恵まれたらしく、すぐに仲良くなった子もいてくれて親としては一安心だ。

ただ、そのお友達ですらまだ娘の絵を披露する機会がなかったから、ぼくは今の学校のみんなにも見てもらえたらいいなと思っていた。


そんな娘に、最近ついにみんなに絵を見てもらえる機会が訪れた。

きっかけはこれ。

どうですか、ただの「絶滅危惧種の動物の特徴を絵で描きましょう」のお題に対してのこの本気度。

いい感じのバカでしょ!?(褒めてます)


これは娘の冬休みの宿題だったんだけど、休み明けにこれを提出した後、先生から声をかけられたらしい。

この宿題の絵が原因だったのかどうかは定かじゃない。だけどタイミング的にはこれで間違いないと思う。

先生に呼び止められたのは、「3年生を送る会」でプレゼントする「しおり」のイラストを描いてほしいとのこと。「しおり」って、あの本に挟む方のしおりね。
※ぼくは昨日まで文集みたいな「しおり」のことを言っているのかと思ってた。

そして昨日、そのしおりの下書きを描いていて、完成した絵を見せてもらった。

下書きの紙にはいったん描いたであろう絵が綺麗に消された跡があったんだけど、娘が自ら教えてくれた。

「最初に、すごい細かくて凝ったイラストを描いていたんだけど、やめた」

ぼくは当然のように「なんで?」と聞いた。すると返ってきた答えにぼくは感心した。

「このしおり、下書きをコピーしてみんなに配って色を塗ってもらうんだって。だから、細かすぎるとみんなが塗りにくいだろうと思って」


確かに消された跡の絵をよく見ると、かなり細かく描き込まれている。女の子の絵であろうその髪の毛も一本一本が丁寧に描き込まれていて、きっとすごく上手に描かれていたであろうことが想像できる。

娘の話によると、陰影まで精密に描かれていたらしい。

それはそれですごいこと。

だけど、娘はその上で、自分で描いた絵をキレイに消し去ったのだ。

ぼくなら真似できない。自分がかなり時間をかけたであろうその絵を、自らの手で消してなかったことにするなんて、ヘタレ根性しかないぼくには絶対に無理だ。
しかも自分でも「うまく描けた」と思っていたはず。それを消すのはかなり勇気だと思う。

それよりもまず、ぼくは娘に課せられた仕事がちょっと不憫に思えた。だって自分が描いた絵に自分が色を塗れないなんて。

それに、申し訳ないがもらう側の3年生のことを考えると、この「しおり」が本当に要るのかと思ってしまう。気に入らなかったとしても捨てづらいではないか。

あなたは、こんなことを書いているぼくはひどい親だと思います?

でもこれ、娘も同じことを言っていた。自分でも「要らない」と。だけどそんな理不尽を受け入れた上で先生のお願いを聞き、しかも「他の子が色が塗りやすいように」とまで考えて自分の絵を描き直したのだ。

でも、最初に描いた絵とはテイストがずいぶん異なっていたと思うけど、それでも丁寧に描かれており、かわいくてすごく素敵な絵だった。

我が子ながら、なんて出来た子なんだろうか!!!



娘は、今のところ将来は絵師(イラストレーター)を目指すと言っている。つまりはクリエイターだ。

クリエイターにとっては、自分のエゴを貫き通していい場面がある。というか基本的には、ぼくはクリエイーたはエゴを貫いていい生き物だと思っている。

独善的でクオリティがめちゃくちゃ高いものを作れる者だけが生き残れる世界。

本来、クリエイターは自分の作品を見てもらえる人がお客さん
だから娘にとってのお客さんはしおりをもらう3年生ということになる。

だけど今回、娘が与えられた仕事というのは少し毛色が違う。しおりをもらうのは3年生なんだけど、その前に「他の1年生が自分のイラストに色を塗る」というステップが挟まれている。
自分で描ききれない以上、細かすぎる下絵は色を塗り慣れていない人に塗られると「ボツ作」が大量生産されるリスクを限りなく高めてしまうのだ。


娘はそのリスクを自分の判断で回避した。ファインプレイだと思う。

それは3年生にひどい作品が行き渡らないようにするのと同時に、少しでも他の生徒が色塗りをする負担を減らしてあげようという娘のやさしさだ。


こういう「お客さんのことを考える」という想像力は娘の将来に必ず生きてくる。


成人マンガを描いているぼくの妻のnikoさん(@nikonikopun17)もそうだし、その妻の自称「専属プロデューサー」のぼくにとっても大切な学びになった。

理想の形にするためなら自分の絵を描き直すことをいとわない娘には本当に感服だ。


そういえば、ぼくの娘は小さい頃からレゴも作っては壊してを繰り返していたな。
レゴに飽きた後に買ってあげたマインクラフトもそう。
最近だと「どうぶつの森」でも自分で村を作ったと思ったらいつの間にかぶっ壊していた。

ぼくはそんな娘をいつも「破壊王」と呼んでいる。


そのくらいに自分の作品を破壊することを躊躇しない。完成した物に対する未練のようなものもないらしい。

もしかしたら、生粋のクリエイター気質なのかもしれないな。


じゃあ、またね。


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