「書く」ことで救われたのは自分だったのかも。
あなたは、書いていますか?
ぼくが書く日記は義務でもなんでもない。誰かのために書いているわけでもない。強いて言えば「暇つぶし」。
ぼくは、何もしていないままに時間だけが過ぎていってしまうようなもてあそぶ時間がキライだ。嫌いと言いながらも、やってしまいがちなこと。
キライなのに、永遠とtwitterを眺めていたり、ネットサーフィンをしたりする。
ゲームは滅多にやらなくなった。Youtubeを見ることもあまり好きじゃない。
ただいたずらに時間を過ごしてしまうのだ。
そんな風に過ぎてしまった時間に、ぼくはいつも後悔している。そんな時間を過ごすくらいなら、いっそどうしようもない文章でもnoteに書いていた方が気が紛れていい。
この、日記を書いているような時間が本当に有意義かと言われれば、まったくもって自信はない。それでも、ネットニュースを次から次へと転々としたり、ゲームをひたすらやり続けてしまうような時間よりは自分の満足感も高い気がしている。
日記は義務じゃない。だけど、最近は書かないと気持ち悪くなってきた。あ、「気持ち悪い」と言っても吐きそうなわけじゃないよ?わかってると思うけど。
こういうくだらないことを言ってしまうから、後になって後悔したりする。「なんてしょうもないことを言ってしまったんだ」と。
それでも、ぼくはその時の気分で生まれた自分の文章に嘘をつかない。その言葉が出た時の自分が、やっぱり自分なのだから。
怖いのは、これが続いていったときに義務に昇格してしまうことだ。
義務になった途端にやる気を失ってしまうのがぼくだから、そこだけは本当に気をつけている。
日記は「やらなければいけない」とかそんな苦しんでまでするようなことじゃない。義務は苦しい。だってやらなければ先生に怒られてしまう学校を思い出す。
宿題とか、かったるかったじゃない?
でもなぜかやらなければならないものとして、みんながやっていた。やらずに学校に行くと、なぜやれなかったのかと先生に追求される。
ぼくは逆に問いたい。「なぜやらなければいけないのか」と。
だって仮に病気になった時にはやらなくても何も言われなかった。今の仕事だって、自分がやれなかったとしたら、最悪誰かが助けてくれてやってもらえる。
もちろんそんなことばかりをしていては自分の信用を失ってしまうので困るけど、でも自分も誰かを助けることで、そこはイーブンにもって行けたりもする。
宿題はとても理不尽だ。自分でやるしかない。やったところで大して褒められるでもなく、ただやってきて当たり前だと思われるだけ。
宿題の話はもういい。これ以上言い続けても同じような不満が出続けるだけの不毛な時間になってしまう。終わりにしよう。宿題なんて。
話を元に戻すと、日記を義務だとしてしまうよりも、日記自体に別の価値を見出してみようと思う。
仮に、今書いている日記をやめたとしよう。
そうするとどうなるか?
ぼくは、たぶん何かを書きたくてソワソワするんじゃないかと思っている。ぼくはこの文章を書きながら、自分の思いをここに吐き出している。
吐き出すことで気持ちの整理がつくこともある。書いている途中には自分が何を言い出しているのかもさっぱりわからないことも、よくある。
特に今のように中だるみしてきた時、「自分は一体何を書いているんだ?」との思いがよぎりまくる。もうこの記事自体を全消ししてしまいたくもなる。
でも、消さない。消さずに書き続ければ、どこかで心が落ち着いてきて、なんとなくこの記事も終われるのだ。
義務とはmust。でも日記自体はmustじゃない。
ぼくにとっての日記は書かなければいけない義務ではなくて、書いた方がいい案件なのである。
「must」じゃなくて「may be.」
ただ言ってみたかっただけだ。
でもニュアンスは伝わったかもしれないからよしとしよう。書くことの本質は誰かに何かを伝えるのではない。
自分自身の思考を整理したり、精神安定のために吐き出すものだ。
今、ぼくが自分に出した書くことに対する答えはこれだ。
だからぼくは毎日何かを書いている。日記のようで日記ではなく、「発信」というような意識の高いものでもない。
ただ自分を安定させるため、そのためにぼくの記事を読んでくれているあなたを巻き添えにしている。罪深いことだ。あなたの貴重な時間を奪ってしまっているのだから。
でも、ありがとう。やっぱり「読んでくれる誰かがそこにいる」というのはとても心強い。
ぼくは自分のことを孤独な人間だと思っているけれど、一方で誰かの反応を見ることを面白がっている自分もいる。あ、「面白い」といってもバカにしたりワハハと笑っているわけじゃないよ?わかってると思うけど。
ぼくがいま現在、出した答えはこんなところ。でもわからない。また数日経てばその解釈もアップデートされてしまうのかもしれない。
だけど、少なくともぼくは「書く」ことによって自分らしくある精神を保っていられる気がする。
ぼくは、きっとこれからも文字を書き続ける。他に何か自分を表現できるものに出会うまでは。
じゃあ、またね。
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