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【賞金あり】につられて『だから、もう眠らせてほしい』の感想文を書きました

この物語には大きなテーマが二つあるという。

だけど、あえて「わたし」がどう受け止めたのか、登場された人たちの物語から何を感じたのか、テーマが何だったのかを無視して(失礼)書いていこうと思う。


人は必ず死ぬ。

命あるもの、いつか必ず死ぬ、のだ。

ただ『いつか』が、人それぞれ違う。ある人は健康に、ある人は病気やけがを抱えながら、ある人は生まれながらに障害を抱えながら、それぞれに生き、それぞれに死にゆく。

誰ひとりとして、同じ人生を歩むことはない。たった一つの人生。

この本の中の登場人物にも、それぞれの人生がある。それぞれに『がん』という共通点を抱えながら。


吉田ユカさんの『日本には、安心して死ねる場所がない』ということば。

Yくんも、選択肢としての『安楽死』を考える。

それを、Yくんからきいたときの

『きちんと緩和ケアを受けていれば、苦しむことはありません!』という、西先生のことば……わたしは、こころの叫びとして受け取った。


『安楽死』というテーマには、賛成か反対かの二手に分かれた対決構造、があるように思う。それぞれの立場から、自分は正しいことを言っていると思っているから、冷静に議論するに至らない。

「自分の命なんだし、生まれるときに選択肢がなかったのだから、最期くらい好きに選ばせてほしい」というのが、わたしの素直な気持ちだ。

別に、安楽死じゃなくてもいい。

もう生きていてもつらいだけ。治療の効果が期待できず、回復の見込みがない、増すばかりの苦痛から、もう解放されたい。消えてしまいたい。という状況を救ってくれるのが『安楽死』という存在なのかもしれない。

緩和ケアを信用していないわけではない。しかし、全国どの医療機関でも同じようなケアが受けられるとは、どうしても思えないのだ。

いっそのこと、自殺してしまおうと思うような状況の時、選択肢としてあったらいいな……という位置づけだ。

けれど、家族がそれを許してくれないという事態に、おそらく、なる。

あるいは、もう蘇生したとしても、今後苦痛が続くことが予想される事態であり、いかなる延命措置も拒否する意思を表明したとしても、急変したときの周囲の状況によっては、望まぬ延命措置を施されてしまうかもしれない。患者本人にとって、これほど迷惑なことはない。絶望だ。

人生会議が話題になったが、少なくとも、わたしの家族は、自分の最期についてフランクに話し合いのできる人たちではない。

「死にたい」「(死にたいくらい)つらい」と素直にまわりに、こころの内を打ち明けられない。ほとんどの場合『生きていればそのうちいいことあるよ』『お前より大変な人がいる』『生きたくても生きられなかった人もいるのに』『生きろ!』などなど、いわれてしまうから。

もうすっかり、まわりの人に本音を伝える気持ちが無くなってしまった

ただ「わたし」のように、もう治らないし苦痛の軽減が図れないなら、すぐにでも死にたいと思ってしまうような人でも、ほんとうは本音を聞いてほしい、話したいという気持ちになるときがくるかもしれない。

人は最後まで、迷い、人とのつながりを求めている。 

だからこそ、まわりの人たちとの関わりが重要になってくる。そして、つらいひとが素直に『つらい』と言える社会。それこそが

安心して死にたいと言える社会

なのだろうと思う。

すぐにできるわけじゃない。そんな簡単だったら、今現在そうなっているはずだ。じわじわと、そんな優しい社会になったら、ほんとうにうれしい。


西先生は、あとがきで、安楽死制度はあってよい。と書かれている。そして、その上で

「死にたくなくなる」手立てを育てていく

それが、緩和ケアの医療者の役割だと述べられている。

そして、わたしたちにも宿題が投げかけられている。

あなたの役割は何だ?

じゃあ、「わたし」たちは?わたしたちは何をしたらいいのか

わたしたちが、社会で孤立している人の声にどう耳を傾けていくのか……

あれ?……ここで、立ち止まって考える。

「わたし」は、社会で孤立している人に入っているのではないだろうか?

病気をきっかけに無職になり『社会的な死』そして『精神的な死』を味わっている。そのつらさを、まわりに訴えられない、訴えることをあきらめてしまった「わたし」。その先にある『肉体的な死』をむかえる前に、社会のなかでどうあるべきなのか?

だとするならば、まずは「わたし」自身がどう生きていくのか、よりよく生きるにはどうしたらいいのか、を考えることが最も重要なことなのではないだろうか?

抽象的な概念ではなく、よりよく生きるための手立て・環境整備・その他いろいろなコトやモノ、を具体的に考えること。それが、社会で孤立している人の声に耳を傾けることの具体策、に繋がっていくのではないかとも思うのだ。


最後、この文章で、この本は終わる。

あなたの姿勢が変わることが、この国の安楽死制度を進め、そして安楽死を無くす第一歩になる。

一見すると矛盾しているような文章。

これまで読み進めてきた「わたし」には自分ごととして、わかる。

じわじわと、すこしづつでも前を向いて行こう、考えていこう、そう思っている。

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